魔の拾いもの⑤
僕の困惑の理由が分からないとばかりに、淡々とルゥが零す。
そうして疑問にされて初めて、僕はようやく自分の考えを自覚した。
僕は今後も、この魔族の世話を焼くことを前提に考えていたのだ。自然にそう思っていたことに驚嘆してしまう。
僕は当初十分に警戒していたはずだし、ずっと魔族とは敵対してきた。諸手を挙げて歓迎なんて、そんな心情など持ち得ていなかったはずだ。それが、今や完全にほだされていると言っても過言ではない。
我が事ながら驚愕に塗り潰されて、僕は呆然としてしまった。
「フェイ???」
「君は行くところがなかったんじゃないのか?」
「そうだけど?」
それが一体、何の問題になるのか。根無し草であることを常識とばかりに問われる。
いくら魔族といっても、住み処はあるはずだ。魔族や魔物であっても、縄張りを持つ。行くあてのないことが、魔族や魔物の常識ということはあるまい。
「……どこに行くつもりだ」
「その辺で住み処を探すつもり。西側の森の最深部にいい場所があると聞いた」
「確かにあそこは、他の生物がいない場所だが、それは魔族であっても住むのが大変だということだぞ」
「どうにかなる」
具体的には何も考えていないようにしか聞こえなかった。行き当たりばったりで、見通しがたっていない。
いくら魔族と言ったって、この世界は甘くはないはずだ。事実、ルゥは行き倒れていた。
実に甘っちょろい発言に、僕は顰めつらしく顔を歪めてしまった。
「なに?」
直截に首を傾げたルゥは屈託ない。これを今更身ひとつで世界に放り出すのはひどく心許なく、人でなしであるような気がした。
「……今のまま出ていってしまったら、元の木阿弥じゃないのか?」
「元のもく……?」
「また行き倒れるんじゃないのか、と言っているんだ」
「そうかもしれないけど、それは普通」
「僕の普通とは感覚が違うな」
当て擦ったわけじゃない。だが、感想はつらっと零れてしまった。
ルゥは首を傾げ続けている。意味が分からない。そういう顔だ。魔族との会話は、やっぱり難しいのかもしれない。
「僕に今の君を放り出す気はないよ」
一方的に言いつけて、再びシャワーを手に取った。
「とにかく、泡を流してしまおう。このままじゃ風邪をひくから」
「そんなにヤワじゃない」
その愚痴が、どこにかかっていたのかは定かではない。
だが、僕は受け流してルゥの肩を掴んで引き寄せた。頭から容赦なくシャワーを浴びせていく。
放り出されても平気だというほど、この子はタフではない。ヤワじゃない、という根拠がどこにもなかった。ただちょっと腕を強く磨いたって、髪を引っ張られたってへっちゃらなだけだ。生活力という点では、下手をすると人間の幼子よりも危うい。
やはり、これをこのまま放り出すことはできそうにもなかった。僕は子を捨てる極悪非道な人間に身を落とす気は更々ない。
それに郊外と言ったって、ここから町まではそう遠くはないのだ。ルゥが西を目指すのならば、近いところを通ることになる。たとえ人を襲わない亜人であったとしても、そんな異物がそばを通ることを、住民は不安がるだろう。
そうだ。
これは保護だ。
住人の安寧のために。女児の生活のために。
僕はルゥを洗い流しながら理論武装していた。本当は、理屈抜きで魔族にほだされていたことに、ちょうどいい理由が欲しかっただけかもしれない。
「よし、いいぞ」
髪を重点的に流し終えて声をかけると、ルゥはまるで犬のようにぶるぶると首を左右に振った。べちべちと髪の束がぶつかり合って、水滴を飛ばす。
「こら」
「乾かさないと」
「タオルがあるから、あんまり野性的なことを室内でやらないでくれ」
外でルゥが個人で活動する分には自由だ。僕が口出しする領分にない。
だが、少なくとも室内では自重してくれなければ困る。身震いのおかげでこちらまで濡れてしまった。激昂するようなものでなければ、実被害だって小雨に降られた程度でしかない。
だが、これは風呂場であるから済んだ被害だ。研究資料を濡らされようものなら、僕はおとなげなく怒っていただろう。
「それじゃ、湯船に浸かって」
「……分かった」
頷きながら、ルゥはつたない手つきで湯船を越えた。僕が浸かって不便のない深さだ。ルゥには多少、深かったかもしれない。溺れるほど大きくはないが、弛緩してたっぷり浸かるには不都合があるようだった。
それでも、ルゥは心地良さそうに目を細める。初めての風呂に悪印象がつかずに済んでほっとした。
それから僕は、少しの間その場から離脱する。タオルや着替えを探して戻ると、ルゥはそろそろと湯船から出ようとしていた。
