第17話
◆
ハッキンゲームのスタンドアッパーによる格闘試合の決勝は、ジューンの目から見てもなかなか見応えのあるものだった。
アマチュアとは思えないテクニックが披露される。
「面白いな」
自由席の最上段の通路に立っているジューンの隣に立った男が言う。
見ずとも誰かわかった。
アーネストだ。
「逮捕されるのは久しぶりだったよ」
相手の言葉にジューンが答えずにいると、さらに言葉が続けられる。
「どこかの誰かは逮捕する方だったか」
「まあな。まさか自分が傷害で逮捕される人が来るとは、思ってもみなかったよ」
短くアーネストが笑い声を漏らす。
「あれはいい拳だった。あのクソ野郎にはお似合いの一発だ」
「アーネスト、あんたも一発、ブチ込みたかったんじゃないか?」
「お前の一発で俺はもう満足した」
歓声が湧き上がる。
片方のスタンドアッパーが片足を破壊されながら、相手に組みついて片腕を引きちぎったところだった。
「これからどうする」
歓声にかき消されるかという声量で問いかけるジューンに、そうだな、とアーネストは応じる。
「グリューン皇国に戻るのは危険だな。連中は善と悪が混ざり合っていて、何が起こるかわからん。しばらくはここにいよう」
「ここ? ハッキンにか」
「そうだな。ハッキンゲームは思ったよりも面白い。機体を直すのは面倒だが、仲間もいるし、しばらくはアマチュアとして遊んで暮らすよ。この土地は働くにも良さそうだ。間違っても、仕事を奪われたりはしない」
アーネストの言葉には真剣さが含まれていて、ジューンはそれを冗談とは判断しなかった。
ジューンからしても、ハッキンという街は居心地が良かった。皇都グリゴンなどとは比べ物にならない。全てが公平で、公正だった。平等でもある。
当たり前のことかもしれない。
でもその当たり前が存在しない場所があるのを、ジューンは身を以て知っていた。人間の悪意と欲望、暴力性、それらが密かに伏流し、ある時には容赦なく人を飲み込む社会は、実在するのだ。
もしかしたらそれは、社会や国家ではなく、人間の本質かもしれなかった。
ジューンにはそれを強く否定するほどの自信はなかった。
ただ、信用できない人間がいる一方で、信頼できる人間がいることを知った。
チェンや、アーネスト。
もしかしたらラドゥでさえも、信頼するべきかもしれない。
「お前はどうする」
アーネストの問いかけに、ジューンは、さあ、と答えた。これにはアーネストがジューンの方を見やったようだ。それでもジューンは目の前の格闘試合の方を見ていた。
片足を失ったスタンドアッパーは、機動力に制圧さえ、敗北していた。
拍手と歓声、指笛、悲鳴が飛び交う中で、熱を帯びたアナウンスが勝者のチーム名をがなっている。
「ジューン、俺と組まないか」
アーネストの言葉にジューンは彼の方を振り向いた。
嬉しそうな顔をしている相手にジューンは笑みを見せて答えた。
「組んでも面白いだろうが、一つのチームと一つのマシンに、二人の操縦者はいらないよな。それが当然だ。違う?」
「マシンが二つあれば、問題ない。違うか?」
「アマチュア相手じゃ、面白くなさそうだ」
「それが本音か。最初にそれを言えよ。お前は腐ってもプロフェッショナルか。根っからのチンピラの俺とは違うな」
そこまで言うかよ、とジューンが苦笑いするのに、アーネストは「本題は終わったな」と肩を拳で小突き、話題を変えた。いや、戻した。
「それで、ここに残らないなら、どこへ行く?」
ジューンはぼんやりと考えていたことを、言葉にした。
「故郷へ戻るよ。カガズ国だ」
「カガズ? 南方の国だな。何か仕事があるのか?」
「あるかもしれないし、ないかもしれない」
明言しなかったが、アーネストはジューンの内心を察したようで、皮肉げな笑みを見せた。
「警察はどこへ行っても警察か? お前も変わり者だな」
「警察をするなんて言っていない。そもそも受け入れられるかもわからない」
「恥ずかしがるなよ。胸を張っていけ」
背中を叩かれたジューンは舌打ちしながらアーネストを睨みつけるが、大した効果はなかった。
「じゃあ、ここを離れる時は声でもかけてくれ。送別会をするからな」
「俺とお前って、そういう関係だったか?」
正直なジューンの問いかけに、アーネストは、だったよ、と答える。
「お前のことは認めているんだ、ジューン。俺には勝てなかったようだが」
「次は負けない。お前のやり口はもう覚えた」
「どうかな。いつかここへ戻ってきて、ハッキンゲームで決着をつけるとしよう。これも約束だ」
「だから、そういう関係性じゃないだろ」
頑固な奴め、と笑ってから、またな、と短い言葉を残してアーネストは離れていった。観客たちも引き上げつつあるので、その人波の中にアーネストは消えていった。
観客席に囲まれたコートでは、敗れたスタンドアッパーが撤収されていく。勝った方は片腕を失っているが、まだ自力で立っていた。操縦者がその機体の足元でカメラを前にポーズをとっている。大会主催者がトロフィーを手に歩み寄って行くが、観客の大半は興味を失っている。日常、ということだろう。
ジューンはしばらくそこに残って、表彰式を最後まで眺めていた。
客席の清掃が始まるのに追い出されるように、ジューンは客席を降りた。
部屋を借りているホテルへ戻るのをやめにして、チェンが契約したスタンドアッパー整備工場へ向かう。そこの整備士が、この時期は深夜まで仕事があると漏らしていたので、すでに日が暮れかかっている今でも開いているはずだった。
シュミット整備社の建物が見えてくる。明かりはついている。
巨大な整備場に入っていくと、二機のスタンドアッパーが横になっている。もう整備が終わっている機体らしい。
プリーストⅡ型を探すと、奥で整備の真っ最中だった。チェンがすぐそばに控えて、作業を見守っている。そのチェンがジューンに気づいた。
「よお、試合はどうだった、ジューン」
「面白かったよ」
チェンに並んで機体を見る。ボロボロだが、まだ戦えそうだった。
「チェン、この機体をアーネストに引き渡してやってくれ。連絡先はわかるだろう?」
その言葉に、ジューンが「マジかよ」とぼやく。
「イスカンダルの代わりにこいつじゃあ、見劣りするな」
「いらないというなら、処分してくれ」
「ジューン、お前は乗らないのか?」
改めて、ジューンは目の前のスタンドアッパーを見た。
「来るべき時が来れば、乗るかもな」
チェンは何も言わなかった。
ジューンはここを去ると決めた。
同時に、いつか戻ってくるとも決めた。
やるべきことはある。
やりたいこともある。
邪魔するものはいない。
自由というものをジューンは初めて、体感していた。
勝利も敗北も、受け入れることができる。成功も失敗も、受け入れることができる。
世界の中に飛び込む感覚は、高揚感を伴っている。
ジューンの視線は、遠くを見ていた。
故郷よりも遠く。
未来よりも遠くを。
あるべき形を、まっすぐに見据えていた。
(了)
スタンドアップ・リバース! 和泉茉樹 @idumimaki
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