魔の拾いもの④

「フェイ?」


 僕の仰天はルゥには通じないだろう。ルゥからすれば、僕は突然天井を見上げたおかしなやつだ。

 しかし、待って欲しい。

 いくら魔族といえども、薬液が通じないとは思わないではないか。薬液とはさまざまな効果のある液体で、草花や樹木から精製される。生活には欠かせない薬品だ。

 魔族が採取の目的でエルフの村を狙う事件もあって、魔族だからって知らないものではないはずだった。

 それが分からない。

 ルゥの生活レベルが一息で不安になってきた。そりゃ、行き倒れていたのだから、最底辺もいいところだろうけれど。

 けれど、それにしたって、であった。


「フェイ?」


 もう一度呼ばれて、マントを引かれる。見下ろすと不思議そうな顔がこちらを見上げていた。マントを握り込む手は小さい。

 魔族に抱く感想としてはミスマッチだろう。だが、こうして見下ろすと守らなければならない生き物に見えてくるものだ。

 少なくとも、世話を焼かないわけにはいかない。


「これを水で溶いて、泡を立てて身体を洗うんだ」


 天を見上げていたことには触れず、薬液を手に取る。薬液を手のひらで擦り合わせると、少しずつ泡が立ってきた。

 ルゥは興味深そうにその変化を眺めている。僕が触っているから、危険物ではないと分かったのだろうか。それとも、そうした警戒心よりも興味が先に立ったのだろうか。ルゥの指先が、小盛りを作った泡をちょこんと突いた。

 そうして、指についた白い物体を、じーっと見つめている。観察するような瞳は妖しく艶めいていて、僕としてはそっちの現象のほうが興味深い。

 魔族の瞳は、一切合切魔眼なのだろうか。

 だとしたら、僕はとうに騙されている可能性があるけれど。

 だが、それにしてはルゥは世間知らずをさらし過ぎているし、あまりにも人間に即した感覚過ぎる。魔眼で幻覚が魅せられるとしても、こんなにも僕寄りのものになるとは思えなかった。

 仕組みを知っているわけでもない油断は、ほだされているのかもしれない。

 指を眺めていたルゥが、おもむろに身動ぐ。指を口元へ運ぼうとするので、急いで手首を捕まえた。


「身体を洗うって言っただろ? 食べ物じゃないよ」

「味は?」

「とても苦い」

「フェイ、食べたことある」

「頭を洗ったときに偶然口に入ったんだ。食べ物ではない」

「そう……」

「これで身体を洗って、そこのシャワーで泡を流してから、湯船に浸かる」


 ひとつひとつ、ものを指差し確認しながら指示を出す。これですべて通じるとは思っていないが、少しでも滑らかに届くようにと願った。


「服は脱ぐんだぞ」


 ルゥは分かったと短く答えてから、手早くマントに手を伸ばした。ぐんっと脱ぎ去るスピードには、口を挟む時間もない。あっという間に全裸になってしまった。

 幼女の体躯に思うところはないが、羞恥心くらいは持って欲しい。さすがにまずいだろう。それとも、これは人としての感性だろうか。

 ため息を零す僕を横目に、ルゥは薬液を手のひらに取っている。僕の見様見真似でくしゃくしゃと手を揉んでいるが、上手くいっていなかった。

 ……幼女の風呂を目撃していていいものか。思うところはあったが、ここまで覚束なければもはやペットや何かだ。僕は気持ちを切り替えて、視界の中心に入れようとしていなかったルゥの姿と向き直った。


「薬液が足りないんだよ。もっと使っていいから」


 慎みとは思っていない。使い勝手が分からなかっただけだろう。

 僕はルゥの手のひらに薬液を足してやった。すぐに泡立ちがよくなる変化に、ルゥの瞳が面白そうに光る。何気ないことにここまで感心されると微笑ましい。


「ほら、身体を洗うんだ。僕は髪を洗うから」

「分かった」


 勝手が分からないままのルゥは、僕のなすがままになっていた。

 頷いたのを確認して、薬液を手に馴染ませる。絡まりきっている髪の毛は、ただ洗っただけではどうにもならなさそうだ。どうしたものかと思いはしたが、汚れは落とすべきだろう。

 とりあえず、と気合いを入れて髪の毛に指を入れた。ごわっと迎え入れられて、少しも指が通っていかない。汚れが頑固過ぎるのだろう。泡立ちもよくなかった。それを些か強引に押し進める。


