第5話

「お疲れさま」

 昼の陽光が部屋を照らすので、電灯は必要ないくらい明るい。目の前のデスクに座る女性はそれ以上の光を放つ美しい笑顔を浮かべた。

「夜中まで任務をこなしてもらったから今日は臨時の休みになるはずなんだけど。ごめんね、呼び出しちゃって」

「いえ」

 隣に立つ三牧が簡潔に答える。

「それで、何の話ですか」

「話、というほど大層なものではないのだけれど」

 関節が人よりも柔らかいからか、頬杖を突くと首が九十度傾く。まるで妖怪のような仕草だが、この人がやると妙に色っぽいので不思議なものだ。

 香原は艶やかな赤い唇から視線を引き剥がす。

 ふくべしのぶ。異能課第十二班班長で、階級は警部。男所帯の異能課で唯一の女性班長であり、超実力派の異能者でもある。

 下手すれば学生に間違えられそうな風貌だけれど、冷静沈着な雰囲気からは場数を踏んだベテランにも見える。まあようするに、よくわからないということ。

「君たちのことだから、詳しいことは割愛してもいい?」

「はい。むしろそっちの方が」

「ふふふ、都合がいい?」

 前髪の奥で双眸がきらめく。

「君たちが現場で見つけたこの玉のことなんだけどね。異能課の鑑識に分析してもらった結果が出た」

 細い指で摘まれた小さなジップロックの中、硝子玉は日光を吸収して赤い光を放っていた。

「これは間違いなく『ヒメユリ』のもの」

 隣で三牧が息を呑む。香原は息を止めた。崖から飛び降りた時よりも確かに、内臓が握り締められるような恐怖と。

「確かなんですか」

「ええ。鑑識の井上くんに頼んだからね。疑いようがないよ」

 瓢は肩をすくめる。

 恐怖と、興奮を感じた。

 ヒメユリ。

 二年前に渋谷で起こり、二十四人の犠牲と百三十七人の負傷者を出し、過去最悪の『交通事故』と言われている自動車の玉突き事故。

「……」

 というのは一般人に向けて公表された、いわゆるデマ。事実は『ヒメユリ』という異能力を持つ異能者の起こしたテロである。本名は不明、わかっていることも異能の名前だけで、内容も発動条件も明らかにはなっていない、未だ警察も捕まえるどころか足取りさえ掴めていないテロリスト。

「ヒメユリが二年前の渋谷テロで残した唯一の手がかりと特徴が完全に合致しているからですか」

「そうだね。中の成分まで細かく調べても差異はない。同一人物の異能で作られたもので間違いないみたい」

 そのヒメユリは渋谷テロの際、光を紅にかえる不思議な玉を残していた。ちょうど、香原が拾い、今は瓢の手にあるものと全く同じの。

「じゃあ、破須村の人たちが呼ぶ指導者って」

「ヒメユリの可能性が高い」

 瓢はいつもよりもやや緊張した面持ちだ。そりゃあそうか、と冷静な思考を意識する。

 二年間、ひとつも出てこなかったヒメユリへと繋がる手がかりを見つけたんだから。

「刑事課と公安と、あと民間の協力を仰いで捜査するつもりなんだけど、異能関連の事件だからね」

 二年間。

 短いようで、長かった。

 香原は内心で歓喜に震える。

「これから先、異能者がらみの事件や犯罪が発生した時、または発生するかもしれない時には」

 やっと、あの日の約束を果たせるかもしれない。あの約束に近づけた。

 三牧は無意識に拳を握る。

「君たちに頼むことがあるかもしれない」

 辿り着くにはまだまだ遠いだろうけれど、二年間止まっていた時が動き出す。

 赤い光が影を伸ばす、ある春の午後のことだった。







 異能とは、この世の理を超えた力のこと。そして異能者とは、異能を持った人間のこと。

 

 警察の異能課とは、異能者が起こす犯罪に関するあらゆることに対処する専門の部署である。その過半数が異能者であることが世間の混乱を招いてしまう可能性があるため、また、犠牲者が他部署に比べて多いため、その存在は秘匿されている。


 しかし、異能者と異能者に関わる事件は、いくら国家権力を持つ警察といえども全てを揉み消すことなどできない。

 巻き込まれてしまうことも十分あり得る。


 だから、ここでひとつ、あなたに忠告を。


 異能課第十二班。

 そう名乗る警察官が近くにいたときには、即座にその場所から離れることをおすすめする。

 彼らは、かつて最悪のテロを起こしたテロリスト・ヒメユリを追う、精鋭部隊なのだから。


 そこはヒメユリに近いということなのだから。


 あの惨劇が、地獄が、また起こり得るということなのだから。

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花に託して 雪待びいどろ @orangemarble

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