魔の食事事情④
それから半日後。翌日の正午になろうと言うころに、ルゥは目を覚ました。
目を開いたかと思うと、まるで自分が生きていることに驚いたかのように周囲を見回す。ぱちぱちと瞬きを繰り返していたかと思うと、その瞳が僕を捉えた。
活気の戻った瞳に安堵すると同時に、後ろめたさが芽生えて苦々しい。だからといって、そろりと視線を逃がしてしまったのは失態だっただろう。僕の異質性は、ルゥに何が起こったかを悟らせてしまった。
腕輪の外れた手のひらを見下ろして、にぎにぎと力具合を確認する。それは魔力の確認であるとともに、自分の身に何が起こったかの確認と、僕が何をしたかの確認だったのだろう。
それを終えたルゥは、ぴょんとベッドから降りた。いつもよりも落ち着きのない動きは、元気になった証拠だろうか。喜ぶべき証しに気まずさを抱くのは僕の事情だ。ルゥはそのままの勢いで、ベッドから少し離れた椅子に腰掛けていた僕のところへやってきた。
「フェイ」
感極まったような声に聞こえたのは、どういう感情の発露だろうか。
僕の聴力も魔力不足にでも陥ったのかもしれない。察することはできなかった。返事はしなかったが、ルゥは気にも留めない。
「ありがとう」
歓喜に沸いた響きは擽ったかった。
ああ、と相槌を打とうとした声は、そのまま僕に向かって飛びついてきたルゥの身体に途切れさせられる。
何を思ったのか。柔らかい身体が、僕を包み込んだ。ぎゅうぎゅうと触れてくる身体からは、甘い香りがした。
「る、ルゥ?」
「ありがとう、フェイ」
「いや、これは……」
「ありがとう」
縋りついてくる力が強くなる。
僕は少しずつ驚きよりも、怪訝のほうが強くなっていった。
ルゥは理性的な行動を取るほうだ。常識がなくて突拍子もないこともあるが、こういった子どもじみたスキンシップはなかった。
やはり、相当な生命の危機を感じたのだろうか。そう思えば、こうした甘えた態度も分かる。気まずさに視線を逸らしている場合ではなかったのかもしれない。少なくとも、体調の確認は必要だっただろう。おとなげなかった。
反省に、擦り寄ってくるルゥの背を撫でる。後ろ暗いだなんて個人の感情は後回しだ。生死の境から生還してきたものを労おう。とんとんと叩いていると、ルゥの腕が首に回ってきた。
ルゥが幼い容姿であるから楽にこなせているが、そうでもなければ男女の絡みのような様相だっただろう。その視点がまったくなかったわけではない。だが、後回しにしたのだから、と見て見ぬ振りをした。ルゥはそのまま体温を預けてくる。
そして
「ごめんなさい」
と聞き逃してしまいそうな惰弱な声で呟いた。
心臓を針で刺されたような心地がする。
人間のことを理解しているルゥは、人間が体液を差し出すことを是としていないことに気がついている。どれほど実感が伴っているかは定かではないが、僕が積極的にそれを行ったわけではないと分かっているのだ。
それを察させてしまったのは、僕の不用意な所作であるのだろう。そんな失態をしでかしたことへ、罪悪感が塗られていく。僕は堂々としておくべきだった。
ルゥに遠慮や尻込みなど、させるべきではない。彼女にとって、これはただの食事なのだ。そして、ルゥはそれを最初から極限まで隠し通すつもりでいた。
自分のそれが、人間の常識に即していないとすぐに学習して隠していたのだろう。魔力不足の自覚はあったはずだ。でなければ、僕が不調の原因について尋ねたときに、すぐにサキュバスとは答えない。
自分がそうした体調不良を抱えていると分かっていたから、あの段階になってから、ようやく言葉が出てきた。
そこまで伝える気はなかったのだろう。
信用されていないなんて、へこむつもりはない。こんなに気を遣ってもらっていたのだ、とそのことに気分が沈んだ。
だから僕は謝罪を聞かなかった振りで、その小さな背を撫で続けた。
気にしなくていい。大丈夫。僕はルゥが無事でいてくれるなら、それだけでいいのだ、と。
ルゥもそれ以上は何も言わなかった。それでよかったのだろう。僕らは互いの痛みやへこみを慰めるように、体温を分け合う時間を過ごした。
きっと、ルゥは僕が彼女に体液を与えたと勘違いをしている。いや、確かに体液は与えたから、勘違いではない。だが、利用したのはルゥが想像しているようなものではなかった。
体液には魔力も含まれる。
僕は魔力を魔石に注ぐ研究をしている。魔力を注ぐという行為に慣れているのだ。その力が発揮された。ベルトの革袋に常備してある試験管の回復薬に、僕の魔力を混入させたのだ。
かなり濃度の高い魔力を注入し、サキュバスにも効果のある回復薬を作り出した。
手順だけを考えれば、手軽ではある。
だが、人間同士が魔力を混じ合わせるのは、性行為のときだけだ。それを思えば、ばつの悪さや羞恥心。破廉恥さは、実際にそうした体液を与えるのとそう変わりはない。僕からすれば、勘違いという感覚ではなかった。
だから、わざわざ修正することもない。どちらにしても、いずれ分かることだ。
僕とルゥは、その日、そうやって巻き戻すことも難しいほどに心の距離を縮めたのだった。
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