魔の拾いもの②

 相当小柄な魔族だ。

 ダイニングにあるソファの上を整えれば横たえられただろう。しかし、行き倒れたものを粗末な場所に寝かせるのは良心が咎めた。その良心に従って、彼女を寝室へと運ぶ。

 彼女には十分な大きさのそこに身を横たえ、漏斗で薬液を強制的に飲ませた。癒やし効果のあるものだ。魔族にどれだけの効果があるかは分かったものではないが、何もしないよりはマシだろう。

 それから、せめて触れても許されそうな箇所のみ、濡れタオルで汚れを拭い落とした。

 長い髪もできるだけ梳いてやりたかったが、絡まりがひどい。寝かせたままでは、上手くいきそうにもなかった。諦めて、療養を第一として寝かせておく。

 ベッドの横に椅子を置いて、彼女の様子を見守った。

 客観的に見ると、やけに親身になれるお人好しのように見えるだろうが、そうではない。彼女が目覚めたときに、不測の事態を起こされては困る。

 我が城と呼ぶべき大事な自宅だ。破壊などされてしまっては、僕は宿無しになってしまう。そう思えば、彼女から目を離すことはできなかった。

 森で倒れていたときよりも、呼吸は深く落ち着いたようだ。胸が上下しているのが目視できる。

 一体どれほどで目覚めるものだろうか。そして、目覚めたときどう対応したものだろうか。彼女は何者だろうか。

 魔族が行き倒れる、というのはそうあることではない。

 魔族が人々と共同生活を送れないとされているのは、人間が食糧となり得るからだ。人間同士だってゼロではないだろうが、それは大飢饉など、やむにやまれぬ事情があるときだけだろう。

 魔族は違う。

 生まれ持った傲慢さで、人間を簡単にほふる。すべてがすべてというほど全知しているわけではないが、そういうものだ。そうして食糧とする。

 故に、我が国でも人間と魔族の争いが続いていた。

 勇者と呼ばれる冒険者一行が、魔族との抗争を続けているような日々だ。……まぁ、ここまで郊外に引きこもっていれば、そんなことに関わることもないが。

 だからこそ、現状には困惑している。

 魔族を倒したことはあるが、保護したことはない。彼女が特殊な事情を抱えているだろうことは明らかだ。たとえ人間であっても、行き倒れの保護なんてろくなことにはならない。それが魔族なのだ。輪を掛けた厄介ごとであることは目に見えていた。

 角に尻尾。魔族か。亜人か。

 亜人は人間を食料としない人間以外のすべてだ。魔族との違いはそれだけで、あくまでも人が区別しているに過ぎない。

 そして、魔族の種類というのは多岐に亘る。特徴もさまざまであるし、また特徴が被る場合もある。一見で判断できるものではないし、してはならないのが冒険者の鉄則だ。

 勝手に警戒の範囲を狭めて隙を突かれることがないように。大切なのは後れを取らずに退治することだ。冒険者とは、そういう生き方をしている。

 だからこそ、細かな判断材料を持っていなかった。

 これは怠慢かもしれない。ときに賢者とも呼ばれる魔法使いとして、勉強不足であろう。彼女の種族が判別できないことで、今こそ深く反省した。

 僕はその反省を生かすべく、寝室に並べているいくつかの本を手に取る。魔物や魔族について書かれた書籍だ。種族が分からなければ、この先どう対処すればいいのかも分からない。やれることはやるべきだろう。

