第三章
魔の弟子①
それから、僕とルゥは少しの間ぎくしゃくして、それからまた日常へと戻っている。
これは僕が研究の生活に戻ったことが大きいだろう。他のことが蔑ろになる僕の世話を焼くことで、ルゥは平常を取り戻していた。
僕を助けているという事実が、気を楽にしているらしい。助けられた分を恩返ししたいようだ。それだけのことで生活が円滑になるのなら、と僕は素直に世話を焼かれている。
その分、研究にいそしめていた。満更悪い生活じゃない。バランスも取れてきて、生活が落ち着いてきた。
そのころには、ルゥも例の食事とも言える魔力補給について僕が起こした事象を察したようだ。
ルゥは
「初めから言ってくれればよかったのに!」
と初めて見る赤ら顔で喚いた。
どうやら、サキュバスであったとしても、羞恥心はあるようだ。それはルゥも初めての感情であるらしい。
普通は、こんなふうに食糧となる人間と親しくなることはない。なので、そんな感情が芽生えるなんて知る由もなかった、と。
その基準で言うと、ルゥは僕と仲を深め過ぎている。
恥部をさらすようで照れ臭かったのに、と不貞腐れた。挙げ句、よほど感情を制御できなかったのだろう。
「魔力を渡すなんて、サキュバスよりよっぽどエロい」
などと、嘯く始末だった。
「精飲と一緒にするなよ!」
「より、ひどい。魔力は普通、体外に体液として放出するものじゃないんでしょ?」
学習がよくよく身についているようで何よりだが、おかげで分が悪い。
「……仕方がないだろ。他に方法がないんだから」
ルゥを生かすためには、ああするしかなかった。無理やりにでも救いたかったのだから、仕方がない。これを言い出してしまったら、ルゥに反駁の余地がないことは分かっていた。
だが、分の悪い勝負についつい口をつく。僕も大概、ルゥ相手に口が緩くなっているのを自覚した。
「分かってる」
ルゥも随分気を許してくれているのか。言葉も表情も緩んだ膨れ面だった。
「悪かったよ」
その子どもっぽい顔を見ていると、素直になるものだ。謝罪を口にして、その頭を撫でる。すっかり綺麗になった髪は艶やかで、指がするりと通った。
「今度買い物に行ったときになにか欲しいものを買ってやるから、許してくれ」
「もので釣ろうなんて安直」
「ないのか? 欲しいもの」
「なんでもいい?」
しおらしいと言うわけではない。しかし、ルゥが何かを欲しいと強請ってきたことはなかった。そもそも、そんな話をしたこともない。
居候生活だ。本当は欲しいものがあったのかもしれない、と確認をしてくる口調から思い直した。
「ああ。世界とか言い出さなければな」
「研究セットが欲しい」
瞳をキラキラさせながら言うことに、思わず頭を抱えそうになってしまう。
こんなものを強請る子になってしまったのは、間違いなく僕の影響なのだ。たまったものじゃなかった。
いや、物欲があるのは何も悪くはない。最初の世捨て人のような状況を思えば、生活だけで手いっぱいではなくなったのはよい傾向だろう。
なのだが、これはどうしたものか。
こめかみを押さえてしまった僕を、ルゥが下から首を傾げながら覗き込んでくる。
「ダメだった?」
「……ダメじゃないけどな」
「けど?」
濁そうとした語尾を捕まえられた。それが接続詞だとも学んだらしいルゥを誤魔化すのは難しくなっている。
「もっと他にないのか? 服とかそういうのとか」
女っぽいの、と口に出そうとしたものは飲み込んだ。そんな凝り固まったイメージ先行の押しつけをするつもりはない。
だが、いくら何でも、研究セットはなぁと思ってしまうところがあった。まるで自分の小さなころの生き写しだ。なんだか居たたまれない気持ちになってしまう。
師匠も僕のお願いには困ったものだろうか。そんな埒のないことを考えてしまった。
「じゃあ、髪留め? とか」
「……髪留め?」
ぐるぐる迷っているうちに、ルゥはさくっと次の思考に飛び立っていたようだ。この柔軟なところが、賢さの象徴であるのかもしれない。
「うん。本を読むときに髪が邪魔だから」
「なるほど。じゃあ、髪留めな」
ルゥは文字を学び終えたところだ。最近の流行は読書で、それもまた疑問があれば僕に尋ねてくる。このごろは、僕ですら回答に困る問いが出てきた。
悔しいので、研究の間にルゥに満足な回答ができるように学び直している。ルゥに煽られるように学びに対する貪欲さが膨らんでいた。まるで師匠のところにいたときのような、落ち着きのない好奇心が跳ね回っている。
それを飼い慣らしながら、魔術機械造りに邁進していた。
その間に、ルゥとともに町へ買い物に出かける。とはいえ、それは買い出しのみという面白味のないものだ。髪留めに気を回すなんて発想は微塵もなかった。
だから、あちこち見て回るような買い物に出かけるのは、随分と久しぶりだ。
ルゥはいつものように、フードマントを身につけている。これを手放すことはできなかった。剥き身でいれば、ルゥが人間でないことは一発でバレてしまう。
