魔の弟子②

「……どういうのがいいんだ」

「しっかりとめられるのがいい。俯くと横が落ちてくるから」

「ヘアピンとバレッタ、どっちがいい?」

「バレッタってどれ?」


 並んでいる商品をルゥは穴が開くほど眺めている。

 そうか、と今更ながらに気がついた。僕にはここに並んでいるのが、ヘアピンやバレッタ、ヘアゴムにコサージュ、簪などの多様な種類に見えている。

 だが、ルゥにはすべて同じに髪留めという括りだ。それでは、どれが自分の目的に合致しているのか判断はできないだろう。

 僕は手近にあったバレッタを手に取って、かちかちと挟む部分を鳴らしてみせた。


「こういうのだよ。髪を結ぶように楽に留められる」

「ヘアピンと何が違う?」

「ヘアピンはこっちだ」


 二つに折れ曲がったピンを手渡すと、ルゥはそれを凝視する。花飾りのついたヘアピンを天に翳した。矯めつ眇めつ、というのはこういうものを言うのだろう。ものの違いは分かったが、使い方が分かっていないらしい。


「刺してみても構いませんか?」


 露店の店主に声をかけると、接客の隙間に許可が下りた。

 ルゥの前に屈み込んで、視線を合わせる。ルゥの手からヘアピンを受け取り前髪を分けると、丁重に髪を挟んでまとめた。

 ものの使い方は分かっているが、使ったのは初めてのことだ。少し手間取って手を離すと、ルゥは前髪に触れながら首を傾げた。そうして、髪の毛がズレてこないことに気がついたのだろう。瞳が爛々と光った。


「バレッタは? どうするの?」

「はいはい。落ち着け」


 一度好奇心が溢れ返ると手に負えない。なぜ、何、攻撃をしてきたように、ご機嫌な声を上げた。

 経過はどうあれ、着飾ることに興味を持ってくれるのは嬉しい変化だ。娯楽を持つには生活が豊かでなければならない。ギリギリ道を外れかけていたことを思えば、相当に健全だった。

 僕はルゥを宥めながら、水晶のチャームがついた銀色のバレッタを改めて手にする。このままではつけられないため、何のけなしにフードを取ってしまった。

 やってしまった、と思ったのと、空気が引いたのは同時だ。波のようなさざめきと、探るような視線が一気に集まる。

 僕は手早くバレッタを戻し、既につけてしまっているヘアピンのお代を取り出した。


「これ、いただきます。このままで。ありがとうございます」


 話しながら、ルゥのフードを戻して立ち上がる。目線で動作を促すと、ルゥは自然な足取りで僕の後ろを着いてきた。

 嫌な視線も同じように粘りついてくる。囁き声に耳を澄ますことはあえてしなかった。せずとも、その悪印象は分かる。大人が子どもの肩を掴んで、その場に縫い付けていた。ルゥが襲いかかるとでもいうような仕草だ。

 ぐっと奥歯を噛み締める。

 過失への自省もひとつ。この世に溢れている偏見に対する不快感がひとつ。ルゥにこんな思いをさせてしまった後悔が最も大きい。

 こうなることは分かっていたから、事前にフードマントを用意していたというのに。あまりにも杜撰な結果に、苦々しさが咥内に広がった。

 そうした悔悟を堪えることに意識が向くと、歩調が疎かになる。ルゥが小走りで隣に並んでくるのを視界に捉えて、慌てて歩調を緩めた。ちらりと横目に見下ろしたルゥの表情はいつも通りだ。

 何も気にしていないのか。こんなことは当然だと思っているのか。その表情からは何も読み取れない。近頃は表情豊かになって、色んな顔を見せるようになったし、上手く笑えるようにもなっていた。その顔色が読めない。

 僕はそれに焦燥感を覚えながら、淡々と自宅への道を進む。


「……勝手に決めて悪かったよ」


 一瞥を繰り返すと目に入るヘアピンは、僕が適当に決めてしまったものだ。花飾りは白い小花がまとめられたもので、可愛く見える。だが、ルゥの好みと一致しているかどうかは分からない。

