第5話 訓練初日

 翌日、俺たち犯罪奴隷は朝早く騎士団の訓練場へと集められた。訓練場には既に屈強な騎士たちが列をなしている。どことなく漂う緊張感に俺は息を飲んだ。


 この王宮には2つの騎士団が存在する。一つは国家に絶対的な忠誠を誓い王宮や王族を守る青の騎士団。もう一つは国民に剣を捧げ民の暮らしを守る赤の騎士団。同じ騎士団でも、中世を誓う相手が異なることでその性格はかなり違うものらしい。青の騎士団は言うなれば絶対的な法の正義。国家の決まりに背くものは国家の敵であり反逆者。どんな者でも法を犯せば最後、絶対に償わせる。


 赤の騎士団は民の生活と命を守る国民の正義。目の前にいる騎士たちは皆、この赤の騎士団の人たちだ。赤いマントを羽織っているため分かりやすい。彼らが俺たち犯罪奴隷を卑下しないのは、俺たち犯罪奴隷も国民の一人として捉えているからだとサムが言っていた。赤の騎士団は国民を苦しめているこの国の法律に反対派であるようだ。

 

 ここに入ってから知った話だが、ここに集められた犯罪奴隷たちは皆、奴隷になった原因が理不尽な法による者達だ。人を殺めたり、盗みをしたりという本当の悪い行いをした者は一切いない。サムが言うにはこれは赤の騎士団が行う国民の救済措置なのだそうだ。国民に寄り添うとは言え、青の騎士団は国家組織。表立って国家の法に逆らうことはできない。だから彼らは、法の裏をかいてできる範囲で国民を救おうと動いているのだという。


「お前たちの出陣は1か月後に決まった」


 そう言葉を放ったのは赤の騎士団アレクサンドラ騎士団長だった。彼の言葉に周囲は澱めく。


「想定よりも予定が早まった。後一か月でお前たちは戦場で生き残る力を身につけなければならない」


 低く地に響くような声がその言葉の重みを増幅させる。俺はゴクリと唾を飲み込んだ。


「お前たちが行くのは血も涙もない戦場だ。そこは弱肉強食の世界。弱いものが死に、強き者が生き残る」


 騎士団長の青い瞳が鋭い光を放つ。それは戦地を知る人の顔だった。


「我々青の騎士団はお前たちが生き残れるように全力で指導を行う。生き残りたい者は死ぬ気でついてこい」


 その言葉に俺は拳を握りしめる。出陣まで残り1か月。それまでに俺は戦場で生き残れるくらいの実力を身に着け、尚且つ、功績を残せるようにならなければならない。戦いどころか、剣すら握ったことがなかった俺がそのレベルにまで到達するのはかなり至難の業だ。先の見えない不安が俺を襲った。


「まずは基礎訓練だ。1週間で戦場を生き抜くための体力と精神力を鍛える。クロード、準備を」

「はい」


 クロードと呼ばれた騎士は団長の声に合わせ、周りの騎士に指示を出す。すると、騎士が一斉に木の桶を持った。俺たち犯罪奴隷は一体何事だと首を傾げる。


「やれ」


 その瞬間、茶色い液体が宙を舞い俺たちの身体を濡らした。突然の出来事に周囲の奴隷たちはどよめく。


 いつの間にかクロードと呼ばれる騎士が大きな箱の近くに移動し、その箱を覆っていた布を取る。そこには大量の鷲が入れられていた。クロードの手によってその鷲たちが一斉に檻から放たれる。鷲は目をぎらつかせながら俺たちに向かって飛んできた。


「その液体には鷲が好む血の香りがついている。襲われたくなければ全力で逃げろ」


 俺はこの鷲を知っている。この国の北部に生息する獰猛な猛禽類で、遊牧民の敵の一つだ。鋭い嗅覚を持ち、血の匂いがすれば真っ先に飛んでくる。怪我をした羊を少しでも放てば、すぐにその羊はあいつらの鋭い嘴と爪によってずたずたにされるだろう。


 びゅんと空気を切り裂きこちらに向かって飛んでくる鷲。俺は咄嗟にそれを避けた。狙いを外し宙に舞った鷲だが、すぐに方向を転換し、こちらに再び向かってくる。それに気を取られていると、今度は背後にいた鷲が不意をついて襲ってきた。俺は間一髪のところでそれを躱す。次々と襲ってくる鷲。ほんの数分で俺の呼吸は大分荒くなっていた。


 訓練場に奴隷たちの悲鳴が響く。皆、痛い思いをしたくない一心で、必死に鷲から逃げ惑っていた。躱しきれなかったのか、顔に傷がついているものもいる。一回のダメージはそれほどでなくても、何度も受ければかなりの傷になりそうだ。


