第3話 植物の因子

 俺と桜川は九州に飛んだ。文献には双子が生まれた場合に訪れるようにと植物園の場所が明記されていた。昔は双子が生まれた場合、俺たちの先祖は本当に片方を捧げに行っていたのかもしれないと身震いした。そんな馬鹿な。けれども俺には夢しかいない。絶対に渡さない。

 そこは駅から遠い山村で、既に荒れ果てていた。

「桜川先生、どうされるおつもりです?」

「さて、行かなければわからない」

「そんな化け物なんているはずがない」

「朔、世の中は理屈がわからない、解明されてないものばかりだ。未知の病など最たるものだ。そのうち機序のわかったもののみを科学と呼ぶ。わからない限りは祟りや呪いと同義だ」

 桜川の説明は頭では理解できなくもない。けれども。

「化け物に会えば解決するとでも?」

「わからない。それがどのような形で実在するのかも」

「実在?」

 植物園の男の実在。かりに実在したとても、既に何百年百合のことだ。今も実在するはずはないし、仮に実在するのなら、それは正しく化け物なのだろう。けれどそんなものはいるはずもない。

 けれども夢の、植物が生える病というものも、他に例のないものだ。

「朔。可能性は極めて低くとも、対処が検討しうるということは恵まれている」

「夢がですか!?」

「通常は遺伝子異常、特に極めて特殊な遺伝性疾患に治療方法などない。前に話した通り、夢の病をもたらす遺伝子異常の原因が先祖のウィルス感染等にあるのならば、その原因となった特殊なウィルスの研究ができれば抗体を作る可能性が生まれる」

 体から発生する異物。遺伝子に組み込まれた病。それは朔にとっては現実として存在し、桜川の中では既にあり得る病となっていた。


 先祖の住んだ屋敷は既に朽ち果てていた。放置されて久しいのだろう。植物園跡も同様で、大量の雑草が行手を阻む中、可能な範囲で土を採取した。

 俺には完全に徒労に思えた。

 今腰掛ける廃屋の縁側前の庭も、高さ2メートル程のひしめく雑草が温かな南風に揺れてるだけだ。一日の作業で体は汗で湿り、体は重くなっていた。吹き抜けるこの生ぬるい南風が体にふれるたび、奇妙な懐かしさと居心地の悪さを俺にもたらした。

「無駄足が踏める余地があるのは幸福だ」

 桜川の様子は変わらず、同じように働いたというのに、汗をかく様子もない。やはり、非人間的に見える。だから答えをくれそうな気がした。

「……先生、弟はもう駄目なんでしょうか。日に日に痩せています」

 俺はずっと思っていたことを口に出した。桜川は夢の希望をいれ、症状はいつも夢のいる前で説明する。だから夢のいない今しか、聞けるタイミングはなさそうだった。

 俺にとって、夢は唯一の家族だ。決して失いたくはない。

 けれどもそのやせ衰えていく体を、夢の苦しみをこれ以上見るのは忍びなかった。そして桜川が行っているのは確かに実験で、それがただ、夢を苦しませているだけなのなら。そう考えれば、いっその事終止符を打つことも脳裏に浮かんでいた。けれども。

「その問いは無意味だ。本人の気力次第のところもあるが、夢は強い。諦めなければ生きられる。今日も久我山が治療したはずだ」

 唇を噛み締めた。そうだ。夢は生きることを望んでいる。対処療法はなされている、ただの延命は可能な状態にまで持ち越せている。それは意味があることなんだろうか。夢。

「……土は集めました。早く帰りましょう。心配です」

「この土は確かに本に記載の場所から採取したが、正確かはわからない」

「そんなの今更です。全て物語だ。それともこのあたり全ての土を採取するとでもいうんですか⁉︎」

「夜を待ちたい。先祖が何かに会ったのは夜だろう? 荒唐無稽だが、知人から妙な話を聞いた。芭蕉精ばしょうのせいという妖怪の話だ」


 妖怪、という非現実的な、そして人文的な言葉が桜川から出るのは初めてで、困惑する。そしてその沖縄の民話は俺たちの先祖の話と同等かそれ以上に奇妙だった。

 女は日が暮れて以降は芭蕉の原を歩いてはならない。何故なら美しい男が現れ妊娠し、鬼子を産むようになる。それも毎年。


「何を言っているんです? それこそ物語でしょう?」

「掴む藁があるのなら、掴むべきだと思わないか? 何度も言うが長く伝えられた話には時折真実が含まれる。その女の鬼子が染色体異常による疾患だという可能性が……」

 その時、カサリと音がした。見上げると、雑草の合間から整った顔の男がこちらを見つめていた。まるで先祖の話と同様に美しい月の光に照らされて。まさか。

「貴方はこの家の子ですね」

 その男は、じっと俺を見て涼やかな目でそう述べた。

「は……い?」

「片割れは既に亡くなられましたか。早く連れてきてもらえれば」

 片割れ? その言葉に頭を殴られたような気がした。

 なぜ夢を知っている。俺に双子がいると知っている。ということは、先祖のあの話は真実なのか? まさか。これまで信じていなかった御伽噺が、姿を持って眼の前にいる。茨姫の物語のような夢の病と同様に。

 そう思った瞬間、目の前は真っ赤になり、燃え上がるような怒りが波のように全身に広がった。こいつが夢をあんなふうにしたのか。こいつが全ての原因なのか。叫び出しそうな憤怒を桜川が遮る。