町の中にも、純粋たる人間以外の生物がいた。亜人と呼ばれるそれだと、言い切ることはできなくもない。
だが、そう言い切れたとしても、快く受け入れてくれるかどうかは運次第だ。警戒するものもいれば、忌避するものも、恐怖するものもいる。想像できるのは、悪意ばかりだった。世の中は、そう楽観的にできてはいない。
サキュバスの食事事情を魔力で解決できたかのような、簡単な策はそう安易には見つからないものだ。なので、バレないことを第一に町を闊歩する。
ルゥもそれは分かっているのだろう。相変わらず周囲への興味が引くことはないようだが、過剰に挙動不審になることはなかった。
最初のころに比べれば、すっかり落ち着いて馴染んでいる。せいぜい、はしゃいでいる子どもくらいにしか見えない。そう見えると微笑ましいものだから、心が和む。ルゥと町を歩くのは楽しいものだった。
そんなふうに思うほどに慣れきっていたからこそ、油断していたのだろう。それとも、日頃と違う買い物に浮かれていたのかもしれない。
僕たちは、アクセサリーを揃えている露店の前にいた。
「どうだ?」
「よく分からない」
「君が言い出したんだろう」
「でも、分からない。フェイ、どれがいい?」
「どうして僕が決めるんだよ。ルゥが好きなものにしていいんだ」
「……好きなもの?」
ゆーっくりと確かめるように首を傾倒する。ちっとも理解していないようだ。
自分の好きなものが分からない。その事態を哀れに思えばいいのか。それとも、困窮すればいいのか。
そして、聞かれたところで、僕だって女子のアクセサリーを見繕ったことなんて一度だってない。
パーティーメンバーに、武器や装備を見繕ったことくらいはある。ただ、それも半ば無理やりに選ばされたようなものだ。まったく自分の意思であったとは言えない。それを求められても、困惑するしかなかった。
ルゥは僕に丸投げするつもりであるらしい。僕の顔を見て答えを待っている。僕は眉間を揉んでしまった。
「フェイ?」
首を傾げて覗き込まれ、ため息が零れる。ルゥは僕の苦労を感じることはできないようだ。怪訝な表情を崩すことはなかった。
「……好みはないのか? どういうのが便利だと思うとか、そういうのでもいいんだ」
「ボクが選ばなきゃならないの?」
「君が使うんだろう?」
「ボクが使うものでも、フェイのものでしょ?」
普段の生活が裏目に出たかもしれない。
やむを得ないことではあるが、ルゥの消耗品などは僕のお下がりばかりだ。元々、僕のものである。それを共有しているものだから、ルゥがそんな固定観念を持っているのも仕方がないのかもしれない。
だが、ルゥが使っているものはもうルゥのものだ。共有どころか、僕のものだなんてそんな傲慢なことは思っちゃいない。自分がそう思い込んでいるものだから、ルゥにそれを説明したこともなかった。
ルゥはきょとんとした顔で僕を見ている。当たり前のことを当たり前に話しているとばかりの顔だ。
「ルゥのものはルゥのものだよ」
「フェイのでしょ?」
自然界に住んでいるルゥは、持ち物の概念が薄い。だから、理解ができないのか。どう説明したらいいのか見当がつかない。
「ルゥ。確かに前は僕のものだったかもしれないけれど、今君が使っているのはルゥのものだよ」
「ボクの?」
「そう。だから、髪留めは君のものだ。君しか使わない。分かるか?」
「あまり馬鹿にしないで」
ここまで丁寧な確認をしたことは初めてだった。
何しろ、ルゥは普段ひどく物分かりがいい。ひとつ説明すれば納得する。今ほど伝達が難しいこともなかった。だからこそやってしまった確認作業に、ルゥはむくれている。
苦笑をすると、ふんと鼻を鳴らされた。
これに反省をするわけでもなく、人間らしい表情をするようになったものだと思っているのも悪いのだろう。普段は世話をされているくせに、こんなときばかり庇護者の視点になってしまっていた。
「納得してくれたならいい。好きなのを選びな」
「好きなの……」
言い分は理解できたようだが、肝心の好みはすぐさま発見できないようだ。
ぽつりと零したルゥの視線が、商品の上をつるつると滑っている。僕は急かすことなく、それを眺めていた。
女性の買い物が長引くことくらい、計算に入れてある。黙って付き合うものだ。これもパーティーを組んでいたときに学んだことだが、それが生きていた。
まさか僕の将来にメンバーの教鞭が生きる日が来るなんて、予想だにしていない。それも、相手はサキュバスだ。事実は小説よりも奇なものである。
「フェイ」
しばらく検分していたかと思うと、ルゥの視線がこちらを振り仰いだ。今度はなんだろうか、と視線を合わせた。
「どれが似合う?」
ことんと首を傾げられる。先ほどと、仕草は変わりない。何なら、僕に判断を委ねることも変わりがなかった。
しかし、内容が違うだけで、こうも感じ方が変わってくるものかと思う。選んであげなければ、という感情を刺激された。
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