第一章

魔の拾いもの①

 世界中を旅する冒険者だったころ。魔物や魔族の遺留品。ダンジョンなどで手に入れたお宝で荒稼ぎをした。

 悪事に手を染めていたわけではない。

 冒険者はランクが上がれば上がるほど活躍の機会が増える。それに伴う賞金や、手取りの金額は荒稼ぎと呼ぶほどのものになっていくものなのだ。

 そうして稼いだお金を元手にして、僕は郊外の森に小さな一軒家を購入した。木造の家は1LDK。リビング兼研究室と寝室。たったそれだけの、広くもない物置のように慎ましい家だ。

 しかし、それは魔法使いの隠れ家として申し分のない家だった。僕はこの秘密基地のようなわが家を気に入っている。

 近くの町の住人からは、若いのに隠居した老人のようだと言われることもあった。

 変わり者の魔法使い。

 そんなふうに噂になっていることは知っている。だが、そうして俗世から切り離されるくらいがちょうどよかった。そのために郊外の家を買い取ったのだ。町の人の評価もあながち間違っちゃいない。

 人のいない森の中で、心乱されることなくひっそりと暮らす。

 それが僕の求めたものだ。時間にも何にも縛られることのない安穏とした生活。幼いころ、故郷の村で過ごしていた時間によく似たもの。そうした生活に憧れていた。

 そして、僕は今その生活を堪能する日々を送っている。

 目が覚めて一番にすることは、森の一角に作った薬草の庭園から摘んできたハーブでお茶を入れることだ。

 外気に触れて、肺を新鮮な空気で満たす。そうして、魔石で沸かしたお湯に茶葉を入れた。蒸すのを待つ間に、テーブルに広げっぱなしの研究資料に目を通す。

 時間に追われることなく没頭できる魔術研究に、目処なんてものはない。昨日の続きに胸を躍らせながら、淹れ終えたハーブティーで脳を覚醒させた。

 爽やかで癖のないこのハーブには、リラックス効果があるとされている。僕はその液体を身に行き渡らせて、研究道具をテーブルに準備した。

 そうはいっても、室内の手に届く範囲に道具は揃っている。鍋も試験管も、精製した液体が入ったままに置かれていた。本棚から溢れた資料も、研究結果を記した用紙も、所構わず積み重なっている。

 自分の通り道だけを確保した雑然とした室内は、整理を怠らなかった師匠が見たら憤慨することだろう。

 研究をするのならば必要な道具もきちんと取り扱え、というのは師匠の教えだ。散らかして、貴重な素材をなくすような愚行を犯してはならない、と。

 しかし、僕にとってみれば、この雑さこそが有機的配列だった。どこに何が収納されているのか。僕にはすべてが把握できている。

 今日も僕はそこから道具を取り出して、研究に心ごと沈み込んだ。

 現在研究しているのは、魔石に込める魔力量とその効果、及び発動条件と効果の持続性。僕はまとめて魔石の研究と呼んでいるものだった。いくらしてもしたりないほどに、研究の終わりが見えない。

 だが、難問であればあるほど研究は楽しいものだ。余力を研究につぎ込む。冒険していたときには叶わなかった生活を送っている。

 これが今の僕の幸福な生活だ。

 鼻歌が零れそうなほどに心地良い気持ちで、研究の手を進める。

 今日こそ何かの成果が出るだろうか。そうして胸を弾ませていた僕に、予期せぬ緊張が走った。

 ビリビリと身体に微電流が走ったような感覚は、自宅の周り。敷地としてくっついてきた森に張り巡らせた結界に何かが触れた警告だ。

 やむなく、研究の手を止めた。

 警告は続いている。結界は魔除けにしてあるので、魔物や魔族、野生動物などの侵入を許さない。結界に触れると、すぐに去って行くように設定してある。それでも離れなければ、結界に干渉する限り警告が鳴り続ける仕様だ。

