魔の存在⑤

 その日の夕食を準備してくれたのはメルだ。

 ルゥは黙ってそれを見守っていた。その必要はなかったが、妹だというところを気にしているらしい。新しいおもちゃの具合を気にしているといったほうが正しいような気がするのは、置いておこう。

 僕とルゥはぽつりぽつりと日常会話をこなした。その裏には、パーティーメンバーの強襲によって感じた思いがわだかまっている。それを察するようなぎこちない空気が流れていた。


「フェイ様、ルゥお姉さん、ご飯の準備ができました」

「ありがとう、メル」

「休んでいていいよ」


 メルに食事は必要ない。人間の行動を模倣するように作ったが、食費をかけるわけにはいかなかった。メルの食事は僕の魔力になる。こういうと、ルゥのいかがわしい魔力補給と重なって尻こそばゆい気持ちになるが、事実だった。

 そして、メルは魔力がある限り動き続ける。休息を必要とする疲労を感じるかどうかは定かではないが、休憩すれば魔力の温存にはなった。

 メルも自分の身体のそういった仕組みは分かっているようで、部屋の片隅にある椅子に腰を下ろす。それから、目を閉じた。スリープモードだ。


「じゃあ、いただきます」


 すっかり人間かぶれになったルゥが率先して挨拶を零す。僕もそれに続いた。

 手を合わせて、白パンに手を伸ばす。スープと野菜サラダ。それから鶏肉のソテーがメイン料理で、準備が整っていた。メルのレパートリーはどこに付随するのだろうと不安がよぎる。僕のであれば、これが一週間もしないうちに回ってきそうだ。

 だが、何にしたって家事の分量が減るのはありがたい。

 僕らは静かに食事を進める。口にものを含んで喋らないことは、ここにきてすぐに教えた。だから、この食事風景はいつも通りだ。

 分かっている。分かっているつもりだったが、どうにも半端な空気が滲んでいた。


「……フェイ」


 沈黙に耐えかねたのか。ルゥが緩く口を開く。僕は目線だけで応えた。


「……冒険者に戻るの?」


 淡々とした声音は、日頃と変わりはない。だが、その瞳がこちらを見ることはなかった。手元をじっと見下ろして、フォークの持ち手部分をころころと弄っている。


「戻るつもりはないよ」

「どうして?」

「平和な暮らしがしたいからだって、何度も言ってるだろ?」


 僕は目いっぱい主張していたはずだ。仮にルゥが僕の身の振り方を確認したがったとしても、そこに疑問が乗ることが分からない。僕のほうが首を傾げてしまった。


「冒険者のほうが儲かるんでしょ? 生活が楽になるほうがいい。明白」

「……今だってちゃんと生活できてるだろう? 十分だ」


 特に何かを節制する必要もない生活だ。悠々自適と言える。少なくとも、ルゥが心配するような生活をしてることはない。不自由させたこともないし、させるつもりもなかった。魔術具を売る生活の目星はちゃんとついている。


「……僕はお金を稼いでない。フェイに養われているだけ。ボクと生活していて、フェイにいいことはひとつもない」

「ひとつもない……?」


 養っていることを過剰に否定するつもりはない。もちろん、僕はそれを実務でチャラにできていると思っているが、真実ではある。だが、この生活に実りがないという発想はてんで意味が分からなかった。


「だって、フェイはボクに魅了されたものになる。ダメ」

「僕は君に魅了されてはいないだろう。ダメも何もない」

「そう思われる。ボクは分かってなかった。想像してだだけ。冒険者は魔族と戦う。話は聞かない。ボクと付き合うのはよくない」


 恐らく、町からの帰りに冒険者に絡まれたときには、実感がなかったのだろう。あの者たちは、僕の知り合いでもないし、ルゥの知り合いでもない。だから、悪感情を向けられても、敵対しているものだと割り切れていた。

