第二章

魔の食事事情①

 師匠の苦労を今更のように実感している。

 僕は十三歳のころ、魔法について学びたくて師匠の家に転がり込んだ。魔法を学ぶための居候だったが、魔法についてだけでなく、日常生活のあれこれも叩き込まれることになった。

 それまで家のことはせいぜい手伝いしかしたことなかったが、それは本当にささやかなことだったのだと思い知らされたのだ。僕はあまりにもポンコツだっただろう。

 あらゆる注意を受けながら、僕はひとつひとつできることを増やしていったのだ。そうして独り立ちするころには、魔法だけではなく、日常生活も立ちゆくようになっていた。

 師匠には感謝してもし足りない。その念はしかと心に根を張っていたけれど、自分が家に未成熟な他人を匿うことになって、しみじみと実感している。

 師匠はスパルタな教育方針だった。できるまで放っとかれたし、気に食わないとリテイクを食らわせるし。そんなやり方ではあったが、よく放棄せずに世話をしてくれたものだ。

 ……途中から、僕が師匠の日常生活を支える役目になっていたものだから、放棄する気にならなかっただけかもしれないが。

 だが、師匠はきちんと師匠をやってくれていたのだ。

 面倒な部分のある師匠で、僕が気苦労を抱え込んでいるだけでは? 当時はそう思うことも多かった。感謝はしていても、それとこれとは別だ。それがこれだけ感謝のほうへ天秤を傾けることができるようになるのだから、何事も経験してみるものらしい。

 ルゥとの生活は、七転八倒だった。

 まずもって、人間と魔族の常識が違う。そのうえ、ルゥは幼いくせに独り身でいたものだから、知識が変に偏っていた。

 ルゥが何を分かっていないのか。それすらも分からない。擦り合わせに複数の段階が必要になってくる。この手間をかけながら、人間の生活を少しずつルゥに教え込んでいった。

 手始めに髪を切って整えようとした際にも、ハサミを構えられることにルゥは過剰反応をした。

 凶器でなければなんなのか、と。それを宥めて、ハサミは人間がさまざまな作業をするのに利用するものだと言い聞かせる。それだけでもかなりの時間を費やして、まばらなロングヘアをセミロングに落ち着かせるころには、すっかり夜も更けていた。

 次はベッドだ。ルゥは床でもいいと言い、せめてソファと呟けば、部屋中を見渡す。どれがソファか分かっていない顔に、僕は薄茶の革で作られたソファを指差した。

 ルゥはそれを見つめて、ソファに近付いていく。すとんと腰を下ろすと、目が丸くなった。いくら使い古しているとはいえ、バネの入ったソファはただの椅子よりもずっと座り心地がいいだろう。


「ここでいい」

「……いや、ベッドに入ってくれ」

「どうして? 十分」


 ルゥは身体を横たえて、スペースも問題のないことを示す。

 それはそうなのだが、これから毎日ソファというわけにはいかないし、ルゥはまだ病み上がりのようなものだ。いくら家主と言えど、のうのうとベッドを占有などしていられない。

 ルゥはいい寝床を見つけたとばかりに、身体を丸めて楽な体勢を探している。


「ルゥ、ベッドに行くんだ」

「じゃあ、フェイはどうする? ここじゃ狭い。床?」


 それは至極真っ当な問いかけだ。

 確かに、ルゥからベッドを奪ってもいられないが、かと言って僕に代わりの寝床があるかと言われればなかった。


「……今日は研究をするから問題ない。そのうち別の手段を用意しよう」


 最悪、床でもいい。マットレスと毛布でも買い込んでくればいいのだ。スペースの問題はあるが、部屋を片付ければなんとかなる。


「寝ない?」

「一晩くらいどうということはない」

「ニンゲンは弱い」

「平気だよ」


 ずっと続くと言うのなら僕だって無理だが、一日・二日くらいどうってことはなかった。研究で徹夜をすることなんてしょっちゅうだ。言葉に嘘はない。

 しかし、ルゥは納得できないのか。頬に空気を溜め込んで、こちらを睨みつけてくる。


「ボクがダメなのに、フェイがいい理由は何?」


 賢いのも考えものだ。そう思ってしまったのも仕方がないだろう。もっと幼くて言われるがままなら、この先もずっと楽だったはずだ。

 僕は小さく吐息を零す。


「僕は大人だし、健康だから」

「ボクだって子どもじゃないし、健康だよ」

「行き倒れていたものは健康とは言わない……って、子どもじゃない?」


 僕はソファにコンパクトに収まっているルゥをまじまじと見つめた。

 そりゃ、魔族の年齢は不詳だ。外見と実年齢が釣り合わないことも多い。だが、ルゥの姿形はどう控えめに見ても女の子だ。幼女は多少言い過ぎであったかもしれないが、小柄であることに違いない。


