魔の拾いもの③

 魔族が何を食して生活しているのか。それだって多種多様であるから、聞いてもいない彼女の主食を僕は知らない。

 それに、もし聞いていたとして、人間かそれに相応するものを口走られても困る。僕は無難に鶏肉と野菜を調理することに決めた。

 鶏肉は胡椒を振って、魔石の熱で焼いていく。固形物を受け付けない可能性も考えて、野菜は細かく刻んでスープにした。それから、白パンだ。残り少ないひとつを取り出して、プレートに並べる。コップにスープを入れて、プレートの上で鶏肉を細かく切った。

 それを手に、寝室へと戻る。彼女はベッド脇に積んでいた僕の本を捲っていた。


「読めるのか?」


 言いながら、狭いサイドテーブルにプレートを置くと、彼女の目が本からプレートに移動してきた。


「ニンゲンの言葉は読めない」

「じゃあ、見ていても面白くはないだろ。ほら、食べるといい」


 よしと言われた犬のように腕が伸びる。

 しかし、すぐに我に返ったようだ。毒や食材への警戒を思い出したのか。カップを手に取る手は、そろそろとした慎重なものになった。そうして手にしたカップを胸元に引き寄せると、口元まで持ち上げてくんくんと匂いを嗅ぐ。


「いい匂い」


 感想は独り言だったようだ。相槌を打たなかったが、彼女はお構いなしにカップに口をつける。

 両手で包み込んで、カップを傾ける姿は微笑ましい。彼女はその柔和さにそぐわないほど、ぐびぐびとスープを呷っている。戦いを終えた宴中の冒険者でも、なかなかそうはならない食いつきっぷりだ。

 口に合ったのなら、それでいい。

 行き倒れていたものだ。今は行儀だなんだを言ったところで、野暮というものだろう。そう控えめに見守っていたが、鶏肉を食そうとする彼女を看過することはできなかった。


「ちょっと待て」


 思いきり素手で鶏肉を掴もうとしている彼女の手を止める。甚だ意味が分からないという顔が僕を見た。


「フォークを使ってくれ」

「……これ?」


 彼女はフォークをぐーで握り込む。いくら容姿が幼いといっても、それにしたってつたない持ち方だ。


「そうだ。刺して使う」


 僕が鶏肉の上に刺すような仕草をすると、彼女は真似してフォークを肉にぶっ刺した。かつりとプレートとフォークがぶつかる音が鳴る。彼女はそれをじっと見つめていた。


「食べていいぞ」


 促してやると、彼女はフォークを口元に移動させて口に運んだ。もぐもぐと唇を動かしながら、フォークを矯めつ眇めつしている。初めておもちゃを手にした子どもみたいだ。

 そのまま咀嚼を続けながら


「生じゃない……」


 と彼女は小さく零した。


「焼き肉を食べたのは初めてか? 口に合わないなら食べなくてもいいよ」


 彼女はそう言う僕を見て、フォークを見て、肉を見て、また僕に視線を戻す。


「おいしい」


 初めて明るい顔をした彼女は、それだけ言うと鶏肉にかぶりついた。下手な手つきでどうしようもないが、一応フォークを使って食事している。

 スペードの形を先端に持つ悪魔のような尻尾が、ゆらゆらと持ち上がって揺れていた。犬猫の尻尾と、感情表現は同じだろうか。外から見る限り、喜んでいるようだった。

 そうしてフォークを置いた彼女が、お腹をさする。


「……足りなかった?」

「分からない。久しぶりだった」


 自己申告が当てにならないのは、だいぶ困った。僕が他人の腹の具合を知れる由もないし、魔族のことだ。予測も立てられない。

 困惑が伝わったのか。彼女は


「おいしかった」


 と感想を漏らした。

 気でも遣ったのだろうか。腹具合が知りたいというところに返ってきた見当違いの言葉に、緩い笑いが漏れてしまった。


「何?」


 魔族だと気を張っておくことも、取り越し苦労ではなかろうか。そう思うほどに、彼女は普通だ。


「いや、なんでもない。口に合ったのならよかった。動けそうか?」

「暴れるの?」

「立てるか、と聞いている」


 上半身は起こせているし、腕は動いている。だが、目覚めてからそれほど時間は経っていない。現状を確認しておきたかった。

 彼女はおもむろに毛布を退けて、立ち上がろうとする。ベッドの上で立とうとするので、床へ導くと、ベッドの縁に腰をかけてから足を下ろした。緩慢な体重移動で立ち上がる。ほんの少しふらついたが、その後はきちんと二足で直立できていた。