 しかし、パーティーメンバーは僕の知り合いだ。仲間だったというものが、僕の意見を聞き入れない。ルゥにも、その異質性。差別の根深さが身に沁みたのだろう。


「ルゥ。よく聞いて」


 へこんでいるのかは分からない。ただ、現状が自分にとって好ましい展開ではないとは理解しているだろう。それだけの社会性を教えたのは僕だ。


「そんなものはもう折り込み済みだ」

「だからいいって話じゃない」


 四人と繰り返した問答と、あまり違いが感じ取れない。これは妙な平行線に陥りそうな気配がした。

 僕は目を細めて、目の前のルゥをじっと見つめる。

 尻尾は地面に垂れていた。角は黒々と輝いていて、赤い瞳は伏せられている。どうしようもなく魔族だ。


「じゃあ、言い方を変える」


 腹立たしく思うのはなぜだろうか。僕がそんな理由で、ルゥを放り出すと本気で思っているのだろうか。他の誰に面罵されようとも、魔族との関係を認められずとも、ルゥにだけは通じていて欲しかった。

 固い声になった僕に、ルゥの視線が持ち上がる。


「……僕は最初に言ったはずだ。君を野放しにはできないと」

「……うん」

「だから、君はここに捕らわれている。自由はない」

「フェイ」


 その声は、僕の言いざまを止めようとするような響きがあった。言い訳だと、方便だと分かっているのだろう。だが、そんなものを相手取るつもりはなかった。


「僕は弟子を捨てたりしない。師弟とはそういうものだ」

「ボクは」

「仕事をすればいいだろう。何のために弟子入りしたんだ? 魔法使いとは魔術具を売ったりして生活しているものだ。そういう生活ができるようになればいい。僕はそれまで見守る義務がある師匠だ」


 どれだけ言っても、空々しいほど言い訳に聞こえてくる。僕自身感じるのだから、ルゥにも届いているに違いない。

 みっともなく縋っているようにも聞こえるだろうか。僕は無性にルゥをここに置くことにこだわりを持っていた。自覚していなかったほどの執着だ。


「……いいの?」

「今まで僕が嘘をついたことがあるか?」

「仲間のところにいるのは普通」

「師弟は仲間じゃないのか?」

「……フェイとボクは種族が違う」

「違っても仲間になれる。違うか?」

「それは、あの人たちには通用しない」

「……彼女たちは、僕の判断を認めてくれると言っただろ? ルゥのことを理由にしようとしまいと、僕の意志を伝えるだけの話だ」


 メンバーが納得せずとも僕の意志が変わらないように、それはたとえルゥがそうであっても変わらない。

 僕が冒険に行かないことと、ルゥと過ごして面倒を抱え込むことは、とてもよく似通っている。空気中の元素が絡み合っているように、密接どころの話ではないかもしれない。けれど、厳密には違う。

 僕の中では明確に違っていた。

 ルゥは納得しているのか。いないのか。口を噤んで、再び指先へと視線を下ろした。からからと音を立て続けていた指遊びは中断されて、フォークが投げ出される。


「一週間後に、決める?」


 理解の有無を告げないまま、確認を取られて苦笑が零れた。どうしたらいいのか分からなくなって、混迷する。

 メンバー相手では、さほど迷いはなかった。仲違いをするような状態になろうとも、僕はさほどダメージを受けない。彼女たちは、最終的には妥協してくれると信用しているからだろうか。それとも、もう未練がないからだろうか。

 だが、ルゥ相手となると話は変わってくる。僕はこの生活を変えたいとは思っていない。


「……そうだな」


 考えては見たが、ルゥの思考は読めず、素直に相槌を打つしかなかった。

 ルゥは無表情で料理を見ている。しばしの間を置いて、顔を上げた。ようよう合った視線は、ルビーのように輝いている。いつも通りで、何を考えているのか分からない。

 これがルゥの通常であったように思うが、今になると途端に困る。これでも表情豊かになったほうだというのに。


「分かった」


 ルゥはそれだけ言うと、食事を再開させた。

 それ以上話すことはないとばかりの態度に、こちらから掘り返せることがない。これもまた堂々巡りになるだけだという気持ちが、尻込みをさせた。そこから先は、何事もなかったように過ぎていく。

 その夜、僕らは一際静かな夜を過ごした。

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