「ボク、二十四年は生きてる」

「……年上じゃないか」


 思わず、頭を抱えてしまった。

 この生活も困難で、見目も幼い子が自分より年上。処理に困る。今までそんな知り合いがいたこともなかった。


「フェイは何歳?」

「二十歳だよ」


 摩訶不思議な気持ちのこちらとは裏腹に、ルゥはあっさり納得しているようだ。魔族は年齢にこだわらないという話は、どうやら本当のことらしい。


「しっかりしてる」

「君に言われたく……いや、合っているのか? とにかく! 年齢はとにかく、今のルゥは健康とは言わない」

「風邪とか毒とか、そういう影響はない」

「栄養が足りないのは不健康だと言うんだ」

「寝不足も不健康」


 すぱんと言い切られて、手に余った。しかも、的を射ているものだから、言葉につまってしまう。


「そうなったらよくない。フェイ、ベッドで寝るといい。研究はほどほどにすべき」


 その諌め方は、僕が師匠にしていたものとよく似ていた。

 研究に集中して止まらない。そんな状況になった師匠をベッドに入れるのは、大仕事だった。自分がそれを言われる立場になるとは、人生とは数奇なものである。


「分かった。ソファで休むと約束するから、君はベッドに行くんだ」

「……質問」


 荒技でも納得させるつもりだったが、几帳面に断りを入れられると無視するのも難しい。僕は視線で質問内容を促した。


「どうして一緒じゃいけないの?」


 僕はぽかんとルゥを見つめる。

 まったく考えなかった案だった。当たり前だろう。僕は男で、ルゥは女だ。端から除外していた。改めて突きつけられて、考えてみる。

 ルゥは少女だ。もはや、ペットみたいだとさえ思った。そんな子と一緒ならば、構わないのではないか。そんな考えがよぎる。

 だが、だからといって即決できるかは別問題だ。風呂で一緒になっておいて今更かもしれないが、覚悟は簡単に決まらない。


「ダメなの?」

「……ダメとは言わないが」

「じゃあ、それでいい。ここはフェイの住み処。遠慮することはひとつもない。ボクは……えっと、いそーろ?」

「……居候か?」

「そう。それ。枝」

「枝?」


 住み処と繋がりのない素材の登場に、首を傾げる。ルゥは我が意を得たりとばかりに自慢げな表情をしていた。


「渡り鳥が休むやつ」

「止まり木?」

「そう言うの? じゃあ、それ。一時的な休み場所だから、フェイはボクに遠慮しない」

「……分かったよ。約束する。ただし、君は君で下手な遠慮はしないこと。疑問があればすぐに聞いてくれ」


 思えば、これが運命の分かれ道だったのかもしれない。僕がそうして許可を出したことで、ルゥはなんでなんで星人になってしまったのだ。


「分かった。じゃあ、寝る」


 休んでくれるならば本望だし、その時点で不足は見当たらなかった。僕はあっさりとルゥの言い分に負けて、ベッドへともに入る。

 それから、ルゥと過ごす質問攻めの日々が始まったのだ。

 数日後には、ルゥを連れて町へ向かった。ルゥを町に連れていくのに不安はある。底知れない。だが、まだ自宅に独りで残すのにも不安があった。

 何しろ、質問攻めは早速僕の研究にも手を伸ばしてきたからだ。

 そりゃ、僕の家に一番溢れているものは研究資料や研究素材だ。目に入れば、興味も湧くだろう。何も知らずに雑に扱われるよりは、と懇切丁寧に答えた。

 正直に言えば、研究の話ができることにテンションが上がっていたかもしれない。そのテンションに身を任せて、立て板に水状態で解説をした。

 そのせいか。ルゥはすっかり研究に興味津々になってしまったのだ。ともすると、日常生活よりも興味を持たれてしまって、大変な目に遭うようになってしまった。

 そんな興味の権化のような状態のルゥを置いていくことはできない。

