魔の弟子⑤

 横をすり抜けた。その際には目だけが追っているだけだったが、通り過ぎたところで声がかかる。振り返ると、剣士が剣に手をかけているのが見えた。

 僕はほとんど条件反射のように、ルゥの背を押して自分の前へ押し出す。間に挟まるようにマントを靡かせながら、相手側へ向き直った。


「魔法使い、その魔力はなんだ」

「僕の魔力は僕の魔力だけど」

「なぜ、お前の魔力がその亜人からしている?」


 俺の魔力をまとっているのは、受け渡しを食事として定期的に行っているからだろう。

 刃を抜かんと柄が握り込まれる。威嚇にしては行き過ぎていた。明らかな敵対行動に、鼻頭が寄る。

 それは悪手であっただろう。しかし、そうした敵対を無視してしまえるほど、僕は良心だけで生きていない。僕だって、かつては冒険者だった身だ。こうした難癖に即応してしまう反射神経は有している。

 ぐっと握り締めた拳の中に、杖を出現させた。


「僕の弟子だから」

「なんだと!?」


 同じく魔法使いであろう男が、杖をこちらに突き出して声を荒らげる。確実に一線を越えたことは分かっていたが、慌てるつもりはない。

 あちらも魔力を認識できるほどには実力のある冒険者なのだろう。

 だが、こちらも歴戦と呼んでもいいほどに、あちこちの現場で魔族と剣を交えてきた。その賞金でこうした生活を賄えるほどであるのだから、それを知ればこの冒険者たちも歯ぎしりくらいはするだろうか。

 第一線を走っていたパーティーの一員だった。過去の栄光であるかもしれないが、そこで生きて帰ってきた自分の実力はそれなりに自負している。こんな首都から離れた郊外の町を基点にしている冒険者には劣らない。


「魔法使いの尊ぶべき綿々と引き継がれてきた秘術を亜人に教えるとは、裏切り行為にも等しいぞ! 非道だ。卑しい魔法使いめ!」


 同職であるからだろう。その熾烈な主張には、唇が歪んだ。その表情に、男はますますヒートアップした。杖に嵌められた魔石に、魔力が補填されていくのを感知する。

 僕は静かに、木を削っただけの恐ろしく簡素な自身の杖を突き出した。魔法使いがはっと嘲笑する。


「貧相な杖だ。こんなところへ買い物に来るだけの辺境に住んでいる魔法使いらしいな」


 杖は魔法使いの実力が如実に出るものだった。魔石で飾り、そこに多くの魔力を注ぎ込んで魔法を行使するのが通常だ。僕の杖は、一切の装飾がなされていない。罵倒されることもしょっちゅうだった。だが、僕はそんな言いざまをひとつも気にしない。

 しかし、ルゥは違ったようだ。背後に立つ気配が尖った。緩くマントを引かれている。言いたいことがあるが、我慢をしているのか。僕に許可取りをしようとしているのか。律儀で空気の読めることだ。

 僕はそれにはひとつも取り合わず、真っ直ぐに魔法使いと目を合わせていた。


「そうだな。そんな貧相な魔法使いが教えられることはそうない。弟子にするという名目で保護しているだけだよ」

「保護する必要がないだろう。それに、僅かなりともそれは人類の英知だ。お前に実力がなかろうとも、知識の結晶たる書籍などの文献は所持しているんだろう?」


 魔法使いが書籍を持っているのは通例だ。そもそも、師匠より一人前の餞別に送られるものは、書籍だった。だから、どれだけ現状が実力不足であれ、一定のレベルに達したものは書籍を所有している。


「亜人は人類語を理解できないよ」


 ルゥはもう完璧だ。嘘もいいところだが、方便である。ルゥには怪訝を浮かべる状況であったようだが、余計な言葉はない。それだけでも上等と言えるだろう。

 そういえば、ルゥはどれだけ世渡りができるのだろうか。サキュバスであるから、体液を摂取するためには人と対峙することもある。騙し取ることも多いと話していたから、一般には性悪と呼ばれるほどに世渡りは上手いはずだ。

 だが、ルゥのその能力は当てにはならない。行き倒れるほどだ。あまり上手くいっていなかったと予想するほうが容易い。絶対的な情報がないのが、なんとも歯がゆかった。


「ちっ」


 眼前の魔法使いが強い舌打ちをして、魔石に溜めた魔力を消散させる。


「本当にただの保護のためなんだろうな?」

「それ以外に、何ができると思う?」


 僕はわざとらしく、ぶんぶんと杖を振って見せた。まるでパワーのない木の枝でしかないそれは、僕の人畜無害ぶりを示すには十分だろう。

 実際に人畜無害であるかは横に置くとして。


「少しでも不審な動きをしてみろ。次は注意では済まさない」

「分かったよ」


 即答したのがよかったのだろう。男たちは厳しい顔つきではあったが、僕たちを見逃してくれるようだった。


「行こう」


 名を呼ばぬままに振り返って、ルゥの背を押す。ルゥは些か不満な顔をしていたが、僕の誘導に従ってくれた。

 何がそこまでルゥの琴線に触れているのかは分からない。だが、それを表に出さぬ理性には感謝しかなかった。

 サキュバスの力不足で昏倒して以来、魔力制御の手枷のような腕輪は外させている。代わりに与えているのは、細いミサンガだけだ。大きな暴走を止めるには役立つだろうが、日頃の魔力行使を止めるものではない。それを抑え込んでいるのは、紛れもなくルゥの理性であった。