「その匂いは日が昇り切るまで続く。ただ闇雲に逃げ惑っていては体力が持たないぞ。動きを予測し、最小限の動きで躱せ」


 なるほど。これは戦場を意識した訓練なのか。いつ何処で狙われるか分からない戦場で、体力がなくなるというとは死を意味する。戦う力を失い、逃げられなくなれば終わりだからだ。


 いくら俺たちがこの1か月で体力を鍛えたところで、身につく体力はたかがしれている。何年も騎士として訓練を受けてきた人たちに敵うはずがないのだ。なら、どうするか。限られた体力で最善の行動ができるように工夫をするしかない。


 サムはどうしているのだろうか。俺は襲ってくる鷲を躱しながら彼を横目に見た。そして、驚いた。彼は華麗にステップを踏みながら鷲をよけていたからだ。まるで彼らの動きが全て分かっているような動き。なぜそんなことができるのか分からない。


 結局、俺はどうしたら効率的に避けられるのかも分からず、とにかく鷲から逃げ続けた。時間が経つにつれて、体力と精神力共に限界が近づき傷は増えていく。日が昇り切り、鷲の攻撃が落ち着いた頃には全身が傷だらけになっていた。


「ぐっ!…はぁ」


 午前中の訓練が終わり、昼の休憩に入ったところで、俺は庭に腰を下ろしながらサムに傷の手当てをしてもらっていた。ここで配布されている傷薬は傷の治りが早いがかなり染みる。塗った場所が熱を持ちまるで皮膚が焼かれているような激痛に襲われる。


「随分とやられたね。かなり痛そうだ。…はい。これで終わりだよ」


 最後の傷に薬を塗り終えたサムはそう言うと薬を治療箱にしまい始めた。俺はようやく終わった痛みに安堵の息を漏らしながら、バタンと床に倒れる。そして、傷一つないサムを見ながら、ずっと不思議に思っていたことを彼に尋ねた。


「なぁ、なんであんな風に鷲をよけられたんだ?」

「羽の角度から彼らの軌道を読んだんだよ。あとは彼らをぎりぎりまで引き寄せて、のタイミングで彼らの軌道から反対の方向へよける。そうすると、彼らは瞬時に軌道を修正できずもう一度軌道を修正するために高度を上げなければならなくなる。そうすることで少し、時間が稼げるから周囲を見る余裕がでるんだ」

「…お前、本当に人間?」


 あり得ない。あの一瞬で羽の角度を見極めるとかどんだけ視力いいんだよ。普通はできないだろう。


「あはは!何を言っているの、ギル。私が人間以外の生物に見える?」

「見えない。でも、あの速さの鷲の羽の角度まで見るなんて人間にできる業とは思えない」

「うーん、簡単ではないけどできないことはないよ。動体視力を鍛えればね」


 時々思うことがある。こいつは一体、どういう人生を今まで送ってきたのだろうと。剣の腕といい、こういう垣間見える身体能力の高さといい、どこかの暗殺者だったんじゃないかと疑いたくなる時がある。


「それに、君は絶対にできるようになっていた方がいい。戦場で役に立つからね」

「戦場で?」

「私たちは銃を相手に剣で戦わなければならないんだよ、ギル。犯罪奴隷に頑丈な防具なんて与えてもらえない。つまり、私たちは銃をよけながら剣で戦わなければ生き残れない」


 ディアブル法典42条、犯罪奴隷にいかなる武器も持たせてはならない。ただし、徴兵時に国から認められた場合に限り、剣の保持を認める。


「でも銃をよけるなんて…現実的に無理だろう」

「できなくはないよ。鍛えればね」


 ジト目を向ける俺に、サムは説明を続けた。


「あれはね、そのための訓練なんだよ。あの速さで飛ぶ鷲の動きを正確に読み取り、避ける。それは銃口の向きから弾の位置を予想して弾丸をよける動作と同じなんだ」

「銃口から弾丸の軌道を予想…」

「そう。まぁ、死角から打たれたら太刀打ちできないんだけどね。でも、それができるだけで生存確率は上がるよ」


 まさか、俺たちにそれを身に着けさせるためにあんな訓練を?…せめて、その説明くらいあってもよかったんじゃないか?


「まぁ、団長は私たちがそこまでできるようになるとは思ってはいないと思うけどね。精神力と体力を鍛えるついでにってところが大きいんじゃないかな」


 サムの言葉に耳を傾けながら、俺は空を見上げこの先のことを思いやる。午前中だけでかなりの疲労具合だ。午後はもっと疲れるに違いない。一体どんな訓練が待ち構えているんだろうか。


「とりあえず昼食を取ろう、ギル。食べないと体が持たないよ」


 立ち上がってそう言うサムに俺は頷き腰を上げた。例えどんな訓練であろうとも、乗り越えるしかないのだ。村にいる母と妹に想いを馳せながら、俺は自分の心を奮いたたせるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪法だらけのこの世界で 嘉ノ海 祈 @kanomi-inori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