おまけ 死人のひとりごと

本編の果て青のSS。

桜川大岳:薬剤師 

古屋敷夜道こやしきよみち:死人のラジオパーソナリティ。死んだことによって情動を失っている。

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「いらっしゃいませ」

「待ち合わせなんだけど」

 どうぞ、と少し長い廊下を進めば、急に視界が開ける。ここはこの神津こうづで最も高い神津スカイタワー27階展望ラウンジのスカイ・クラシカル。一枚ガラスが建物外壁を半円形に囲っていて、南にある辻切つじき区、昼であればその向こうの百夜山ももよやままで見渡せ、神津一の眺望を誇る。

 待ち合わせの相手はすぐに知れた。こんな場所なのに景色には全く興味を持たずに手元の書類を眺めていたからだ。

「待たせた? 大岳だいがく

「いや」

 大岳の手元の黄色い液体はおそらくレモネードだろう。私たちはお酒を飲まない。同じものをと頼んだから、そのうちレモネードが運ばれてくるんだろうな。本来ならここはお酒を頼むべきところだけれど、もはやそんなことを気にしたりもしないのだ。


奏汰そうたさんに言われたの?」

「それはあるが、祝うつもりはあるんだよ。ただ夜道よみちが喜ばないことも知っているだけで」

「嫌なわけじゃ全然ないんだよ」

「そうか。誕生日おめでとう」

「ありがとう」

 手渡される小さな箱。今、ここであけるべきなのかな。開けたら、何か反応をしないといけなくて、それに応答するために大岳は多分少し、困るだろう。それなら家に帰ってから開けよう。

 そして案の定、そこで会話は途切れた。

 奏汰さんというのは少しお節介な幼馴染だ。なにくれと私と大岳をくっつけようとする。かつての私なら、おそらく様々な反応をしたのだろうけれど、今の私の感情は地底湖の水面のようにフラットだから、とりたててどうということもない。けれどもそのお節介はかつての私と繋がっていて、どこか懐かしくて好ましくはあると感じる。

 私が死んでからもうすぐ一年が経つ。私は死んで、おそらく魂を失って、そこから情動というものがすっかり欠けてしまった。

 大岳はもともとおおよそに対する情動というものが薄い。だから私は死んでしまってからようやく、大岳が考えていることがなんとなくわかるようになった。前は全然わからなかったのに。皮肉なこと。


「夜道、来週治験がしたい」

「いいよ。休みをとったほうがいいかな」

「不要だ。指を一本借り受けたい」

 指ときたか。

「この暑い時期に手袋は目立つんだよ」

「そうか。では奏汰から義指を借りよう」

 なるほど。奏汰さんの作る義指はとても高性能だ。それに包帯でも巻けば突き指で言い通せるだろう。そもそも週に一回のラジオの収録をうまくかわせれば、あとは事情を知っている所長の事務所にいるだけだ。

 私は死んでしまって、生き返った。だから大岳は私を治そうとしている。死から治すっていうのは恐ろしくだいそれたことのように思う。でも、何のために? 多分、私のために。

「何か困ったことはないか」

「特にないかなぁ」

「そうか」

 やっぱり話題はすぐになくなる。けれどもそれは特に困ることでもない。特に話すことがないというだけだ。きっと昔なら困ったのだろうけれど、今となっては沈黙に対して何かを話さないといけないという義務感が生まれることも特にない。特に相手が大岳の場合は。


 このバーラウンジは夜通し開いている。だから特に何もなければ、大岳は手元の書類を読み終わるまでここにいて、読み終わったら研究室に戻って仮眠を取るんだろう。私は私で今日はラジオ番組の収録があるから、その時間になったらスカイタワー2階のデッキスタジオに行く。

 ここで時間を費やすことに取り立てて意味は見出せない。けれどもそれは全てが同じことだ。私は死んでしまってから、それから生き返ってしまってから、生前の暮らしをリフレインしているだけなのだ。

 生きていた頃と同じ行動をとり続ける。積極的にそうしたいわけではないのだけれども、私にはほかにすることがない。

 けれども生きていた時、大岳とバーに飲みに来ることもなかったなと思う。そうするとこれは、私が死んだから起こった変化なのだろう。

「夜道、嫌なら言って欲しい」

「珍しくしつこいね」

「心境の変化というものは通常は起こりうるものだ。それに前の夜道なら断っていた」

「そうだね。けれどもやっぱり、今はどっちでもいい」

「そうか」

「治してくれようとしてくれてることは嬉しいよ」

「それならやりがいもある」

 けれども治りはしないのではないか。一度手放した私の魂はすでにどこかに行ってしまって戻ってこない。そんな気はしていた。

「それで今度はどんな治療?」

「この間、遺伝子治療を試みたんだ。それで夜道の中身を組み替えれば変化があるかなと思って」

「中身を?」

「そう。今の夜道にはもともとの夜道の部分と、新しく夜道を蘇らせた部分がある。ウイルスベクターを使ってその新しい部分を除去できるか試したい」

 ウイルスベクターか。私の中の私を書き換える。

「それは奏汰さんに相談すべきじゃないかな。奏汰さんは反対してたでしょう?」

「だから先に夜道に聞いた。夜道がいいといえば反対はしないだろう。それに指一本で試す。ダメなら指は破棄する」

「それは所長が反対するんじゃないかな」

「細胞など正常化すれば、いずれ複製移植が簡単にできる世の中になる」

「そっか。ともあれ私はみんなで話し合ってもらえればそれでいい」

「では最後だ。夜道が正常になった結果、夜道は死におちつくかもしれないが、それで構わないな」

 私の中に未知の何かがいる。

 それは死んだ私を蘇らせたもの。私はそれによって生き返って、それを除去したのちも生き続けるのか。あるいは私はそれによって死を免れ、それを除去したのちに死体に戻るのか。それはまだわからない。なにせこれに罹患したことが確認できるのは、今は私だけなのだ。


「構わないよ。けれどもそれで私の魂は治るものなのかな」

「治らないと思う。俺には魂というものがわからないからない。けれども何か試せることがあるのであれば、それは幸運なことだ」

「そうだね」

 たくさんの無駄を積み重ね、たくさんの行き止まりにたどり着く。この試みがうまくいく可能性なんてまるでないと思う。なにせ生きた死者を殺して生き返らせようとしているのだから。

 この不確かな夜の中で、それでも何かを手に入れられるのなら、そこには何があるのだろう。生を取り戻すとして、それがどんなものだったのか、もはや私は忘れてしまったけれど。

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