 僕らはそのまま森の奥へと進み、男たちの前から姿を消す。途中で透明魔法を使って、自分たちの気配を絶っておいた。

 魔法を使うのに、杖はとてもいい増幅の魔術具だ。だが、必ずしも魔法の行使に必要な道具ではない。

 大魔法使いなどと呼ばれる師匠クラスの魔法使いは、無詠唱かつ杖もなしで魔法を使う。何が起こっているのか分からないうちに事態が収束していることがあるくらいだ。

 僕にはそこまでの実力はない。やはり、大魔法を行使するのであれば杖は必須だ。だが、それ以外。少々の魔法であれば、杖を利用する必要もない。貧相な杖だろうとも、僕には無関係なのだ。

 実力不足などではないのだと、大言でもなく言えた。


「フェイ」


 完全に男たちの気配が消えたころ。僕らがいつもほうきを隠すポイントに着くと、ルゥがおもむろに口を開く。目線を下ろすと、強い眼差しに射抜かれた。


「どうした?」

「どうしてフェイはやり返さなかった? 向こうが攻撃してきた」

「実際には攻撃されていないだろう」

「罵倒されていた」


 むっと唇を尖らせる顔に苦笑が零れる。その頭をぽんぽんと撫でた。


「なんだ。ルゥが怒ることじゃないだろう? 大丈夫だよ。あんなものは所詮遠吠えだから」

「遠吠え?」


 人類語に慣れたルゥでも、慣用句までは網羅できていないらしい。まだまだルゥにも知らないことがあることに、どこかほっとしている。弟子であるから、自分よりも優れている部分ばかりでは立つ瀬がないものだ。


「くだらない戯れ言だってことだよ」

「それでも、嫌な感じだった。剣も構えていたし、杖も向けてきた。悪い人たちだった。敵」


 ぐっと噛み締めた唇に、八重歯が刺さる。

 痛そうに見えて、目を細めた。鋭利な雰囲気ではあるけれど、それでもルゥはルゥだ。怒っている原因も、僕にとってはそこまで神経質になることではない。

 手を伸ばして、噛みついている唇をそっと撫でた。驚いたのか。反射とはそういうものなのか。ルゥは僕が撫でたところで、唇を緩めた。八重歯が唇から離れたことに安堵する。

 あのままでは、傷ついていたかもしれない。ルゥの回復力ならば、あれくらいは大した怪我ではないだろう。

 これは僕の魔力で復活してから分かったことだが、サキュバスは魔力が満ちているときには回復力も超人的なものになるらしい。ルゥが倒れていた主な要因は、魔力不足だったようだ。普通ならば、食事を摂らずとも魔力のおかげで行き倒れることはないのだという。

 だから、唇を食むくらいはルゥにとってはなんてことはないはずだ。けれど、見ているこちらが痛い。


「なに?」

「そんなに怒らなくていい。僕は気にしていない」

「ボクが気になってる」

「どうすればいい?」

「……」


 ぐうと喉を鳴らす。拗ねている猫みたいな反応だが、怒りは本物なのだろう。尻尾が反応して、立ち上がっているようだ。マントが不自然に膨らんでいた。


「ルゥ、機嫌を直してよ」

「どうして、フェイがそれを言う」

「冒険者はああいうものなんだよ」


 僕だって、ルゥと出会っていなければどうなっていたかは分からない。同じように警戒心を剥き出しにして、討伐に動き出していたかもしれないのだ。

 僕は彼らのことを本気で侮蔑することはできなかった。

 もちろん、ルゥへの言葉の数々は許容できるものではない。だが、だからと言って、一片の躊躇もなく敵認定をして襲いかかれる相手ではなかった。心の底にあるのは、僕もかつては同じだったという強固なまでの感情だ。

 それはルゥに言ったところで、違うと否定されることだろう。

 ルゥは僕がどんな冒険者だったのか。かつて魔族と敵対し、第一線で多くのものを排除してきたのか。その詳細は知らない。彼らよりも、ずっと悪質で一方的な殺戮者であったかのように見えていたことさえあるはずだ。僕のいたパーティーでは、それが普通だった。