 自分が失敗したことを理由に、それに決めてしまった罪悪感が遅れて追いついてくる。失態ばかりだ。

 ルゥはいつも通りの表情で、ヘアピンに触れてからこちらを見上げてきた。


「いい。可愛い」

「そうか」

「フェイが買ってくれた。ありがとう」

「……どういたしまして」


 魔族にお金という価値観はほとんどない。だから、ルゥがそれを理解しているのは、日頃の勉強の成果だ。最初に教えたことをしかと学んで、そこから一息に成長した。だから、今のルゥは人間の文化がよく分かっている。

 日常のさまざまを僕が支払っていることを、ルゥは分かっていて感謝を忘れなかった。そして、それは事実であるから、僕は謙虚に応じる他にない。実際にお金はかかっている。

 それでルゥに文句を言うつもりはない。庇護すると決めたのは自分であるから、そういったことは覚悟している。僕は冒険者時代の貯金を取り崩しつつ魔術具を売りさばいて、生活を安定させていた。

 特に苦しいことはない。ルゥは贅沢をしないし、僕だって派手な生活はしていなかった。だからこそ、こういった些細なプレゼントを贈ることもできる。

 そして、その最中に犯した失態は手痛い。ルゥが何も感じていなかったとしても、僕には十分痛かった。


「フェイ」


 僕はルゥの表情を読めなかったが、ルゥから僕の表情は丸見えだったらしい。くいとマントを引かれて、僕は立ち止まってルゥを見下ろした。


「どうした?」


 表情は読めても、気持ちは読めないらしい。ルゥに心の機微を悟れというのは未だに難しいことのようだ。実直に聞かれて、苦笑が零れた。


「君は気にしないんだな」

「何を?」

「亜人だと恐れられている」


 仔細は分からないだろうけれど、あえて魔族と言うのを避けたことは分かったらしい。それは分かったようだったが、そこに込められた僕の感情を気取ることはできなかったようだ。

 ルゥの理解の範疇が、問題に直面して詳らかになる。

 成長著しいのを見守っていたからこそ、見落としていた。僕はルゥのことをよく知っていると妙な自信を持つようになっていたのかもしれない。

 魔力を共有して、距離を縮めている。そうした行動が、盲目的な思考を固着させていたのかもしれない。

 そうして、ルゥはごく自然に言うのだ。


「ボク、魔族。恐れられてこそでしょ?」

「……こそってことはないだろ?」

「でも、強い。当たり前」


 ふん、とどこか自慢げに胸を張る。

 ルゥにとっては、隠すようなことではないらしい。……そりゃ、そうだ。ルゥはただ生きている。

 その種族を当たり前に受け止めているのは、おかしなことじゃない。だが、魔族なのだ。多少なりとも、と思ってしまうのが人間の思考なのだろう。なんと不遜なことか。

 ルゥは魔族でも、普通に暮らしている。世間一般の普通かどうかは不明だが、少なからず僕と過ごせるくらいには普遍的だ。研究漬けの日々は普通とは呼べないかもしれないが、それ以外で突飛なことはない。質素な生活だ。

 ルゥはそう生きている。


「そうだな」

「何を気にすることがある?」

「悪い目で見られるのは、居心地が悪くて嫌な気持ちになるんじゃないかと思う」

「フェイは分かっている。それでいい。他に何かある?」

「……僕が分かっていればいいのか?」


 不思議な充足感に満たされながらも、疑問は抜けない。どういう感情なのだろうか。信頼を得ているにしては、依存的になってはいないか。


「無関係な人が関係ある?」


 僕が思うよりもずっと、ドライな考え方だった。それに安心しているのだから、僕もなかなかひどい。

 自分が抱くルゥのイメージが、魔族が持つ人間を遠ざけるその指向の元に成り立っていることを理解する。それは結局、僕もルゥを魔族として認識していることに他ならない。

 それが悪いわけではないだろう。理解は必要だ。特にルゥのサキュバスという認識は正しく行わなければならない。それを無視しては、生命の危機にさらしてしまう。だから、間違ってはいないのだ。

