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 アンブロシアの予測した通り、事態は急速に変化した。

 テレゴノスに関する写真付きの記事はマルティロ社のネームバリューも手伝ってあっという間に真実として街中に広まり、やがて同盟諸国内まで伝播していった。

 今や市井の人々の話題はサンジアに潜むであろうテレゴノスについてのもので溢れかえり、トーレス達の飛行機がそこに混ざる事があれば、『どちらが強いか』という不毛かつ自明なものばかりであった。

 巻き添えを喰らう形になったのは、山の東西を繋ぐメイディオス。ここを統率する同職者組合の首席陣は採決場にて絶えず議論を戦わせ、その動向を知らせる新聞とラジオ放送が日夜、街を駆け巡る。

 そうして臨時議会はやがて、連合国側の主だった代表達と、シラクス大使を招いての協議を開始する。

 シラクス大使からの要求は二つ。テレゴノス現存が誤報であったという事の証明、及びそれが不可能である場合はセレコ峠への一時進軍の許容。

 サンシアとポーレ本国は沈黙を貫く。そして無論、メイディオスにとって後者は到底受け入れられるものではない。

 足並み揃わぬ連合国家と恐怖政治を敷く大国間の関係は再び、四十年前の緊張状態へと回帰していた。



 そんな中、ベイロン・ワーカーズの工場はいつもと変わらず騒音にまみれていた。そのせいで、部外者の侵入になど気付きもしない。

 自室の作業机にてトーレスは新聞を眺める。その後ろで、スーツ姿のアンブロシアが当たり前のようにベッドに腰を落ち着けている。

 つい数分前までは影も形もそこに無かった女は、門外不出である飛行機の試作模型を弄り倒し、感嘆の声を上げる。

 流石に見かねたトーレスは釘を刺す。

「壊さないで下さいね」

 聞いているのかいないのか、アンブロシアはこちらに軽く手を振り視線を模型に戻す。好奇心に振り回される子供のようで、これも彼女の数ある顔の一つなのだろう。

 トーレスは息をつき、気になっている事を尋ねる。

「マルティロの方も、今は街の偉い人に問い詰められて忙しいのでは?」

「どうでしょうね。あっちは私が書いたものじゃないし、下っ端の私が出る幕でも無いので」

 心の底から興味が無さそうだ。そして、アンブロシアは模型を持ったまま立ち上がる。直後、模型が宙に浮いた。正確には、それを手にしている彼女の姿だけが見えなくなった。

 そのままこちらに見せつけるよう、ふよふよと漂わせる。

 匂いと足音はするので、そこに『居る』のは間違いない。トーレスは新聞を置き、話をしようとする。

「ただの、いち雑誌風情が騒ぎ立てただけで、こうも国家が動くものか」

「動きましたねえ。そうなるように私たちは動きましたから。少し前に、シラクス王宮内で証拠映像の上映会がありました。褒められた入手手段じゃないのでメイディオスの議会には出さないそうですが」

 気もそぞろな声が聞こえた。

 確かに、非合法的に得た証拠は証拠足り得ない。加えて何よりも『法』を重んじるシラクスとしても、表立ってその映像は掲げられない。

 彼女の姿が元に戻り、こちらに向き直った。いつもの慇懃無礼な澄まし顔だ。

「シラクス側には確証はあるが、証拠は出せない。だからポーレ側が無実であるならば、『無い』事をそちらで証明しろ。本来なら無理筋、証明責任の放棄ですね。もちろん、実際はポーレも真っ黒ですけど」

 一通り遊んで満足したのか、彼女は模型を元あった棚の上に置く。

「俺なんかが出る幕、無いでしょうに」

 ぼやくトーレスの顔を、アンブロシアがかがんで覗き込みに来た。

「大丈夫。現実はいつだって、悲観的な想定に寄り添って歩み続ける。出番はありますよ」

「大丈夫ではないけど」

 トーレスは返事をしながら、近過ぎる顔を手で払う。そんなつれない態度を取るトーレスに、アンブロシアは眉を顰めて抗議の表情を見せる。

 彼女はその後、少し距離を置き、服の埃を払って一礼する。

「また来ます」

 そのまま部屋の扉ではなく窓の方に歩んでゆく背中に、トーレスは声を掛ける。

「次からは来る前に一言言って下さい。片付けるから」

「普段から片付けておけばいいのでは? あの子だって、その方が嬉しいはずですよ」

 間髪入れず言い負かされ、ぐうの音出ない。トーレスは駄犬のように頷く。

 アンブロシアは少し笑い、窓から身を乗り出して姿を消す。かと思うと再び現れた。

「そうだ」

 わざとらしく右手の人差し指を立て、こちらを振り向く。

「近いうち、私が取り次いだ『お客様』が貴方の元を訪れると思います。どうか、お気をつけて」

「気をつける? 何で?」

 勝手に話を進めないで欲しい。しかし、それを聞き入れて貰えるだけの力も無い。

 そして今度こそ見えなくなった彼女は、窓枠、雨樋、瓦を順に掴む音だけを立てて消え去っていった。

 後には埃が舞う空間に、開きっぱなしの窓が残った。

 どうにもやるせない気持ちを抱えながら、トーレスは窓を閉める。

 その時、ノックの音がした。彼は一瞬驚くも、続いて聞こえた声に安堵する。

「トーレスさん、入りますよ」

 レオの声であることを確認し、扉の鍵を開けにゆく。

 扉が開くなりレオは鼻を鳴らして辺りを嗅ぐ。

「なんか良い匂いしますけど、誰か居たんですか?」

「いや」

 トーレスがしらを切ると、レオが訝しげな表情を浮かべた。

 勘の鋭い少年だ。悪い事をしている訳でも無いのに心臓が鳴ってしまう。

 しかし、レオはすぐに用事を思い出して伝えてくれる。

「ベイロンさんが呼んでますよ。改良案は纏まったか、って」

 昨日の今日とは、いつもの性急さに拍車が掛かっている。一瞥した製図台

には飛行機そのものの部品ではなく、緊急脱出に使う落下傘を描いてみた図面がある。

 これ以上は実際の動作を見ない事には改良のしようがない。それを再確認してからレオに向き直る。

「今ひと段落した。すぐ行くよ」

 返答を聞いたレオは頷き、何処かへ走ってゆく。

 彼らを巻き込む訳にはいかない。だから、為すべきを為す。それが今の自分に出来る事の全てだと言い聞かせる。

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Histeresis 河岸 悠 @sapporo17

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