第3話 絶望と希望

「おい、起きろ!」


 バシャと水が床に打ちつけられる音が響く。顔に感じた冷たい感触に俺は重たい瞼を上げた。ぼんやりと狭まった視界の中で、怖い顔をした男が何かを叫んでいる。俺はそれを見て、ああ次の地獄が決まったんだなと思った。


 屈強でガタイのいい男が俺を荷物のように担ぎ上げると、荷馬車へと放り投げる。ささくれた床板に打ち付けられた身体は度重なる衝撃に悲鳴を上げた。既に骨は何本も折れている。まともな治療もなく折れた骨がくっついたせいで、俺の小指は変形していた。きっとこのまま他の骨も変形していくのだろう。いや、くっつくだけまだましなのかもしれない。下手をすれば永遠に治らない可能性だってある。


 荷馬車は俺以外の犯罪奴隷を何人も積み上げて、ガタガタと音を立てながら動き出した。俺はできるだけ骨に負担のかからない体制に戻しながら、壁に身体をもたれかけた。どこに向かっているのかそんなのは分からない。もはや、どうでもよかった。どこに行ったって地獄であることに変わりはない。死ぬ寸前まで痛みつけられて、また刑務所に戻される。その繰り返しだ。名目上は社会更生のためとされているが、その実は貴族のうっぷん晴らしの道具に過ぎない。


 未来のことなんて考える余裕は今の俺にはなかった。今俺にできるのは誰にも干渉されることのない束の間の休息を静かに過ごすことだけだ。荷馬車が止まればまた地獄の日々が始まる。永遠にこの移動が続けばいいのに。そんなことを思いながら俺は瞳を閉じるのであった。



 ガタンっという大きな音とともに俺の身体は床に打ちつけられた。身体に響く衝撃と共に俺は目覚める。ああ、着いてしまったのかと俺は絶望した。


 荷馬車から降りるとそこには立派な制服を身にまとった騎士たちが並んでいた。広大な敷地に建てられた宿舎と広い庭。その光景を見て俺はぼんやりと察する。なるほど。どうやらここは王宮の騎士団の訓練場のようだ。


 前に一緒の檻に入れられた人から話を聞いたことがある。俺ら犯罪奴隷は時々、王宮に召されることがあると。大きな戦争が起きそうになると、国は積極的に戦闘要員を確保しようと動く。その時、犯罪奴隷ある俺たちも戦闘要員にするために召喚されるのだ。どうやら今回はそれが俺にも回ってきたらしい。


 騎士達は俺ら奴隷が全員荷馬車から降りたことを確認すると、中央に立つリーダーであろう騎士に声をかける。その騎士は静かに頷くと、ぎろりとこちらに鋭い視線を向けた。


「お前たちにはこれからこの国の騎士兵になるための訓練を受けてもらう。これまでは碌な食事も治療も与えらずに過ごしてきただろう。だがここにいる間はそのような生活とはおさらばだ。衣食住の全てが保証される。もちろん怪我を負っている者はその治療を受けられる」

「「おお~!!」」「最高だ!」「神よ、ありがとう!」


 騎士の言葉に奴隷たちが一斉に沸き上がる。泣き崩れる者、天に祈りをささげる者、反応は様々だ。俺は喜ぶこともなく、ただ静かにその騎士の顔を見つめていた。絶対に何か裏があるはずだと俺はそう思った。でなければこんな犯罪奴隷たちにこの国がそんな好待遇な施しをするわけがない。


 沸き上がる奴隷たちに騎士たちは「静粛に!」と声を上げた。その声に一斉に奴隷たちは静かになる。周りが静かになったところで、先ほどの騎士が再び声を張り上げた。


「ただし、それが保証されるのは次の戦争でお前達が出陣する時までだ。その戦争で死ぬか生き残るかはお前たちの行い次第。戦争で良い成績を残した者はそのまま釈放され、騎士として生活を送ることもできる。それをよく考えたうえで、各々ここで過ごすように」



ザバーッ


 桶に汲んだ湯で身体を流す。膿んだ傷口に水がしみるが、全身に溜まった汚れが流されていくのが心地よく、嫌な気はしなかった。


「ふぅ」


 他の奴隷がわいわいと騒ぐ中、俺は一人静かにお湯に浸かる。お湯に浸かる経験は人生で始めてだ。遊牧民にとって水は大変貴重なので、身体は川の水で洗うか、濡らしたタオルで拭き取るかくらいだった。


 じんわりと全身が温まり、重かった身体が軽くなっていく。なるほど。これは確かに贅沢だ。貴族が奴隷に味合わせたくないのも分かる。


 騎士が言ったように、俺たち奴隷の衣食住はきちんと保証されるようだ。俺たちが案内されたのは木造づくりの立派な建物だった。勿論、雨漏りも隙間風もない。騎士用ではなく、一般用の宿舎らしいが、俺たちからすれば破格の待遇だ。部屋は狭いが、きちんと身体を休めることができる寝台がある。それだけで十分だ。


 全員が身体を清め終わると、食事が与えられた。焼きたてのパンに、具の入ったスープ。チキンのソテーまでついている。肉なんて食べるのは久しぶりだ。俺は真っ先に肉に齧り付いた。昔の俺であれば好きなものは最後までとっておいたが、今は違う。いつ相手の気分が変わって食事を取り上げられるかも分からないし、いつ周りの奴隷に食事を奪われるかも分からない。先に食べておくのが安全だ。まぁ、流石にこれだけ潤沢な食糧が与えられていればそんなことがあるとは思えないが…。


 じゅわりと広がる肉汁を堪能しながら、俺はパンをむさぼる。そして、スープでそれらを流し込んだ。


 食事が終われば、怪我の治療だ。王宮の治癒師たちが俺たちの身体を診察し、治療を施す。決していい顔ではなかったが、奴隷である俺たちを軽蔑することもなく、きちんと治療を施してくれた。骨が折れているし、大分傷が深いため完治までには時間がかかるが、膿んだ傷もこれ以上悪化することもないし、感染症におびえる必要もなくなった。


 その日、俺は与えられた部屋に戻ると泥のように眠りについた。久しぶりの安心して眠れる環境に、疲弊していた俺の身体は直ぐに順応したのだった。




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