魔の弟子③
ドアベルを鳴らして、慣れ親しんだ店内に入る。オレンジ色の髪を尻尾のように結んでいる顔見知りの店主も、またかというような顔をした。
まったくもって、僕を何だと思っているのだろうか。日頃の行いと分かっていても、思うところはある。
「今日はなんだ? また空の魔石か?」
「それも欲しいんだけど、今日の主目的は別」
そう言いながら、後ろについてきていたルゥの肩を掴んで押し出した。
ぱちくりと大きく瞬いたルゥがこちらを見上げてくる。花飾りのついたヘアピンは、女の子らしくなるものらしい。そうあって欲しいと願ったことなど寸ともなかったが、あどけない顔を見下ろすと女の子らしいとは思う。
「魔法使いの研究セットをこの子に合わせた大きさで一式見繕ってくれるか?」
「へぇ、お前が弟子をとるとは意外だな」
「そんな気になることもあるんだよ」
「弟子?」
ルゥが不思議そうに首を傾げてきた。
研究セットというのは、師匠から弟子にプレゼントされるものがほとんどだ。僕の使っているセットも、師匠が揃えてくれた。なので、セットを購入すると店員に伝えれば、それは大々的に弟子をとったという宣告にも近い。
ルゥは正式にはそうではないけれど、僕はあえて否定するつもりもなかった。庇護した子を連れている理由にもちょうどいいとさえ思ったほどだ。
だが、そこに純然たる疑問を抱いたルゥが首を傾げてくる。
空気を読むことを覚えてくれれば、と思わないでもなかったが、こればっかりは僕が言い訳を用意したいだけの話だ。見た目が女児のものと住むというのは、なんとなく建前を用意しておきたくなる。
「研究セットが欲しいんだろ?」
「弟子になった覚えはない」
「建前だよ」
これを逐一説明してしまっては意味がないが、不本意ながら口にした。
店長が微笑ましそうにこちらを見ている。口出しせずに見守ってくれているのはありがたいが、居たたまれないものは居たたまれない。
ルゥは建前に首を傾いでいた。
「……魔法使いが魔法セットを送るのは弟子相手になるんだ。だから、表面上はそう見える」
「……いいの?」
「何がだ」
建前が欲しいのは、どちらかといえばこちらだ。疑問を投げられる理由が分からずに、顔を顰めた。ルゥは曇りなき眼でこちらを見上げてくる。
「弟子になれる?」
言外に含まれた問いかけが分かったのは、直近でそんな話をしていたからだろうか。
魔族が人の職業になれるのか。空気を読んで直接口にしない賢さを発揮してくるのには、頭が上がらない。
僕は屈んで、ルゥと視線を合わせる。こうすることに何の衒いもなくなった。ルゥも最初のころは不思議そうにしていたが、今では普通のことになっている。こうして、二人の間だけで常識になったことが累々とあった。
「君がなりたいというのなら、僕は断るつもりはないよ」
「弟子って、魔法が使えるようになる?」
「研究の仕方は教えてあげられる」
サキュバスが魔法使いになれるかどうかは知らない。
僕たちの職業は、人間の適性を見極めて選ぶものだ。僕も魔法使いになると自分で決めた。サキュバスにその能力があるのかどうかは僕には分からない。
でも、できることはある。研究は教えられるし、ルゥなら適性があるだろう。師弟関係はあくまでも本人たちの認識の問題でしかない。何かの契約を結ぶわけではなかった。
なので、僕たちが今ここで認め合えば、それで済む話だ。
「欲しかったんだろ?」
「いいの? ヘアピンも買ってくれた」
「遠慮するようなことがあるか?」
「……ないの?」
いつも、遠慮しているのか。それは分からない。不自由なく過ごしているように見える。だが、それが真実であるかは定かではない。わざわざ聞いたりしなかったのは、なるようになっていたからだ。
だが、こうして向き合ってみると、やはり曖昧な部分が堆積していることに気がつく。やっぱり僕は慣れてきた、というところに寄りかかり過ぎていたのかもしれない。
「ないよ」
「……じゃあ、弟子になる」
「ああ、分かった。それじゃあ、よろしくな」
「うん。よろしく」
僕たちはこの生活を始めようというときも、正確に関係を持つような言葉を交わしたわけではなかった。なし崩し的でもなかったが、よろしくなどと挨拶を交わしてはいない。
その交わさなかった挨拶を交わして、師弟という関係を結んだ。
「……話はまとまったか?」
様子を見ていた店長が肩を竦めて確認を取る。僕は立ち上がって、苦笑いをした。
「お願いするよ」
「彼女が扱うのにちょうどいいものでいいんだね?」
「頼む」
「頼む」
「……ルゥ、頼みますのほうがいいかもしれないな」
「フェイがそう言った」
「僕と店主は親しいけれど、ルゥと店主は親しくはないだろう?」
「敬語、というやつ」
「そうだな。使うべき相手だ」
「分かった。……よろしくお願いします」
これもまた、書籍からの知識であるのだろう。そんなマナーについて書いた本など、僕の部屋の本棚にあったのか。ルゥはどこから取り出してきたのか分からない本までも網羅しているらしい。
ぺこんと頭を下げたルゥに、店主がほわんと癒やされたような顔をした。僕よりも年上であると暴露したら、この顔も曇ったりするものだろうか。それとも、ルゥがルゥである限り微笑ましさは消えないものだろうか。
