魔との共生③

 それからの一週間は、あっという間だった。ルゥと僕は、密やかに、寄り添うように毎日を送っている。

 町に降りることも、二人で研究をすることも、お茶を飲むことも、メルの整備について会議をすることも、メルを交えた雑談も。

 そんな穏やかな毎日を過ごしていた。快い日々だ。手放すことなど考えることはない。

 一週間経とうが、これから先何があろうが、そう変わることがないように思えた。僕はこの自宅で、ルゥとともに研究を行う平和な日々を過ごす。意見は変わりなかった。

 彼女たちが来る時間は、今度は事前に連絡が来た。お昼過ぎ。僕らはそれまでに食事を済ませて、結界を解いて彼女たちを待った。

 約束の時間ぴったりにノックが鳴る。僕やルゥが反応するより先に、メルが扉を開けてくれた。これが自主的な行動なのか。ノックに答えるというプログラム的な行動なのか。判断はまだつかない。


「いらっしゃい」

「お邪魔するよ」

「適当に座ってくれ」


 座席の準備は、前回と同じだ。四人は僕たちと対面する位置に腰を下ろした。メルがすぐさまお茶を出してくれる。僕とルゥはカップに手を伸ばしたが、彼女たちがそうすることはなかった。


「結果を聞きたい」


 最短距離で真っ直ぐに。そもそも要件はそれであったのだから、出し抜けだとは言わないだろう。けれど、出し抜けと思えるほどに、一拍で真に迫った。


「そんなに慌てなくてもいいだろう?」

「先送りにしてもいいこともないでしょ?」

「まずは一服としよう。メルが作ってくれたマフィンもあるんだ」

「魔術機械は、フェイの手作りですか〜」

「そうだよ。研究が捗っているんだ」

「さすがフェイだな。よく躾てもいるみたいだ」

「メルの相手はルゥだよ」


 それとなく口にしたつもりだった。しかし、それは装えていなかったのか。それとも、やはり彼女たちが過敏になっているのか。空気が一瞬で淀んだ。


「ルゥは賢い子だよ」

「そうですか」

「だからって、私たちが歩み寄る理由にはならない。フェイに慣れているのは認めるから、下手に解説しないで」

「サキュバスは信じられないわ」


 なまじ、亜人のひとつとして数えられてきたエルフだからだろうか。ニーアの評価は手厳しかった。

 紅茶によって爽やかさを保っていた口内が苦々しくなるのを感じる。砂利を噛むような気持ちになった。


「……フェイ、仕方がない」


 この件については、僕よりもルゥのほうが聞き分けがいい。

 いや、ルゥが一際聞き分け悪くなったことなんて、そうないけれど。せいぜい、自分の金銭ことや生活のことで貢献度が足りないと訳の分からないところでごねるくらいだ。

 少しは納得したみたいだが、気合いが入っているらしい。ほどほどになることを祈るばかりだ。


「彼女のほうがよく分かっている」

「……それじゃあ、本題だな」


 他に語るべきこともない。結局、僕のほうから話を戻すことになった。元仲間と世間話もままならないというのは、些か寂しい。それは復活を考えもしないこととは話が別だ。

 彼女たちは、姿勢を正して僕に視線を集めた。固唾を飲む緊張感が走る。

 これは僕が意見を通せるかどうか。そんな危惧を抱えているからこそ感じるものか。それとも、彼女たちが僕の答えに期待を込めているのか。ルゥが僕の答えを改めて聞くことに聞き耳を立てていることになのか。

 すべてがごっちゃになった混沌の緊張だった。


「僕は冒険者に戻るつもりはないよ」

「それは、私たちがフェイを必要だと心の底から思っているとどんなに訴えてもダメ?」

「ああ。意志は固い」

「どうしてですか?」

「……理由は構わないという話じゃなかったか?」

「それで否定をしようとは思ってませんよ。ただ、フェイは冒険を嫌っていたとは思えなかったですから。そこまで頑なになる理由があるのかな〜と、考えてるだけですよ」

「あるなら聞いてみたいわ」


 サティとニーアが関心を寄せる。

 ある種、突撃の日の再現で、僅かな面倒くささはあった。だが、理由を盾にしないという。卑怯なことはしないだろうというくらいの信頼は、今でもちゃんと持っているつもりだ。