 もしくはそれは、彼女と向き合うことを恐れた現実逃避であったのかもしれない。

 そんなことをしているから、僕は詰めが甘いのだ。書籍から目を上げると、こちらを見つめる魔族の赤い瞳と目が合った。


「うわっ!?」


 勢い逸らした背に釣られて、椅子の前足が持ち上がる。がたりと音を立てた僕を、彼女は凝視していた。

 彼女はそのままリアクションを寄越さない。その間、僕も身動ぎすることができずに、無駄に三十秒ほど見つめ合うことになってしまった。


「……言葉は分かるか?」


 たっぷりと時間をかけて僕の口から出た声は、随分と掠れている。まるで、風邪でもひいて喉を痛めたかのようなありさまだった。

 彼女はつぶらな垂れ目を瞬く。

 それから、


「ここは?」


 と、噛み合わないようで会話になり得る言葉を返してきた。少なからず、今すぐ襲われることはなさそうだ。


「僕の家だ。君は僕の家の結界に無断侵入して、行き倒れていた。体調はどうだ?」

「身体がだるい」

「他は?」

「力がでない」


 ぼそりと呟いた彼女が、手をぐーぱーと開いて力を確かめている。そして、違和感の正体に気がついたようだ。


「これのせい?」

「すまない。僕がつけさせてもらった」


 身体に触れたついでに、両腕に一定以上の魔力が放出できない腕輪を嵌めさせていた。手枷のようなものだ。見張り以外の策を講じることも忘れてはいない。

 しげしげと腕輪を確認した彼女は、僕を見て首を傾げた。


「ニンゲン?」

「……ああ」


 頷くと、彼女のほうも納得とばかりに頷いてくる。


「魔族、相容れない。仕方がない」


 それだけで分かる。彼女は、かなり理知的な魔族だ。


「君の正体がしれなかったんだ。すまない。暴れないと約束できるのならば外してもらって構わないよ」

「……お人好し?」


 たったこれだけのことで評価されるのも釈然としないけれど、僕自身そう思う。もしかすると、彼女以上に自分の甘さを痛感しているかもしれない。


「そうだな」


 肯定したことで、彼女は驚いた顔になった。

 よもや、肯定するとも思っていなかったのだろう。我ながら驚いているのだから、彼女の驚きにも納得というものだ。

 彼女はしばらく腕輪を眺めていたが、しかし、外すことはなかった。どうやら理性を強く持っているらしい。


「……君はどうして倒れるに至ったのか記憶があるか」

「食事が見つからなかった」


 何とも明快な理由だ。順当に過ぎる……むしろ、人間らしくさえある理由は理解できることではあるが、納得はいかない。人を襲えばいいだけの話だ。

 黙ってしまった僕に、彼女は眉を顰めて苦い顔をした。


「魔族にだって、そういうことはある」


 怒りだろうか。厳つい顔つきに僕は苦笑を零した。決めつけるような思考はよろしくないものだろう。


「すまない。それで、君はどこへ行くつもりだったとか、何をするつもりだったとか。具体的なことは?」

「行く場所はない」


 また答えはシンプルだが、今度は油断できない内容で渋くなった。

 彼女は目を伏せて、そっぽを向く。やはりワケアリだったか、と頭を悩ませた。今更と言えば、それまででしかないけれど。


「分かった」


 ひとまず、そう言うしかなかった。これからのことは何も出てこないし、考えることも今は煩わしい。

 彼女は今まで以上に驚いたようだ。瞳をまん丸にして、まじまじと僕の顔を観察してくる。

 僕が一体どんな対応をすると思ったのだろうか。自分の外見がそれほど外道に見えているのだろうかと考えてしまいそうだ。


「とにかく、食べるものを持ってくる。ご飯にしよう」

「いいの?」

「仕方がないだろう」

「パワーがついたら暴れるかもしれない」

「それを自己申告してくるものは暴れない」

「分からない」

「自分の力が制御できないなんて言うつもりか?」

「言葉だけで信用するなって話。口でなら、何とでも言える」

「そうか。それじゃあ」


 そう言って、僕は椅子から立ち上がる。

 彼女は注意深く僕の行動を見張っていた。弱っていても、警戒を怠らない本能のようなものはあるらしい。

 しかし、その動作こそが彼女の頭脳を感じさせる。目的もなく暴れたりすることはなさそうだ、と。

 普通の魔族……少なくとも、僕が対面してきた魔族たちに、他に対する忌避など見当たらなかった。その圧倒的な力で、いつでものせる相手だと認識されている。どれだけ敵対し、危害を加える相手であったとしても、強敵との対峙くらいにしか思ってなさそうだった。

 ただ、彼ら……やつらとこうして冷静に言葉を交わし合ったことなどない。本当のところは分かったものでないが。


「僕は君を口でなくともどうとでもできるから、心配いらないよ」


 それは大言というものだった。いかに死線を乗り越えてきた冒険者でも、おいそれと口にできることではない。

 彼女がその身に似合わぬ膨大なパワーを宿していることもあり得る。何があっても大丈夫だなんてことは、絶対になかった。

 しかし、ここでの発言は彼女の隙を生むためだけのものだ。唖然とする彼女に文句も言わせず、僕は寝室を出て食事の準備へ向かった。

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