僕は後者に一票を投じる。
「任されました。少々お待ちください」
店主はそう言うと、店の奥へと入っていく。
それを見送ったルゥはゆっくりと僕を仰ぎ見た。妙にお淑やかに見える態度に、首を傾げる。
「ボクの」
噛み締めるように呟かれて、胸を締め付けられた。
ヘアピンなんかよりもずっと喜ぶ。そういったものをプレゼントできたことの満足度と、しみじみと零されたことへの感慨が及んだ。
ルゥが自分のものだ、と真に理解したのは、今なのだと理解する。その瞬間に立ち会うことのできた不思議な感覚に揺れた。
「大切に使うんだぞ」
徐々に瞳が煌めく。実感が伴っているような顔をしているルゥの頭をフード越しに撫でた。
あまりにも定番めいた文句だけど、やっぱりこれがしっくりくる。僕も師匠に同じようなことを言われて渡された。思い出が蘇って、郷愁に襲われる。
「うん」
こくんと頷いた顔には、大輪の花が咲いていた。今まで見た中で、一番輝かしい笑顔だ。こんなところで、と色気のなさには苦笑しかないが、それでもまぁいいかと胸が温かくなる。
和やかな気持ちでいるところに、店主がセットを持って戻ってきた。
「これで大丈夫だと思うけど、ナイフは手に取ってもらっていいかい?」
「はい」
カウンターから乗り出すように声をかけられたルゥは、頷いてナイフを受け取る。使い方はもう学んでいた。ごく自然に構える。
「力は入れやすい? 柄は大きすぎないかい?」
「ちょうどいいです」
「それじゃあ、こっちの革袋を腰につけてごらん」
「はい」
朴訥と返事をしながら、僕がいつもつけている革袋つきのベルトを受け取った。ルゥは僕の腰をまじまじと見つめてから、それを自分の腰回りに装着する。ベルトの調節をしようとする手つきがどうにも危うい。
しばらく格闘していたが、混乱したのか。困ったような顔で僕を見上げてきた。
「大きい?」
「調節できるでしょ? どうやる?」
腰を押さえたままこちらを見てくるのは、どうにも幼い。再度ヘアピンのせいかとも思われたが、これは多分自分と同じ装備が大きくて困っているからだろう。
僕はもう一度、ルゥの前に跪いた。
「触るよ?」
確認をするまでもない。ルゥはそういうものを気にしなかった。だが、僕は魔力を渡した日から気をつけて行動している。大袈裟であるのかもしれない。だが、万一があっては困る。
何しろ、サキュバスなのだ。お互いにその気がなくとも、魔力が発動してしまえば何らかの過ちが起こってもおかしくはない。サキュバスの能力が発動する条件を知らないがゆえに、慎重にならざるを得なかった。
詳細な情報に興味が湧いて、ルゥに取材はしている。だが、感触的なことしか返ってこない。
いや、ルゥが懸命に噛み砕いて説明してくれているのは分かっている。しかし、どう考えても情報不足だ。僕には理解が難しい。恐らく、僕でなくても人間には理解が難しいものだろう。おかげさまで、詳細は棚上げになったままだ。
そんなものだから、接触は探るようになっていた。ベルトともなれば、接触するのは腰だ。淫紋の存在を嫌でも思い出す。僕はそれを意識の外に押しやって、ルゥが支えているベルトに触れた。
ベルト部分をいくらか引っ張って短くする。
「どうだ? きついか?」
「平気」
「じゃあ、これでいいな。もし、不具合を感じたらこっちを引いて長さを調節すればいい。後はこの金具に通して止める。余った部分は垂らしておいてもいいし、ベルト部分に差し挟んでおいてもいい」
僕はベルト部分に差し挟んである自身の格好を見せた。
ルゥはそれをしかと視界に留め、それから倣うようにベルトを装備する。がちゃがちゃと鳴る金属音はやかましくて、手慣れていないのがよく分かった。ルゥの服装は一度買い出ししたっきり簡易的なままだ。もっと洋服も必要か、と脳内にメモを取る。
最初にいくらかの洋服を買い込んだが、どれもこれも素朴なものになっている。ルゥがどれでもいいと言ったので、僕もそれを真に受けて適当に選んでもらったのだ。
今となっては、もっと気遣えばよかったと思う。他人を迎え入れることに余裕が削られていたことを、今更になって自覚した。
それも、そうだ。
あのときは、まだルゥを魔族としか認識できていなかった。サキュバスとも知らなかったし、こんなふうに気遣いのできる性格でもあったとも知らなかったのだ。警戒もしていただろう。
自分も町の連中と大きくは変わりない。致し方のないことだ、とささくれだっていた心が少しだけ落ち着いた。だが、その沈着は好ましいものではない。反省材料にしかならなかった。
「どう?」
しっかりとベルトを装着したルゥが、僕に確認を取る。
そんな必要はないのだけれど、ルゥは今の生活について僕に質問するのが常道となっていた。ヘアピンで見立てるという行為をしたものだから、余計にその意識が根付いてしまったのかもしれない。
「いい弟子だ」
「ふふ」
口元を手のひらで覆い、いかにも嬉しそうな笑い声を零す。初めて見る喜びの仕草に、僕の胸はいっぱいになった。
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