魔の存在②


「フェイ!」


 そう叫んだのは、ルゥだけではなかった。

 攻撃したのはそっちだろうと思ったが、まさか僕がここまで身を挺するとも思っていなかったのだろう。

 人と魔族の関わりに対して反省したばかりの僕には、当然のことだった。

 僕が怪我でその場に膝をついたことで、彼女たちも動きを止める。叫び声の後に残されたのは静謐だった。

 そして、その静けさをぶち壊したのはルゥだ。一目散に僕のそばから飛び出して行く。ざっと血の気が引いた。


「ルゥ、ダメだ」


 攻撃をするのでは、と考えたのは仕方がないだろう。

 それは不自然ではない。反撃しようとするのは人間としても不思議ではないのだ。魔族であるルゥにその反射があってもおかしくはない。そもそも野性的な生活をしていたのだ。反撃はしてしかるべきだ。

 しかし、ルゥはそのままニーアの後ろにあった棚へと飛びついた。がちゃがちゃと薬液の段を漁ってから、息せき切って僕の元へ戻ってくる。


「何してる? 早く、回復薬飲む」

「あ、ああ。麻痺してるんだよ」

「麻痺? いつもの回復薬でいい? 治る?」

「ああ」


 声だけで肯定すると、ルゥはすぐさま僕のベルトの革袋に手を掛けて、回復薬を取り出した。試験管を口元に傾けられて、どうにか回復薬を飲み込む。じわじわと自分の中に魔力が補填され、回復力が強まるのを感じた。

 ルゥは僕の火傷痕に、薬液を垂らしていく。それから包帯をぐるぐると巻いた。不器用なそのやり方は、しかし思いやりに溢れている。


「これでいい?」

「ああ、すぐによくなる」

「他は何かいる? 必要?」

「ないよ」


 僕の手当に目処がついたとルゥは理解したようだ。だからだろうか。僕から視線を外したルゥが、緋色の目を夕日のように強く滾らせて、彼女たちを睨みつけた。ぐると喉が鳴り、八重歯を剥き出している。


「お前ら、何? フェイ、傷つける」


 口調がいつもより荒く直線的になっていた。ギラギラと神経を高ぶらせて、尻尾をピンと天へと掲げている。手を床について、四つ足で飛び出す動物のように姿勢を構えた。

 彼女たちは、ルゥの行動に当惑しているようだ。おろおろとどうしたらいいのか分からなくなっていた。そうして沈黙しているものだから、ルゥはどんどん剣呑な雰囲気を強めていく。


「怪我させた。ダメ」

「ルゥ、ストップ」


 今にも飛び出すのでは、と危惧が高まったところでその背中の服を引いた。ルゥは憤った瞳で僕を睨みつけてくる。


「なんで?」

「大丈夫だからだ。そっちも、もういいだろ」


 とんとんとルゥの背を撫でながら、彼女たちを睨み上げた。

 ルゥの治療行為も、彼女たちを収める一助になったのだろう。メンバーはそれぞれに武器を収めた。




 そこから、一端落ち着くまで数十分の時間を要した。

 何より、ルゥの威嚇が収まらない。尻尾を立て続けて、パーティーメンバーの動きから一瞬たりとも目を離さなかった。僕はすっかり回復しているけれど、どうやら気持ちは収まらないようだ。

 一方で彼女たちの動揺は収まったようだが、その表情はひどく硬い。思うところあり、という感情が透けて見えていた。

 片付けたテーブルの周りに、僕とルゥが隣同士、テーブルを挟んで四人がまとまっている。全員が一辺に収まっているわけではないが、便宜上対峙している形だ。その中間にあるテーブルに、メルがお茶を並べていく。

 早速仕事をこなしてくれるのはありがたいが、こんなはずではなかったという気持ちが強い。

 零れそうになるため息を堪えて、背筋を正した。ここで話を進められるのは、僕しかいない。あちらからすればルゥ贔屓に見えるかもしれないが、平静ではあるはずだ。


「……それで、何なの?」


 僕が糸口を探している間に口を開いたのはアカネだった。いつだって僕らの行動を決めていたリーダーだっただけのことはある。しかし、声には険があって、リーダーの取りまとめというよりは責める口調だった。


「噂の弟子だよ」

「魔族を弟子にするなんて聞いたことないよ」

「しかも、魔力を与えるなんて、何を考えてるんだ?」

「だから、弟子を育成しているんだ。保護している」

「意味が分からないわ」


 取り合うつもりがない言いざまには辟易する。


「幼い子を保護するのは間違ってないだろ?」

「ロリコンだったの?」

「そういう話じゃないよ」

「そもそも、ロリじゃない」

「そこはいいよ、ルゥ」

「フェイは時々、ボクを舐めてる」

「舐めてるわけないだろ。弟子だから、気にかけているだけだ」

「年上なのに」

「師弟関係になったんだから、それこそそれは無関係だ」


 彼女たちをよそに言い争いを始めた僕らに、戸惑いの視線が投げられた。

 恐らく、四人の中で魔族の印象が変わることはない。常に倒すべき敵だと認識していることだろう。僕だってそうだと思っていたくらいであるのだから、今なお冒険者である四人にしてみれば常識のはずだ。