 素材や道具を無茶苦茶に扱うほど迂闊だとは思わないが、まったく無関心でいられると信用できるほどには下積みがなかった。

 だから、仕方なしに僕はフードつきのマントで角と尻尾を隠させて、ルゥを町へと連れ出したのだ。

 ルゥは町並みに刺激を受けてか。落ち着きなく視線を蠢かしている。その不審さに周囲から目を向けられることはあったが、魔族として不審な目を集めている様子はなかった。

 ほっと重荷を下ろして、僕は生活用品と食料を買い足していく。ルゥは洋服へはまるで興味を示さなかったが、食料品にはかぶりつくように興味を示した。


「何が食べたい?」


 そう尋ねてみると、ルゥは並んだ食材を見て、ごくりと生唾を飲み込む。美味しそう、という言葉が飲み込まれたかのようだった。


「どれ?」


 目移りし過ぎているのか。どうしたらいいのか、とばかりの瞳に見上げられた。

 こうして窺うような、縋るような態度を取られると、やにわに庇護すべき子のようの思える。

 年上だが。


「どれでもいいってわけにはいかないけど、好きそうなものがあれば教えてくれ」

「そんなのいいの?」

「食べないわけにはいかないから同じだ」

「予算は?」


 買い物という概念が、今日買い物を始めるまでルゥには備わっていなかった。しかし、ほんの少し町を歩いただけで、それを理解している。やはり、知能は高いのだろう。予算を気にかけるところまで思考が飛ぶのだから、秀でていた。


「そうだな。三〇〇カイまでだ」

「三〇〇? 一〇が三〇?」

「ああ」


 数字も分かっていなかったが、研究資料に数字はつきものである。

 最低限の教えは、ルゥの脳みそにスポンジのように吸収されていたようだ。頷くと、ルゥは手を使いながら食材と睨めっこを始めた。


「あれは何の肉?」

「熊だな」

「野性的」

「ルゥには馴染み深いか?」

「うん。違うのはない?」

「あっちは、羊や豚、牛だ。牧場で育ててるような生物の肉は自然界にはあまりないだろ?」


 魔物がいる外界では、一般的な草食の野生動物はそう生きられない。飼育環境下で育てて下ろされるのがほとんどだ。野生で出会うのは至難の業だろう。

 実際、ルゥは知らなかったのか。感心したような顔で、店先の肉を見つめていた。


「じゃあ、あの牛にする。後は果物と山菜がいい」

「山菜っていうか野菜な。魚はいらないか?」

「何がいい?」

「僕が聞いてるんだけど」

「魚はあんまり採れない。毒沼しかなった」

「ああ……分かった。じゃあ、適当に見繕うぞ」

「予算オーバーにならない?」

「ならない」


 ルゥは即答した僕を見上げた後、自分の小さな手を見下ろす。そのまま、指を何度も折ったり伸ばしたりしていた。数えているつもりなのだろうが、計算は上手くいっていないようだ。


「……難しい」

「帰ったら計算を教えてやる」

「文字も教えて。本を読む」

「難しいぞ」

「いい」


 即断だ。どうやら本気らしい。食らいついたら離れないことは、既に十分思い知らされている。不毛なやり取りをするつもりはなかった。

 了承してやると、ルゥは嬉しそうに顔を歪める。相変わらず、笑顔が下手くそだ。今までそんな感情を顔に出すことなく生きてきたのだろう。それは僕の深読みなのかもしれないけれど。

 ルゥは楽しみを待ち侘びる顔で、僕の隣を歩く。買い物以上にテンションをぶち上げているようだった。

 知的好奇心が高いのは、研究気質のある僕と相性はいい。そのときは、確かにそう思った。

 どちらかと言うと、好ましいとすら。

 しかし、毎日のように付き合わされると、疲弊もしてくる。勘弁して欲しい。泣き言を言いそうになることもある。

 だが、同時に、自分の研究欲が満たされているのも分かっていた。

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