 それが続いていた。これほど持続性があるとなれば、意図した侵入者でなければおかしい。

 防護用、攻撃用と用途の違う魔石をいくつか腰の革袋に補給し、ほうきを片手に部屋を出た。

 敷地内はそう広くはない。徒歩でもすぐに結界の境界線には辿り着く。だが、僕はほうきに跨がって移動を開始した。上空から、反応のあった方向へと侵入者を確認しに行く。

 警告は未だに続いていた。

 長過ぎる。ここに住んで半年ほど経つが、これほど長引いたことはなかった。敵の可能性が高い。

 冒険者を引退してからこっち、実践もすっかりなくなっている。緊張感が高まった。不意を突かれても対応できるように気構える。

 見下ろした地表に、黒い塊を発見した。

 しばらくの間見下ろしていたが、その塊は指一本とも動く気配がない。こんな郊外の森の中だ。存在している生物は、魔物や魔族の可能性のほうが高いだろう。

 しかし、ここまで身動ぎひとつしないとなると、行き倒れた冒険者――人間という線も捨てきれなくなる。

 どちらにしても自分のテリトリー内のことだ。対処しないわけにもいかない。

 僕はじりじりと降下して様子を見る。ほうきの巻き起こす風が物体の影を揺らすほどに近付いてみても、その物体は動かない。

 しかし、その物体は油断ならぬ生命体であると目視できてしまった。

 物体は人型をしている。一見すれば行き倒れている人間でしかない。だが、目をこらさずとも、その異様さは視界に飛び込んできた。

 絡みついてボロボロの濃い紫髪の中。頭上に黒々とした角が生えている。同じように真っ黒な尻尾が、地面に這い伸びていた。

 魔族だ。亜人かもしれないが。

 何にしても、無害な種族とは呼べない。

 僕は空中に停滞して、黙考する。丸く蹲っている魔族は、やはり微動だにしない。無害とは呼べないかもしれないが、無力ではあるだろう。

 僕は十分に観察をしてから、地面へと降りた。

 慎重に近付くも、生物からは反応はおろか、生気すら感じ取れない。いくら魔族であっても、見て見ぬ振りはできずに、その身に触れて脈を取る。

 華奢な手首からは僅かな脈が感じ取れ、近付けた口元からは微弱な風を感じた。侵入者に跳ね上がっていた緊張が僅かに緩む。

 生きている。

 それはそれで別の問題が浮上するが、自分の敷地内で生物の死を見届けたくはない。

 しかし、そう安堵もしていられる状態ではなかった。問題は、この生き物をどうするのか、という差し迫ったものだ。

 煤けた身体を観察しようとして、魔族が女性であることに気がついた。女性というよりは、女児と呼ぶべき体躯ではあるが。魔族の年齢は外見と比例しないので、その辺りの判別はつかない。

 とにかく、異性だ。

 いくら検診のようなものだとしても、全身をくまなく見るわけにもいかないだろう。

 魔法使いという役職についたときから肌身離さずつけているマントを外して、魔族の身体を包み込んだ。

 どこもかしこも折れそうに細くて、尋常でないほどに軽い。行き倒れであることは間違いなさそうだ。

 どうしようもない。

 ここまでして改めて放り出すほど、腐っているつもりはなかった。

 覚悟であるか。諦念であるか。短く息を吐き出して、彼女を抱き上げて立ち上がった。

 ほうきが自立して、僕の後ろをついてくる。魔法使いの移動手段たるほうきは、相棒のようなものだ。そいつが、そばについてきてくれる。

 いくつもの修羅場をくぐり抜けてきた。そのどの場面でも、僕と一緒にいたほうきだ。こいつがあれば、まぁどうにかなるか、という気持ちになってくる。あくまで僕の魔力で自立しているだけで、意志があるわけではないけれど。

 今度こそ、覚悟の息を吐く。

 僕は彼女を抱えて、自宅への道を進んだ。

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