 だが、ルゥはその常識にある魔族からかなり道を外れている。僕を助けたこともそうだが、こうして言い争いをすることもそうだった。僕が平等に取り扱っていることは、切々と伝わっているはずだ。

 しかし、折り合いはつかない。そんなものだから、絶妙に不気味な雰囲気を醸し出しているばかりだった。


「とにかく、ルゥはちゃんと理性的だし、僕を襲ったりはしない」

「……それは理解してあげますけど、だからってこのまま見過ごせるかって言うのとはまた別問題ですよ」


 反発した顔で腕を組んでいるのは、ヒーラーのサティだ。ふんわりとした折り目正しい敬語とのギャップが凄まじくて、過酷さを体感する。

 そして、他のメンツもサティと同意であるようだ。


「そうだぞ。他の誰をどうするかの判断はできかねる。それに、今は大丈夫だとしても、この先どうなるかも分からない。感情が高ぶれば制御不能になることもあるかもしれないではないか」

「それを言い始めたら、冒険者だって同じだろう? 制御不能を言い出すのはあまりにも理不尽だよ」

「影響力を考えるべきよ」


 魔族。サキュバスが制御不能になったら、一体どんな影響力があるのか。確かにそれは考えておくべきことだろう。

 正論だが、恐らく主眼が違う。僕は適切に対応するべく、策を用意しておくほうがいいと考えていた。

 しかし、彼女たちは対応するのではなく、そうなる前に対処しろと言っている。根本が食い違っているばかりに、どこまで行っても平行線だ。


「……だからこそ、野放しにはしてないだろ」

「自分のことを埒外に置いちゃダメだよ」

「僕は平気だ」


 僕の瞭然とした声に、彼女たちは多少面食らったようだ。僕が敵に対して、ここまで自分の実力を誇示したことはない。

 だが、同様に僕が一概にやられないであろうことも、彼女たちには想像できるはずだ。

 たった今、彼女たちをいなそうとしたこともそうであるし、冒険しているときでさえも、陰に回った覚えはない。僕がどうにかしようと思えばどうにかしてしまえることを最も理解しているのは、彼女たちだ。


「だからって、私は反対だ」

「そもそも、そんなに実力に自信があるのなら、また冒険者をやればいいのよ」

「そうだよ。弟子なんてらしくもない」

「僕のらしさを君が決めないでくれ」


 僕がそういう面倒見の悪い態度を取ったことがあるだろうか。むしろ、彼女たちの日常生活の部分を支えていたのは、僕であるような気もする。そういう部分を転用すれば、僕が弟子をとることもなんら不思議はないはずだ。

 まぁ、近頃はルゥに世話されてしまっているが、それはいい。


「冒険者に戻ることは考えていないのか? ずっと隠居生活をするほどの蓄えがあるわけじゃないだろ?」

「魔術具の売買で生活はしていける」

「二人分をまかなって余裕があるの?」


 はぁと吐息が零れる。

 これは冒険者の悪い癖でもあるが、その日暮らしであるがゆえにか、金遣いが荒いものは多い。それでなくとも、付き合い上、冒険の後の宴には参加するし、回復薬や武器、防具にお金もかかる。

 熟達した冒険者になればなるほど、実は金銭感覚が高額なほうにおかしいのだ。


「余裕だよ。自給自足もしているし、ルゥだって狩りができるしね」


 食事のひとつに、ルゥが狩りで取ってきたものが含まれるようになっている。そして、書籍で学びを得たことで、庭の手入れもできるようになったし、自然から薬草を採ってくることもできるようになった。

 二人で細やかに暮らしていくには、何ら問題はない。


「刺激もない。そんな生活でいいのか?」


 彼女たちにとっては、今の僕の生活は味気ないものに見えているのだろう。僕にとっては、日々発見に溢れているし、こうして実験の成果を出すこともできている。

 これもひとつは、ルゥのおかげだ。十分刺激的だし、変化はある。


「十分だよ」

「……どうしても戻ってこないつもりなの?」


 僕一人が抜けたところで、戦力不足に陥る連中ではない。……抜けたのは盾の男もであるから、一人ではないけれど。けれど、それだけで抜かるとも思わなかった。


「そんなに僕を惜しんでくれてるとは思っていなかったけど、弟子の育成があるから冒険に出るつもりはないよ」

「私たちとは一緒にいられないってこと?」


 放り投げられた質問は、多少の痛みを伴っていたかもしれない。僕は心苦しくなって、瞼を伏せた。


「そうは言っていないだろ」

「ドラングと同じことを言うの?」

「ドラングは、怪我で脱落しただけだろう」

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