 それを説明したところで、見ていないものは分からない。今の僕は、ルゥを保護している無害な魔法使いでしかない。

 ルゥに違う、と否定されて安心したくはなかった。そうして甘えさせられるのは、不本意だ。

 この良心の呵責は、僕が悔い改めるべきものだろう。それを胸の大事な部分に仕舞い込んで、僕はルゥの頭を強めに撫でた。


「彼らは彼らで町を守ろうとしている。分かるか?」

「フェイが結界魔法を使っているのと同じ?」

「大枠では変わらない」

「……そう」


 納得しているのか、いないのか。首が落ちたが、それが頷いたのか項垂れたのかも分からなかった。


「ボクは黙ってていいの?」


 俯いたままぼそぼそと呟く。


「怒ってもいい」

「どうして?」


 ルゥの顔が持ち上がって、眉間に深い縦皺を作る。僕が怒らないのに、どうして自分が許されるのか。そういうような顔色だった。


「ルゥだって罵倒されただろう? それに怒るのは構わないよ」

「なら」

「でも、僕は無事にやり過ごせたことにほっとしてる」

「舐められた」


 プライドの高い冒険者たちのようなことを言う。彼らは勢力を主張し合って、張り合うこともあった。僕らはそれに加わるようなパーティーではなかったが、難癖をつけられたことは数知れない。


「怪我がないほうがずっと大切だ」

「……やり返せたくせに」


 ルゥは僕がどんな冒険者だったかは知らなかった。

 だが、生活していれば、その魔力量は自然に伝わるものだ。特に僕は、飲まず食わずで研究をこなす癖がある。その間、魔力が枯渇することもなく活動できているのだから、ルゥは僕の魔力量を感じ取っているはずだ。だからこそ、確信を持ってこんなことを言える。

 僕は苦笑いすることしかできなかった。


「ルゥが怪我をしたら困る」

「フェイのおかげで、すぐに直る。魔族は強い。いらぬ心配」

「大丈夫なのと心配をしないのは別だよ」

「小さな子どもだと思ってる。ボクはフェイより長生きしてるのに」

「そういうことじゃないよ」


 聞いた話では、サキュバスは生まれて十五年と少し。ブレはあるが、その程度眠りについているのだという。幼いみそらでは体液を補給することが難しいため、繭に守られて眠って過ごすのだ。当のサキュバスであるルゥ自身が教えてくれたのだから、間違いない。

 そして、ルゥは中でも長く眠っていた個体で、二十年近く冬眠していたと言った。つまり、いくら僕より長生きをしていると言っても、その半生は生活を営んでいたとは言い難い。生きた年齢は、僕らの関係にさほど影響を及ぼさないだろう。

 少なくとも、僕はそこに執着するつもりはなかった。


「君は女の子だろう」

「女の子でも、戦闘する。強い」

「そうだな。でも、僕は女の子が怪我をするのを見るのは得意じゃないんだ」

「贔屓? 偏見?」

「さぁ、どっちだろうな」


 それは僕にも断言できない。この感情は差別に分類されることもあるのかもしれないとも思う。

 だが、ルゥはその他大勢とは違うのだ。短期間かもしれないが、共に生活をしている。ただの女の子だった。身内カウントに近しい存在が怪我をするのを忌むのは間違ってはいないだろう。僕の感情はそこまで異端ではない。


「だけど、ルゥは一緒に生活をしている。君が怪我をすれば僕にだって影響がある。それは好ましくない。ルゥだって僕が不規則な生活をしていたら説教をするじゃないか」

「それは不健康だから」

「でも、僕の魔力があればあの生活に不足はない。確かに不規則だけど、眠っていないわけでもないだろう?」

「よくない」

「そうだな。ルゥはそうやって僕を心配してくれる。それと一緒だ」

「……分かった」


 今度はいくらかしょうがないという諦めの態度が漂っていた。

 まるで僕がどうしようもない過保護のようだ。だが、ルゥが何度も倒れたのも本当にことである。多少の過保護はつきものだろう。保護しているのだから、安全を保つものだ。

 何にしても、ルゥはそれで納得してくれたようで


「帰ろう」


 と僕のマントを引いた。

 何気ない仕草だ。

 けれど、縋るような手のひらは温かい。これを守れたのだ、と安堵が広がり、同時に過去の自分の思考に罪の意識も沸いた。

 今日一日で、山のようにした反省を身体に刻み込む。そうして改心してから、ルゥの手を握り込んだ。


「フェイ……?」

「帰るぞ。ほうきに跨がって。前な」

「前?」


 いつもルゥが乗り合わせているのは後ろだ。ぎゅっとマントにくっついている。それでいいと思っていたし、気にしたことはない。だが、今日はやっぱり過保護が強まっているのか。危なかったな、と思考が巡るようになっていた。

 ほうきに跨がって、ルゥを前へ抱きかかえて乗せる。ルゥは日常を逸した行動に疑問は拭えないようだったが、


「これ、しっかり持ってて」


 と研究セットの収まった木箱を渡すと、あっさり矛を収めた。今までのものは何だったのか、というほどにチョロい。

 後ろから抱きしめるようにして飛び立つ。

 柔らかい匂いのする小さな身体を、確固として実感した。これをなくしたかもしれない現実が、今はもう迫っていないことに息を吐く。

 ルゥが無事であってよかった。

 そして、ルゥをルゥと認識できる立場でいられて、本当によかった。僕はその体躯を前に、心を新たにしたのだ。

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