第16話

      ◆


 警察署に連行されたが、房に入れられることさえなかった。

 傷害についても触れられないまま、警官に見送られて建物の外へ出た。

 日は暮れていて街灯が周囲を照らしている。その中に、チェンが一人で立っていた。なんでもないように彼はジューンに手を振っている。

 歩み寄ると、「お手柄だったな」と笑いかけてくる。

「奴を殴ったことか? どこかで見ていたのか?」

「あれくらいは十分に許される結果ということさ」

 どうも事情が分からないな、と思っているジューンは、自動車が近づいてくるのに気づいて場所を空けた。自動車はそのまま警察署の玄関に横付けされる。

 なんとなく様子を見守っていると後部座席から背広の男が降りて、ほんの短い時間、ジューンの方を見た。

 ジューンも彼を見た。

 時間が凍りついた気がした。

 その男は、ラドゥだった。

 間違いない、ラドゥだ。

「待てよ」

 無意識に足を踏み出していたジューンの二の腕をチェンが掴む。

 振り払う前に、チェンがはっきりとした口調で言う。

「奴はグリューン皇国警察から派遣された捜査官だ。クォーターの罪を追及する」

 ジューンはチェンを睨みつけ、次には襟首をつかんで引き寄せていた。

 しかし、何も言えない。何を言えただろう。

 あの国では全てが腐っていた。ラドゥも、仲間を売った唾棄すべき存在だ。

 だが今は少なくとも、正義をなそうとしている。裏のある正義だとしても、裁かれるべき犯罪者を相手にしているのだ。

「間違いは起きないな?」

 軋るような声でジューンが問いかけるのに、おそらくな、とチェンは苦しげに答えた。

 ジューンは、相棒を解放した。よろめいたチェンは襟元を正しながら、「食事にでも行こうぜ」と普段通りの口調で言う。

 それがジューンには何よりの救いだった。

「乱暴なことをして、すまない」

 気にするなよ、と笑ってチェンが歩き出す。

 賑やかな通りを歩きながら、ジューンはそれに気づいた。

 チェンはついさっき、警察に逮捕される寸前に姿を消した。それは初めてのことじゃない。

 グリューン皇国のユーツの闘技場で、警察が摘発を強行した時も彼は無事だった。トイレに行っていたと本人は話していたが、怪しいものだ。

 まるでチェンは警察の行動を予知するような行動を、二度もしている。

 それは偶然ではないのだろう。

 チェンは警察組織に通じている。間違いない。

 そのことを指摘して、問い質すことをジューンはしなかった。

 したところで意味はない。友人としてそこにいるのだから、それで十分だろう。

 それに、チェンは金で買収されるようには見えない。彼は徹頭徹尾、クォーターを追っているのだから。強い使命感と、忍耐力がそこには見える。

 ここにしようとチェンが食堂に入っていく。

 その背中には、暗いものはないように見えた。

 ジューンは目の前にいる男を、許し、信用することに決めた。

 それは久方ぶりの感覚だった。



(続く)

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