第4話 騎士団での生活
翌日、俺たちは朝食をとるとこれからの流れについて説明を受けた。まずは怪我を治すことを優先し、この1か月間は騎士に必要な知識を座学で詰め込むらしい。
俺たち奴隷は文字すら読めない者が殆どだ。そのため、文字の勉強から始まった。
「えっと、この単語は…」
午前の授業が終わり、昼休憩の時間、あっという間に昼食を食べ終えた俺は庭の木にもたれながら、与えられた教科書を読んでいた。簡単な数字や日常生活で必要な単語は分かるが、こういった文章を読むことは難しい。だが、戦場で生き残るには文字は扱えるようになっていた方がいい。戦場で活躍するのは手紙だ。作戦も戦況も、全て手紙によって報告が行われる。文字が読めなければ作戦も分からないし、危機が迫っていても知ることができない。
あの騎士は戦場で功績を残せば犯罪奴隷から解放されることもあり得ると言っていた。これはチャンスだ。ここを逃せば、俺が犯罪奴隷から解放される日は二度とやってこないかもしれない。ならばやることはただ一つ。ここで最善を尽くして戦場で生き残り功績を残す。そして、犯罪奴隷から解放されるんだ。そして、村に戻り母さんと妹に再開する。
―母さん、ジェネット、二人とも元気だろうか―
あれからもう10年が経った。ジェネットはもう12歳か。きっと可愛らしい女の子に成長しているだろう。
「レティウス。危険信号という意味だね」
「え…?」
突然頭上から聞こえてきた声に、俺は驚いて上を見上げる。するとそこには、金色の髪を風になびかせて俺の手元を覗く、碧眼の男がいた。こいつは確か、同じ荷馬車に乗っていた俺と同じ犯罪奴隷の一人だったはずだ。奴隷のはずなのに妙に上品さがあって、奴隷に感じない違和感があったので記憶に残っていた。
「君はとても勉強熱心だね。周囲は束の間の穏やかな生活に浮足だっているというのに、君だけはしっかりと勉強をしている。感心するよ」
「それはどうも…」
風呂に入って汚れを落としたことにより、彼自身が持つ輝きが増して見える。キラキラとした笑顔でそう俺を褒めてくる彼に、俺はどうしたらいいのか分からずしどろもどろに返した。
そんな俺の様子を気に留めることもなく、彼は自然に俺の隣に腰を下ろすと当たり前のように俺に話しかけてくる。
「私はサム。君と同じ荷馬車に乗っていた犯罪奴隷だよ。君は?」
「俺はギル。あんたのことは何となく覚えている。その髪色は目立つからな」
「あはは。確かに目立つよね。よく言われるよ」
ケラケラと笑うとサムは俺の手元にある本を窺いながら俺に尋ねた。
「君は文字を覚えたいの?」
サムの言葉に俺は「ああ」と頷く。すると彼は興味深そうな瞳を俺に向けた。
「どうして?」
「戦場で生き残るには文字が分からないと無理だろう。それに覚えて損はない」
「そっか。君は生き残るための努力をしているんだね」
そう言った彼の横顔はどこか涼やかだ。まるで他人事のようにそう言う彼に俺はつい聞き返した。
「あんたは生き残りたくないのか?」
俺の言葉に彼は何とも言えない表情を浮かべた。
「君はどうして生き残りたいの?」
サムは俺の質問には答えず、俺にそう尋ねる。煮え切らない彼の様子に少し疑問を抱きながらも、俺は彼の質問に答えた。
「この地獄から抜け出して、母と妹に会いたい。そして、安心させてやりたい」
妹は俺のことを覚えていないかもしれないが、母はずっと俺のことを気にしてくれているはずだ。もしかしたら息子を守れなかった罪悪感に打ちひしがれているかもしれない。そう考えると、少しでも早く犯罪奴隷から平民に這い上がって元気な姿を見せて安心させてやりたい。
俺の答えを聞いて、彼はそっかと優しく微笑んだ。そして噛み締めるように言葉を紡ぐ。
「君には帰るべき場所があるんだね」
まるで自分には帰るべき場所がないような言い方だ。彼の寂しそうな横顔を見つめながら、俺はその言葉の先を聞こうか一瞬悩んだ。だが、余計な詮索はしない方がいいと思い開きかけた口を閉じた。ここにいる人達は皆、複雑な事情を抱えている。あまり他人に掘り起こされたくない事情もあるだろう。
「なぁ、あんたは…サムは文字が読めるのか?」
俺が彼の名を呼んだ瞬間、彼は少し嬉しそうな顔をする。そして、首を縦に振って言った。「読めるよ」と。
それなら幸いと俺は彼に頼みごとをする。
「それなら俺に文字を教えてくれないか?俺は遊牧民出身だから、殆ど文字が読めないんだ」
俺がそういった瞬間、サムはぐいっと体を前に乗り出して言う。
「遊牧民?!ギル、遊牧民出身なの!?」
「…あ、ああ」