「痛くはないか?」


 どうしても髪を引っ張ってしまうことになる。頭皮は鍛えようがない部分だ。

 不安になって尋ねると、ルゥは


「平気」


 と気にしたところのない平坦な声で答えた。実際痛くとも何ともないのか。身体を擦る手つきも随分と力任せだった。


「そんなに強く擦ると赤くなるぞ」

「でも、キレイにするならこれくらい必要」

「薬液には汚れを落とす成分があるんだよ。そんなに力を入れなくても大丈夫だ。一回ですっきりしなかったら、もう一度でも使えばいいから」

「……高くない?」

「薬草は育てているから、調薬すれば問題ない」

「ちょーやく」

「薬草を煮出して液を取り出すんだ。それを鍋にかけて、グツグツ煮込む。色味が変わってきたら、他の薬草を刻んでもう一度煮詰める。それを繰り返して精製するんだ」

「……フェイは薬師なの?」

「魔法使いだよ」


 薬師は知っているのか。ルゥの知識レベルがよく分からない。


「ああ……だから、魔石をこんなにたくさん使える」

「そういうことだよ」


 魔石を使うのは一般人でも可能だが、一度にたくさんとなると魔法使いの素養が必要になってくる。フェイにも、考えれば思い当たる知識があったらしい。


「薬液はボクでも作れるの?」

「具合が分かればできるようになるんじゃないか」

「どうすれば身につく?」

「覚えたいのか?」


 ごしごしと手を動かしながら、会話を続ける。一度シャワーで流して、二度目の洗髪に移った。

 ルゥはその間、おとなしくしている。こんなにも無防備で、魔族として生きていけるのか不安になった。

 行き倒れていたのだから、生きていけていたのか怪しいけれど。


「使ったぶん」

「補填してくれるつもりか?」

「等価交換。当然。ご飯も、狩ってくる」

「何を狩ってくるつもりだ?」

「鳥だったでしょ? 鳥」

「この辺りに、食肉できる鳥はあまりいないよ」

「……? なんでも食べられない?」

「人間には無理かな」


 毒性のある魔物の鳥のほうが多い場所だ。小鳥はいるが、食肉には向かない。僕はここに越してきたとき、養鶏をしようかと考えたくらいだ。


「じゃあ、何? 木の実??」

「食べられるけど」

「けど? いらない? 何ならいい?」

「補填は考えなくていいよ。ほら、しっかり流すから口を閉じて」


 ルゥはまだ何か言い募ろうとしていた気配があったが、取り合わずにシャワーをぶっかけた。一度目は流しきれなかったものを、丁寧に丁寧に洗い流していく。

 改めて細かなところにも目を向けていると、角の存在がひどく目を奪った。硬いものだ。これは何なのだろう。皮膚か何かが進化したものなのか。

 謎の突起物は、気になって仕方がない。研究者魂を擽られて、思わず指を這わせてしまった。


「ひゃう!?」


 今まで聞いたことのない甲高い悲鳴を上げたルゥが飛び上がって、僕から距離を置く。頭頂部を押さえて、壁に背をつけて僕を睨んだ。


「何した?」

「悪い。触れただけだが……」

「よくない」


 ルゥは詳しい説明をしてくれなかった。本人も分からない身体の仕組みなのかもしれない。だが、拒絶は明確だ。


「悪かった。二度目はない」


 ルゥは真偽を確かめるように見つめて、垂れている尻尾を胸元に抱く。


「しっぽもダメ」

「分かったよ。他に気をつけることはあるか?」

「……知らない。ニンゲンは分からない」


 ルゥは少し考える素振りを見せたが、見当がつかなかったようだ。馬鹿正直な回答が返ってくる。これには、僕も納得してしまうより他になかった。こっちだって、魔族は分からない。


「じゃあ、その辺りはおいおい詰めていくってことで」

「おいおい??」


 イントネーションが絶妙におかしく、呆れて突っ込むような音になっている。そのくせ勢いがないものだから、素っ頓狂な会話をしている気分になってしまった。


「後でってこと」

「後って?」


 今までの知識レベルよりかなり低いところを尋ねられて困惑する。眉を顰めると、ルゥはきょとりと首を傾げた。


「これでおしまい、でしょ?」

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