 僕は紅茶で口を湿らせてから口を開いた。


「僕はさ、元々魔法使いとして研究がしたかったんだ」

「でも、冒険者になった」

「前にも言ったと思うけど、一人前になれば、ほとんどの魔法使いはそのまま冒険者になる。そういうものだ。僕は流されるままに、その道を進んじゃっただけだよ。もちろん、みんなとの生活も楽しかった」


 流されてはいたが、主体性がなかったわけじゃない。道中で見つける素材や貴重な薬草。そういったものを採集できる立場は、必ずしも悪いものではなかった。何度だって言うけれど、彼女たちとの生活を否定するつもりは更々ない。

 僕のそういった本心が届いたのか。彼女たちの雰囲気もいくらか和らいだ。


「けど、やっぱり僕はこういう生活が向いてるんだ。近頃、心の底からそう思うよ」

「……そうか」


 相槌は静かだった。

 それは納得してくれたからなのか。それとも、呆れ果てたのか。数年をともにした仲間であっても分かりはしない。

 何かが通り抜けるかのような沈黙が過ぎる。全員がカップに手を取ったり、マフィンを手に取ったり、とそれぞれの行動に移っていた。

 そうして、静けさが持続する。今までにないほど空気は弛んでいたかもしれない。

 そこにとんでもなく苛烈な爆発音が飛び込んできた。反応ができなかったのはメルだけだ。他のみんなは一斉に椅子から立ち上がっていた。彼女たちの間に素早いアイコンタクトが走る。

 僕はすぐさま結界魔法を張った。彼女たちがやってきた後に張り直していなかったのは不覚だが、結界内へ立ち入っているものがいれば後からでも探し当てることはできる。それは即座に反応を示し、警告音を鳴らした。


「三人だ」


 呟いた僕に、彼女たちが扉のそばに待機して、窓から外を確認する。無駄のない連携は、圧倒されるものだ。かつて自分もこうしていたと分かっていても、外側から見るのでは印象が違う。ルゥも驚いているようだった。


「見当たらないわ」

「私にも見えないな」


 エルフのニーアにも、獣人のロウガにも見えないということは、近くにはいない。

 その確認を終えた彼女たちは手早く扉を開いて、転がるように外に出た。僕は彼女たちが扉の脇に避けるタイミングを見計らって、魔力の塊を放出して目くらましを食らわせる。

 彼女たちは当たり前のように目元を覆っていた。ルゥがぎゅっと目をつぶって、腕で光をカバーしている。


「ルゥ、中にいるんだよ。メル、ルゥを頼んだ」

「かしこまりました」


 ルゥは物言いたげな顔をしたが、僕は一方的に言いつけて家を飛び出した。彼女たちがそれぞれ隠れている木立のひとつに身を隠す。


「右斜め前方だ」


 僕は結界魔法内を検索して、場所を報告した。ニーアが真っ直ぐにそちらに矢を飛ばす。三発続けたそれは、あわよくばという欲もあったかもしれない。

 しかし、それは木立と地面に突き刺さり、敵に命中することはなかった。とはいえ、炙り出すには効果的だ。木立の陰の中から、人型の生命体が三体飛び出してくる。

 それは尻尾を持ち、角を生やしていた。その姿には見覚えがあった。当たり前だ。サキュバスの特徴なら、嫌というほど知っている。

 どぎりと心臓が錆び付いたままに跳ね上がったような嫌な音がした。その音に身を固めるよりも先に、向こう側から魔力の塊が飛んでくる。

 闇属性にあたる黒い魔力の塊が地面を抉り、木を倒して、僕の庭をめちゃくちゃにした。そのことに対する勿体なさや憤りよりも、サキュバスを相手にする危機感のほうがずっと高い。

 僕は無意識下でごきゅりと生唾を飲み込んだ。


「仕掛けるよ」


 アカネが言い残して、木立の影に身を潜ませながら、攻撃のやってくる方向へと進み始める。僕はすぐに防護魔法を展開した。

 ロウガがそれに続いていく。身軽な身のこなしのロウガは枝の上へと飛び上がって、上からの奇襲だ。ニーアはその場に待機したまま矢を放つ。一見すればみだりであるようだが、それは僕には分からない感覚で、かなりいい線の放物線を描いているのだろう。