彼のあまりの興奮に俺は戸惑いながらも頷く。…なんで遊牧民でそこまで驚くんだ?確かに遊牧民族は珍しい部族には入るかもしれないが、全くいないわけでもないし、そこまで驚くことではないと思うんだが…。
「そっか!本当にいたんだ!伝説じゃなかったんだね!」
伝説?俺たちって世間では伝説扱いなのか?…いや、町では普通に受け入れられているし、全国各地に遊牧民族は散らばっているはずだ。…もしかして、サムは王都周辺の出身なのだろうか。俺たち遊牧民が暮らす地域から王都まではかなり離れている。そのため、王都で暮らしている人たちは俺たち遊牧民を見たことがないかもしれない。
そう俺があれこれ考えているうちに、サムは我に返ったらしい。乗り出していた身体を元に戻すと俺にごめんと謝った。
「遊牧民出身の人に会ったの初めてだから感動してしまって。つい興奮してしまったよ。文字の話だったよね。勿論いいよ。私で良ければ教えてあげる」
「そうか。ありがとう」
それからというもの、俺はサムに文字を教わりながら戦争で生き残るために必要な知識を着実に身に着けていった。いつしかサムとは殆どの時間を一緒に過ごすようになり、学友のような存在になっていた。
「隙あり!」
「っ!」
カーンという激しい音と共に模擬剣が宙に弾き飛ばされる。俺は勢いを殺しきれず、バタッと後ろに倒れた。
「相変わらず強いな。サムは…」
じんじんとする手をさすりながら、俺は参ったとサムに言葉をかける。サムは少し照れくさそうにはにかむと俺に手を差し出した。俺はその手の力を借りて立ち上がる。
「昔、少し剣を嗜んだことがあるだけだよ。私からしたら、初めてでここまで動けるギルの方が凄いと思うよ。君には剣の才能があるかもしれないね」
「そうか?俺にはよく分からないな。ナイフの扱いになら自信はあるが、こういう大きな刃物の扱いはさっぱり分からない」
「ははは!遊牧民らしい言葉だね。…ああ、でもあんな小さな刃物で繊細に毛皮を剝ぎ取れる君だからこそかもしれないよ。きっと器用なんだろうね。もともと」
「器用か。…それはあるかもしれないな。村にいたときによく言われていた」
昔から細かい作業をするのは得意だった。ほつれたテントの毛皮を縫い合わせるのもよくやっていたし、物が壊れれば自分で大抵のものは修理していた。よく近所の人に頼まれて、壊れた家具を直しにいっていた。
「それにしてもここに来てもう一か月か。早いね」
「そうだな。お前と出会ったのがまるで昨日のことのように思える」
あんなにボロボロだった身体は今ではすっかり元通りになり、身軽に動けるようになった。栄養不足で筋肉が衰えていた肉体も、毎日欠かさず与えられる食事のおかげで肉が付き、年相応の体つきに戻り始めている。
「明日から本格的に訓練が始まるんだってね」
「一体、どんな訓練になるんだろうな」
「…噂では相当厳しいものらしいね。死んだ方がマシだって思ったって、昔牢で一緒に過ごした仲間が言ってたよ」
「…それは恐ろしいな」
この1か月間はとにかく早く身体を直し、戦場で生き残るために必要な知識をとにかく詰め込むことが優先された。ほぼ毎日、座学ばかりの日々だったが、騎士団の人たちは俺たち犯罪奴隷を蔑むこともなく熱心に教えてくれた。それをありがたく享受し熱心に勉強する者、彼らの機嫌を損ねないように何となく受ける者、気が緩んで転寝をする者、反応は皆それぞれだったが各々が束の間の怯えない暮らしを楽しんでいた。
「ギルなら大丈夫だと思うよ。君はこの一か月、甘い誘惑に負けることもなく、きちんと努力をしていたからね」
「それを言うならサムもだろう。怪我が治ってからは、毎日欠かさず剣を握っていた。俺たちの中で一番剣の実力があるのは間違いなくお前だと思うぞ」
「ふふ。君のおかげで私にも戦う目的ができたからね。君の背中を守れるくらいの力はつけないと」
そう微笑むサムを見て、最近彼の表情が柔らかくなったなと俺は思った。出会ったころからよく笑う彼ではあったが、その表情にはどこか力が入っており、違和感があった。俺が最初、彼に話しかけられた時、ぶっきらぼうに返してしまったのはその違和感に慣れなかったからだ。
「ははっ。なら、俺もお前の背中を守れるように精進しないとな」
俺は地面に落ちた模擬剣を拾い上げ、持ち直すと再び剣をサムに向かって構えた。彼も待ってましたと言わんばかりに口角を上げると剣をくるりと回して持ち直す。金属がぶつかり合う音が、空が朱く染まる頃まで鳴り続けた。
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