「これなに?」


 彼女は立ち上がったことで、ようやく全身に意識が向いたのか。自身の身体を見下ろして、その身を包む布を摘まんだ。


「まさか服を知らないとは言わないだろ? 僕のマントだよ。緊急だったから、適当に留めているだけだけど」

「……お前、やっぱりお人好し」


 またそれか、と苦笑が零れる。そして、お前とぞんざいに呼ばれたことで、未だに名乗りもしていなかったことに気がついた。


「お前じゃなくて、フェイガウス。フェイガウス・マービンだ」

「フェ……マービ?」


 魔族とは名前の構成が違ったのか。それとも、単純に聞き逃したのか。首を傾げて零される半端な名前に苦笑した。


「フェイでいいよ」

「フェイ!」


 心得た、とばかりに復唱される。なかなか悪くないものだ。


「ああ。君の名前は? 分かるか?」


 思わず、あるのか? と尋ねそうになったものを、舌の上で軌道修正した。

 僕らは魔族のことを魔族と呼んだり、種族名で呼んだりする。しかし、魔族に名がないと思うのは、あまりにもひどい決めつけだ。そんな当たり前のことを、今になって思い至った。


「ルゥ」


 短くて簡潔。彼女の口調を表しているかのような名だ。

 愛称なのか。本名なのか。……真名なのか。僕には確認のしようがない。だが、名を疑うなんて思考は褒められたものではないだろう。僕は問いを重ねることはしなかった。


「そうか。じゃあ、ルゥ。動けるようなら、次は風呂に入ろうか」

「フロ?」


 知らない単語を舌で転がす。そんな響きを持っていた。


「……水浴びといえば分かるか?」


 思いつく変換をすると、彼女……ルゥはこっくりと頷く。


「髪も整えたほうがいいだろうけど、まずは綺麗にしなくちゃな」


 綺麗になるのは嬉しいのか。水浴びを理解して気持ちよいものだと思い出したのか。ルゥの表情が明るくなる。


「それじゃあ、こっちだ」

「川がある?」

「ないよ。水場があるんだ」

「ボクはそんなに小さくない」

「?」


 意味が分からずに首を傾げて振り返ると、ルゥもこちらを見上げて首を傾げていた。


「お湯はたっぷりある」

「??」


 説明したというのに、ルゥはますます怪訝な顔になる。


「来れば分かるよ」


 どうしようもなくなった僕は、手っ取り早い方法を採った。

 ルゥもそのほうが早いと悟ったのだろう。僕の後ろをとことことくっついてきた。

 そのルゥが早足なことに気がついて、歩調を緩める。それもそうだ。ルゥは僕の腰か腹。それくらいの身長しかない。

 ルゥはきょろきょろと家の中を眺め回していた。貴重な素材はあるかもしれないが、ルゥの気を引くものはないだろう。それでも、人間の暮らしが気になるのか。視線はせわしなく移動していた。


「こっちだ」


 放っておけばいつまでもきょろきょろして進展がなさそうだったので、肩に手を置いて浴室を示す。

 思えば、意識があるルゥに触れたのは初めてだったが、ルゥは騒いだり威嚇したりはしなかった。お人好しだと舐められているのでは、と疑義を抱かずにはいられなかったが、都合はいいのでそのままにしておく。

 示したにもかかわらず、ルゥは動き出そうとしない。僕はそれを無視して、湯船にお湯を張っていく。

 魔法で水を流し込み、湯船の下に置いてある魔石に魔力を通して湯を沸かしていると、ルゥが隣から覗き込んできた。


「これは?」

「魔石に炎属性を付与してある。ここに魔力を通して、湯を一気に沸かすんだよ」

「そんなに沸かしてどうする? 煮て食う?」


 赤い瞳に鋭さが入り交じる。

 なかなかにエキセントリックな発想だが、魔族とすれば平常なのか。ここまでそんな気配がなかったものだから、インパクトがあった。


「水浴びだよ」

「お湯で?」

「お風呂と言っただろ? 水じゃ冷たいじゃないか」

「それが普通」


 野生で生きているものの感性だ。行き倒れるような生活を考えれば、納得も想像もいく。


「人間は温かいお湯に浸かるんだよ。手を入れてみな」


 恐る恐る、ルゥが湯船に指をつける。沈められた指先は、ほんの数センチにも満たなかった。しかし、ルゥは心底驚いた顔をする。


「ぽかぽか」

「ここに入るんだ」

「ボク?」


 ここに至っても理解してなかったかのように首を傾げられて、頷いた。ルゥは僕を見て、湯船を見て、僕を見てから自分を見下ろす。


「いいの?」


 遠慮や配慮という概念があるのか。あまりに人間的な発言に内心驚きが隠せない。しかし、それはわざわざ口に出すことではないだろう。僕の魔族に対する偏見でしかない。僕は黙って、もう一度深く頷いた。

 するとルゥはそのまま入り込もうとばかりに湯船に手をかけるので、慌ててマントを引っ張る。


「ちゃんと脱いで洗うんだよ。ここに身体の洗浄用薬液があるから、いいように使って」

「……薬液?」


 きょとんと目を丸くされて、天を仰いでしまった。

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