本と痣
からりと鳴くベル。
新刊と古本の混じった本の匂いと静かで落ち着いた空間。ついこの間、改装したらしき店内は規模こそ小さいが、とても清潔に整頓されて本が
本屋と図書館、いつだって本こそが僕の心を唯一満たしてくれる存在で、まさに生きがいであった。
「おや……いらっしゃったのですか、坊ちゃん」
のそのそと眼鏡を掛け、確認をとるかのように奥から顔を覗かせたこの店の主。猫屋敷先生。彼はこの店を開くまでは国語の教師をしていたそうで。僕の顔を見て、安心したと、穏やかに微笑んだ。
「坊ちゃんはやめて、頭撫でないで」
ワサワサ頭を撫でくりまわされて喚く僕を見て本当に嬉しそうに微笑むので、悪い気がしなくなってくる。それはそれで、複雑だ。
「お客さんが段々と減っていってましてね。本なんか読んでる暇が無いらしいのです。獅鷹さんもそろそろ学生さんを卒業する頃かと思い……ほら。最近は顔を覗かせてくれないでしょう。勉学に励んでおられるのですか」
「いや、最近は、勉強は気分じゃあなくて……って違う違うっ、体の調子があまり良くなかったから来れなかったんだ」
「ふふ……坊ちゃんは相変わらず嘘がお上手ですねえ」
見透かしているかのように余裕ある猫屋敷先生は、閉店間際の店内でまた忙しく働き出した。明らか重そうな本の積み上げをヒョイと持ち上げ運んでいる。
「良いんだよ、なんでも。気にしないでくれよ。でも本当に体の調子は悪いんだ……多分」
「成長期ですからね。でも、あまり無理せず」
パタパタと動き回りながら、少し心配そうにこちらを見てくる。申し訳ない、本当はただ気分じゃなかっただけ。先生は猫屋敷、なんて苗字を持っているのにまるで犬のようにころころと表情が変わる。
「……僕にも分からないんだ。やっぱ成長期なのか」
ぼやき店内にある幅広く大量の新刊、古本を手当たり次第探していると。
「ん? なんだこれ……ずいぶん埃まみれ」
赤く赤く、それは朱色の鮮やかな発色をした装丁の本であった。ほこりに塗れようと、その発色の良さは変わらない。
「……綺麗な本だ」
見惚れて気になって、中身を確かめようと表紙を捲る。
「うわああっ」
突然、右腕の痣が蠢く。形が変わっていく。
「どうされたのです、坊ちゃん!」
先生が声に気付いて足早にやってきた。やっぱり犬だ、ってそうじゃなくて!
「真っ赤な本、開こうとしたら痣の形が変わって……」
「? どの本です?」
「これだよ!」
僕はずいっと先生の目の前に本を押し付ける。
「ぼ、坊ちゃん?」
「えっ」
「その赤い本とは……どこにあるのでしょう」
申し訳なさそうに言う先生の言葉に、僕はヒュッと吐く息が止まる。青ざめる僕の姿を見て先生も「どうしましょう、どうしましょう」なんて言って慌てふためき、病院に電話しようとしてそれを僕が止める。
「大丈夫だ! 寝ぼけてた、寝ぼけてただけ」
安堵の表情を見せる先生の目に偽りはなさそうに見えた。しかしさっきは確かに僕の手元や右腕の痣の方を見遣っていたのだ。そのはずだった。
「ほら、ごめん。仕事戻って」
「わ、わかりました。しかし、本当に大丈夫なのですか?」
「問題ない。僕もう帰るけどまた来るから。先生も体大事にしろよ」
「お互いさまですからね。またの来店をお待ちしております」
深々とお辞儀をした先生を後ろ目に、僕は振り返らずに家へと向かった。しかしそういえばこの時、先生がどのような表情をしていたのかよく分からなかった。存外あっさりした別れの言葉を掛け合ったことに少し引っ掛かりを持った。
焦って持って帰ってしまった真っ赤な本に気付いたのは、自室に着いて「しまった!」と声を上げた、その瞬間であった。
鬼使いの子 笹錦トト @toitoitopu
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