「もういいのか?」
「熱い」
ぱたぱたと顔を手で扇ぐ顔は、赤くなっている。血色の悪かった顔を知っていると、安堵できる顔色だ。
熱いと言うのだから、これ以上無理に浸からせる必要もないだろう。個人的には短いと思える時間だったが、ルゥには十分だったようだ。
僕は出てくるルゥに声をかけた。
「じゃあ、こっちだ」
脱衣所なんて立派な空間はない。タオルを片してある棚の前にルゥを誘導する。ルゥはやっぱりなすがままになっていた。
おとなしさと奔放さがまぜこぜだ。掴みどころのなさが魔族の気まぐれなそれなのか、ルゥの個性なのかは分からなかった。
「身体を拭くんだ」
そう言って、タオルを渡す。
既に全裸で風呂に付き合った。裸を気にするなんて今更だろうが、拭くためにあちこち触れるのは問題だ。
ルゥはまるで気にしないような気もしたが、やはり僕のほうが気にする。どんなに言っても、女体だ。一切の躊躇なく触れられるほど、図太い神経はしていない。
僕は髪のほうに手を入れた。梳くにはまだまだ難儀する。一度では滑らかさを取り戻さないようだ。
「髪の毛は少し切ったほうがいいかもな。こだわがあるか?」
「ない」
刀のような切れ味の返答には苦笑しそうになった。
冒険者時代にパーティーを組んでいた女性陣は、そういうオシャレにも手を抜くタイプではなかった。切っただの変えたのだのに気がつかないと、甲斐性がないとなじられたものだ。
ルゥにはそういった気を遣う必要はないらしく、ほっとした。
「じゃあ、後で切ろう」
「もう、行く」
「だから、僕は見殺しになんかしないと言っただろ? 少なくとも、体力が回復するまでは逃がすつもりはないぞ」
「回復したほうが、迷惑なはず。その前に、旅立つ」
この無謀な主張は、僕と関わることも含んでいるらしい。魔族らしい考えとはとても思えなかった。
「空腹で近くの町に現れるほうが迷惑だ。僕は君を近くの町から隔離するために確保するんだ」
言い訳に聞こえないように。僕はことさらにゆっくりと重みのある言い方に気をつけた。威厳なんてそうないかもしれないが、少しでも手厳しい正当な理由に聞こえればいいと。
ルゥは身体を拭き終わったのか。胸の前にタオルを抱いたまま、じっと考え込んでいた。
それを横目に、僕はワイシャツを取り出す。ルゥにはワンピースになってしまうだろうが、今はこれで凌ぐしかなかった。マントを巻き付けてとめておくよりは、ずっとマシだろう。
「ルゥ、洋服だ」
出ていくにしても、しないにしても、全裸でいるわけにはいかない。
ルゥだってそれは分かっているのか。無言でシャツを受け取り、タオルをこちらに手渡してきた。ワイシャツを羽織ると、袖をまくり上げて、裾を見下ろす。
やはり、ちょうどワンピースくらいだ。ボタンで止めただけの丈は頼りないが、どうしようもない。幼女にちょうどいいパンツの持ち合わせなんて、あったら変態だ。
服を見下ろしていたルゥが、くわりと欠伸を零す。瞬間、緊張感のようなものが弛んだのが分かった。
「やはり本調子じゃないんだろう。休むといい」
出ていくのは無理だろう、と含ませると、ルゥはじっとこちらを見上げてくる。動物のような観察眼を、僕は真正面から受け止めた。疚しいことは何もない。
「……確保と言った。フェイが、ボクが人に迷惑をかけないように躾ける?」
「躾……?」
言葉を額縁通りに受け取ったようだが、どういう道筋を辿ったのかが分からなかった。思考回路がブラックボックスだ。
「生活に必要なことを仕込んでくる?」
ぼそぼそと付け加えられて、僕はようやく理解した。
これはつまり、生活の仕方を請うている……ということだろう。僕が言い訳めいた言い分をしたものだから、ルゥもそれを用意しようとしたのだ。下手くそだったが。だが、その歩み寄りが心地良い。
「そうだな。ルゥが生きていけるかどうか確認できたら解放してやる」
「……分かった」
こくんと頷いたルゥが、そのまま俯いて固まる。
なんだろう。何かを取り間違っていただろうか。何か不満や不安。不躾なことがあっただろうか。僕は疑義を胸に、その姿を見下ろしていた。
すると、瞳が持ち上がる。赤い瞳は炎のように鮮烈で、煌々と輝いていた。それから、ルゥは不格好に顔をくしゃりと崩す。
「ありがとう」
それが行き倒れていた魔族。人との交流をまったく知らない生物の笑顔だと気がついたのは、しばらく経ってからだった。
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