第4話

 第一目標、情報提供者の保護。

 第二目標、村長および「指導者」の確保。

 第三目標、村人の確保。




 共通認識があれば、お互いに何を考えているのかわかるものだ。

 まず達成すべきは第一目標。徐々に狂った村人たちがこちらに近づいてくる中、三牧は静かに村長を真正面から見据える。そうして、右腕を伸ばした。

「おらぁあっ」

「やぁっ」

「おりゃぁあああっ」

 場違いな落ち着きを見せる三牧を襲う三人の村人たちは、香原の華麗な立ち回りの蹴りで一瞬にして失神する。

 その速さと動きの無駄のなさに、村人が一時硬直する。まるで時間が止まったかのように。

 その隙に三牧はつぶやく。

「破須村村長、破須森次はすもりつぐ

 老人が握っていた刃物が、からんと軽やかな音を立てて落下した。


 異能「椿」

 発動条件、対象が視認できていること、対象の本名が明らかであること、この二つを満たしていること。

 自分の感覚と引き換えに、それと対応する対象の感覚を奪うことができる。


「うぐぅ……ぁ」

 老人は刃物を持っていた右腕を抱いてうずくまる。三牧が伸ばしていた右腕もまた、脱力する。その間に香原は迫りくる村人を振り切って駆けだした。

「い、いかん、追え、追えぇっ……」

 香原は祠の前で立ち竦む小沢結花の手を取る。そして、木々の間を通り抜ける。その後ろを十人ほどの村人を追う。

 鬼ごっこみたいだな。

 三牧はふと、そんなことを思った。香原はこちらの方など見向きもせず夜の山に消える。

 落としていた右腕の感覚を拾うと、村長もまた感覚を取り戻したらしい。ゆらり、と立ち上がった。

「やりおったな……貴様ら」

「……」

 煽ろうかと思ったけれど、状況は極めて最悪に近い。十対一。異能者は不明。先ほど指導者は偉大な力を村人にもたらしたと言った。

 異能者が紛れ込んでいる可能性は高い。

「やれッ」

 村長の声で、仕切り直しだとでもいうように村人たちが襲い掛かる。

 ふっと意識が揺らいだ。

「……ッ」

 視界の端に映るのは、こちらに手を伸ばす一人の男。あいつ、異能者か。

「ひいらぎ、かねお」

 呟く。近くの村人に中段回し蹴りをお見舞いする。左足の感覚を落とす。

 全て、同時に。

 感覚を失っても左足は相手の肝臓にのめり込んでいるので、さして影響はない。ちらりと見ると、異能者らしき男は倒れていた。

 今だ。

 左足の感覚を拾い、男のもとへ駆け寄る。何事かと顔を上げた瞬間の男の後頭部を肘で殴って、物理的に意識を落とす。

危険な異能者はこいつだけのようで、次の異能が襲う気配はない。

 やはり事前に村人の住民票を確認しておくのは大事だな。よかった、一応全員の本名と顔とを覚えておいて。

 心の中で安堵するが、頭の隅の相棒、香原は叫んでいた。バケモンだ、と。無視して村人たちに向き直る。相手は素人だが、手には慣れた農具がある。ようするに武器アリだ。多少乱暴をしても正当防衛で通るだろう。

 三牧は、静かに左脚を後ろに引いた。




「うわぁ、追ってきてるな」

 誰も彼も濁った瞳で追ってくる。彼女、小沢結花に道を尋ねつつ、とりあえず山を登るがこのままだと袋のネズミだ。追い詰められるのは目に見えている。

 さて、どうしたものか。

「やっぱりどこかで撒かないとなぁ」

 手を引く彼女は、荒い息を吐いて、何とかついてきてくれている。でも体力的に限界が近いのは確かだ。

「この先はっ」

「何かあんの?」

 突然、小沢結花は悲愴な顔で前方を指差す。

「崖、です」

 ありゃ、絶体絶命なわけだ。

「高さってどれくらい?」

「二十メートルくらい……」

「なるほど、それくらいか」

「底にはっ、川が流れていて……でも、すごく、浅いです」

 ふぅ、と、息をつく。その顔は青ざめていて、いつ倒れてもおかしくないような顔色だ。情報提供をしてからずっといつ殺されるかわからない状況にいたんだから、そりゃ精神も参る。それに、今さっきまで刃物を突き付けられていた。そんな状態で道案内しながらの全力疾走、捕まれば死の鬼ごっこなんて。