 サティがフィールドに回復地点を設置していく。これは、そう何個も作れるものではないし、持続時間が長いものでもない。しかし、サティが特殊に得意とするそれには、幾度となく助けられたものだ。

 僕はそこに幾重にも防護魔法をかけた。そうすることで、安全地帯を確保する。何度も繰り返した作戦は、身体の芯に染み付いていた。

 そうして、攻撃が行き来して数秒。あちら側との距離が縮まり、僕らは三体のサキュバスと正面から対峙することになった。

 自らの周囲に新たに張り巡らせた火炎の結界は、サキュバスをそれ以上近付かせない最後の防壁だ。彼女たちを味方認定にして張ったそこに、炎を無視して彼女たちが入ってくる。僕のやり方を彼女たちも覚えているらしい。懐かしさが蘇った。


「どうする?」

「フェイが一気に火力で吹っ飛ばすのが早いのではないですか」

「炎魔法で燃やすか?」

「いいの? フェイの敷地内でしょ?」

「戦闘するんだからしょうがないよ」


 ここまできてそこにこだわっても仕方がない。僕だって冒険者だったのだ。割り切るところは割り切る。


「それじゃあ、火攻めで」

「分かった」


 火攻めは何度も使った戦法だった。僕が高火力で魔法を解き放ち、打ちもらしたものをアカネたちが倒していく。方向性が決定すれば、後は余計な打ち合わせはいらない。

 実行に移そう、とその瞬間、サキュバスたちがまさに目の前に降り立った。


「お主ら、サキュバスを匿っているだろう」


 声を掛けられたことに、動きが止まる。


「我が種族を誘拐して一体何の目的だ」


 聞くものではない。それは分かっていた。だが、現状が著しく変化しているのは間違いない。交渉をしてくる。それもルゥの存在を感知している。そう簡単に無視はできなかった。

 時間が止まる。


「今すぐ解放しろ」


 ドスを利かせた脅しが木立を揺るがした。地響きのような音は、恐らく自宅の中にまで届いたことだろう。

 頼むから出てくるな。そう願ったものは、叶うことはなかった。

 僕らがフリーズしている間に、ルゥが扉の向こうから出てくる。三体のサキュバスの目の色が変わった。鋭角な光がルゥを捉えてから、僕らを睥睨する。

 彼女たちが匿っていた人間として数えられていることには、多少の罪悪感も浮かんだ。だが、そんなことよりも、ルゥの行方に思考が割かれきっている。よそ事を考える猶予はなかった。


「来い」


 サキュバスたちは、ルゥを同族と認め呼びかける。

 ルゥは現状を正しく理解できているのか。視線が一瞬、僕と彼女たちを撫でた。アイコンタクトにもなっていない寸秒のそれでは、ルゥの思考は読めない。それでなくても読めないのだから、こんな緊急事態で急に理解が進むわけもなかった。

 ルゥはそのまま、ずんずんと僕の隣。サキュバスの前へと進んでくる。


「こっちだ。人間に従わされるなんぞ何事だ」

「ボクはボクだ」


 ルゥの言葉はいつになく簡潔だった。

 しかし、その反抗心はいつになく濃い。それは同族であればこそ、サキュバスたちにはより鮮明に届いたようだ。気配が尖る。


「ならば、サキュバスとして動け」

「必要ならそうする」

「今だ。そいつらは必要ない」

「……ボクには関係ない」


 相手が僕らとルゥの関係をどれくらい見積もっているのか。判断ができない段階で、下手な言質は取られたくはない。

 それはルゥも分かっているのだろう。言葉は僕を庇わないギリギリのラインを攻めていた。


「関係がない? サキュバスとしての欠陥品か? 人間はいい餌だ。そこに男がいるではないか」


 ルゥの拳がぎゅっと握り込まれるのが見える。

 我慢してくれ、と願うしかない。こうなってしまった以上、刃向かうのは得策ではないだろう。僕が息を潜めているのがルゥに伝わったのか。彼女の素晴らしい判断力か。ルゥはぐっと堪えている。

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