 けれど、そこには周囲が無責任に抱く魔族の印象も拭えていない。その自覚を今になって突かれた。


「……気にしないなら、いい」

「フェイ、気にしてない?」


 自然に慮られて、渋味が抑えきれない。

 その表情を見たルゥは、僕が気にしていると勘違いしたようだ。ぎゅっと顔を顰めて、心配そうに僕を見た。

 これだって、魔族らしからぬ表情だ。だが、これは僕と過ごしたから発露する方法を学んだだけなのだろう。ルゥの心根がごっそりと入れ替わったわけじゃない。

 ルゥは僕を素直に心配してくれる、ただのサキュバスだった。


「気にしてない」

「まずいって顔した」

「君に余計なことを言って、勝手にものを選んで失敗したなと思っていただけだよ」

「いい。これも気に入る」

「気に入るって……無理にそうしようとしなくてもいいんだぞ」

「使ってれば愛着が湧く? 違う?」


 実感はないのかもしれない。だが、理解力はある。何かで読んだのだろう。すっかり読書家になっているものだから、知識量だけは一人前以上だ。

 僕はやっぱり苦笑いをするしかなかった。


「そうだな。好きになれるかもしれない」

「そもそも、嫌いじゃない」

「そうか?」

「花はいい香りがする。好き。これは飾りだからしないけど、小さいのは可愛い。変?」


 ルゥは自分の感性が人とは違うことを端然と理解していた。そうして、こんなふうに比較することを聞く。そういう意味では、やはり種族が違うというのは理解していなければならない。

 僕はそのうえで、ルゥをルゥとして認識しなければならなかった。他の魔族と一緒くたにしている気はなかったが、改めて心を引き締める。


「変じゃない。僕もそう思うよ。ルゥにも似合っている」

「見えないから分からない」

「家に帰ってから確認すればいい。もう少し買い物して行くから、待ってくれるか?」

「他に買うものあった?」

「少しな」


 買い物に行くときは、購入内容を話し合うようになっていた。

 ルゥが生活部分を担ってくれているものだから、消耗品の具合は僕より詳しくなっている。だから、外出の前には、どこに向かうのか。何を買うつもりなのか。そのどちらもを共有していた。

 それを伝えていない緊急の買い物を言い始めた僕に、ルゥは不思議そうな顔をしている。けれど、僕はそれ以上を伝えずに足を進めた。ルゥは怪訝な顔で、ちょこちょこと後をついてくる。

 質問してこないのは珍しい。だが、僕が一心になると途端に答えなくなることも、ルゥは知っている。研究中に相手をできないことは多々あった。

 だからこそ、ルゥの相手をする魔術機械の研究を急いでいる。

 もちろん、これは僕の趣味だ。これが魔術具に引用できればいいと思ってはいるが、研究のほとんどは自分の好奇心を満たすためにやっている。

 だが、今の研究は半ばルゥのためになりつつあった。自分でも人のために研究を捧げるというのは不思議な気がする。それでも、魔術機械はやはりルゥのためというより他になかった。

 このように日々学んで成長している彼女に、相応の対応をするものを与えたい。自分だけでないものを知って欲しい。それが機械に頼ることになるのはどうにも情けないが、日常生活に取り入れるにはそれしかなかった。

 使用人を迎え入れる余裕なんてものはない。突然ルゥと二人暮らしになったのだ。二人分ならなんとかなるが、人を雇い入れるとなると話は変わってくる。僕には他の手段がなかった。そうなると、自給自足が鉄則だ。

 やはり、魔術機械しかない。

 僕は心を決めながら、いつも素材や道具を買う雑貨店へと向かう。ルゥは途中からどこに向かっているのか気がついたようだ。少し呆れた空気を醸し出していた。

 日々の一心不乱っぷりを思い出しているのだろう。それほど迷惑をかけているか、と苦々しくなった。そう思いつつも生活を変えるつもりは更々ないのだから、僕も大概だ。

 この研究に邁進する生活の基盤は、恐らく師匠に教えられてしまった。そうして身についたものは消えることはない。教わった数々の魔法たちと同じだ。いらぬ習慣を抜く方法も教わるべきだったかもしれない。

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