 正気を保っている彼女は、とてもすごいと思う。うん。

 崖まで、あとおよそ五十メートル。

「小沢結花さん」

「は、はい」

「俺に、命預けてくんね?」

 突然の申し出に困惑したらしいが、うなずいてくれる。ちらりと後ろを見ると、怒声と奇声を発する狂った村人たちが、すぐそこまでやって来ていた。

 小沢結花に、自分の首に手をまわしてもらう。膝を抱えて、横抱きの状態になる。

 崖まで、あと五メートル。

「しっかり、捕まってて」

「はい……」

 一切緩めないスピードに、彼女も覚悟を決めたらしい。

 村人たちも、まさか、というような顔をしている。

 そのまさか。

「……ひゃぁっ」

 耳元で聞こえる彼女の悲鳴。

 香原は、崖の淵を強く蹴って空中に身を躍らせた。

 重力を感じる落下が始まる。下から上に風が吹き、岩肌が露出した崖を横目に、どんどんどんどん落ちていく。

 近づいてくる、細い川の流れる地面。石と土とがむき出しになった大地。川は確かに浅いが、別に水を使うわけではないのでどうでもいい。

 首に回された腕の力がふっと抜けるのを感じた。両腕に、彼女が自分の身から離れないように力を込める。

ふ、と息を吐いた。


 異能「春紫苑」

 発動条件、自身が落下していること。

 落下の際の衝撃を失くすことができる。


 香原は、静かに降り立った。まるで鳥のように、見えない翼で空気を捕まえて落下速度を落として。

「すぅ……」

 吐いた分の息を吸って、腕の中で意識を失う彼女を見る。意識は失っているようだが、怪我はないので単なる恐怖だろう。まあでも、一切説明せずに飛び降りたのは悪かったかなとぼんやり思う。

 見上げると、村人たちがこちらを見下ろしている。視力2.0の目を細めると、彼らが何か口々に叫んでいるのが見えた。先ほどと変わらない怒声と奇声を発しているのは耳からでも聞こえるが、何か、不穏な予感がした。

 そっと小沢結花を地面に下ろす。崖にもたれさせて、少し彼女から離れる。

「……嘘だろ」

 独り言ちた直後、身を乗り出していた村人の一人が落ちてきた。何かの異能者かと思って身構えるが、その人は呆気なく地面に激突する。とてつもなく大きな音が周囲に響き渡って、脳漿が飛び散る。直視するにはなかなか勇気がいるので、目を背けるついでにまた見上げる。

「……」

 一人、二人、三人。いや、四人か。

 続々と谷底へ向かって、落ちてくる。その誰もが轟音と共に地面に激突して命を散らした。

 指導者か、と呟いてみる。きっとここまで命知らずになるには、尋常でなく崇め奉るナニカがあるんだろうな。また一人、落ちてくる。

 今度は様子が違った。

 轟音、飛び散る命。そこまでは同じ。だが。

「……んぅ…あ……」

 それでもなお、腕が動く。呻く。頭が持ち上がる。偶然その人が落ちてきたのが香原の目の前だったものだから、直視したくなくても視界に入る。

 形容するなら。うん。ゾンビだ。

 片目がこぼれ出ていて、頭から大量の血を流していて、口からは血に塗れた内臓が飛び出ていて。

「ぁ……はは、はぁ……」

 その人が、ゆっくりと立ち上がる。

「ぅく……ふぅぁ……ぁは……」

 どこのホラー映画だ。いや、ホラー映画にしてはやけにリアルだな。冷め切った頭でそんなことを考える。

「かはぁぁあ……う」

 ゾンビ、もとい村人は徐々にこちらに近づいてくる。だけど。

「あ……」

 あと一歩で自分の間合いに入る、というところで倒れて、絶命した。ごぽり、と口から溢れる内臓と鮮血。赤く染まる谷川。

 香原は退屈なB級ホラー映画を見るようにぼうっとそれを眺めていた。

 死体の脇にできた血溜まりがようやく動きを止めたとき、あるものが転がっているのを見つけた。ひょい、と拾い上げる。

「……」

 透明な石。直径三センチくらいで小さくて丸い。月光に照らすと、白かったはずの光は真っ赤に変化していた。

 これは。

「香原」

 声を掛けられる。振り返ると、三牧がいた。若干顔に疲れが見えるが、その仏頂面はいつもの通り。正常運転。頬に返り血らしきものがついているけれど、元気そうなのでまあいいか。

「それは」

「ああ、落ちてきた」

「違う、そっち」

 指差すのは赤い月光を創る石。三牧は目の前の死体には目もくれなかった。

「たぶん、こいつの中から出てきた」

「……」

 三牧は穴が開くんじゃないかと思うほど強くその石をにらんでから、そうか、と小さく言う。手を出した三牧にその石を渡したとき、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきていることに気づいた。

「とりあえず後処理は所轄に任せて、俺らは帰るぞ」

「どこに?」

「報告に」

 小沢結花は、所轄に任せていいらしい。

 だんだん近づいてくるサイレンが、じきにピタリと止む。スーツ姿の人がこちらに到着するまで、それほど時間はかからなかった。

「お疲れ様です」

「あとはよろしくお願いします」

 側から見れば遺体処理という面倒な仕事を所轄の刑事に投げつけるようにも見えるだろう。だけれど、そういう役割分担になっているのだ。

 地域課は防犯。刑事課は事件の後処理と捜査。交通課は交通事故の防止と後処理。

 異能課は異能者への対応。

 よって、「異能課」香原と三牧の仕事はここで終了だ。

 香原は刑事課に保護される小沢結花にほんの少しの名残惜しさを感じながらも、崖の上へと続く道へ足を向けた。

 職業柄、出会いなんてほとんどないんだし。

 普通な状況で、話したかったなぁ。

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