「連れて来ればどうなっていた?」

「先生⁉︎」

「永らえることだけは」

「どうやって」

「こちらへ」

 唯一の手がかりだと囁く桜川の声に混乱しながら男の後ろを歩くと、鬱蒼と生い茂っていた雑草はあたかも招き入れるかのように2つに割れて道ができた。植物園を過ぎ小高い丘に登れば、静かな月光が差し込むそのいただきには何本かの大木が生え豆が成っている。

 そして直感し、慄いた。この木は人間だ。夢と同じだ。ここでは人が木になる。


「な……んで」

 愕然、呆然、恐れ、温かみ、そんな感情がぐちゃぐちゃと俺の心を支配する。けれども隣で聞こえた冷静な声は、更に混乱をもたらした。

「どうして実が? 東京では付かなかった」

「この地が必要なんです」

「採取しても?」

「構わないが」

 実? 実なんてどうでもいいだろう!?

「先生! 何でそいつと仲良く話してるんだ! こいつのせいで!」

 けれども桜川は静かにするよう俺の肩を叩く。

「元に戻すことは可能ですか?」

「混ざった以上は不可能です。そこは重々説明したのですが」

「本人は納得しても、子孫は違うものだ」

 男は初めて、目を伏せてからわずかに申し訳無さそうな表情で俺を見た。

 ここに着任した先祖の妻は死病を得た。妊娠しており、このままでは子諸共死ぬ運命だ。当時植物園に自生していたこの男は見かねて声をかけた。妻によく水を貰っていたからだ。

 男の植物たる生命力を与えれば妻も子も助かるだろう。けれども双子が生まれた場合、男の力は分散し、片方は人に、片方は植物になる。この丘の上であれば、植物として生きられる。

 先祖はそれでも良い、と考えたのだろう。そうでなければ妻も子も皆死ぬ。

 男はそのように了承を得て力を貸した。

 死ぬ。けれども植物として、だと?

 問い詰めようとした瞬間、男の姿は薄らいで消えた。気づけば既に夜が明け、陽が差し込んでいた。


 まるで幻のようだった。目の前には豆の大木がそびえ立っていたが、日の下でみればただの植物で、人のようには思われない。辺りを見回しても、すでに日常を取り戻していた。

「朔哉。夢哉にとって、神津で人のまま治療を続けるのと、ここで木として生きるのとどちらがいいと思う?」

 その問いかけが信じられなかった。

「先生! 信じるんですか?」

「信じはしない。けれども理には叶っている」

「どこが⁉︎」

 桜川が言うには、卵子の受精後、受精卵が分割する過程で突然変異が生じることがある。その異常は片方が集中して引きうけることが多く、研究結果では15%に偏りが見られるそうだ。

「植物関連のゲノムが突然変異し、夢哉に偏ったことが夢哉の病の原因である可能性がある。つまり祟りではなく、やはり遺伝病だ」

「病気……? でもあの男が原因なのでしょう?」

「あの男が何なのかはわからないし、考えても仕方がない。過去に何かあっても、既にお前たち固有の遺伝子情報として、植物化は組み込まれている。それに男の言う通りなら、男がいなければお前たちの先祖は死んでお前たちは生まれていない」

 それは……そうなのかもしれない。

 けれども問題は今の夢の病気だ。原因は、俺なのか。俺が夢に異常を押し付けたからなのか?

 『僕が僕じゃないみたいで』

 夢の言葉は心に刺さる。

「考えても無意味だ。この木の遺伝子情報を持ち帰り、お前と夢哉の遺伝差異を調べ原因となるゲノムを特定すれば治療するベクターワクチンが作れるかもしれない」

「治るんですか⁉︎」

「わからない。そもそも先程の男も幻覚、共有精神病性障害妄想を共有する精神障害の可能性も高い。だからラボで最初から検証しなければ話にならない」

「信じないなら何故それを?」

「可能性があるのなら、全て検証すべきだ」

 桜川の手には男が消えた所に生えていた豆の苗が収まっていた。

 その後しばらくたち、俺と夢の遺伝子から、植物の因子だろうと思われるゲノムも特定されたと桜川から説明を受けた。桜川の目の下には深い隈が刻まれていた。そのことに困惑した。始めてみた桜川の人間的な変化だったからだ。


「ワクチンは作れるかもしれない。これから持ち還った木の遺伝子をマウスに植え付けてワクチンの効果を検証する。動物実験の次に、一般的には人体実験が必要だ。夢哉の体が痛んでいる以上、朔哉、お前で安全性を確認してから夢哉に投与するしかない。ここからの道筋は全く見えない。実験段階で拒否反応が出て死ぬかもしれないし、お前にも植物が生えるかもしれない。その確率すらわからない。それでもやるか」

「勿論です。聞くまでもない。その植物の因子というのは夢哉じゃなく俺に偏ってた可能性もあるんでしょう? たった1人の家族で、弟ですから」

「そうか」

 初めて、桜川が僅かに微笑んでいる気がした。そしてこれまでの桜川の行為を思い出す。桜川だけだったのだ。俺たちの話を真剣に聞き、そして解決しようとしてくれたのは。

「それより先生は何故これほど親身になって頂けるんですか。どこかにバレれば医師免許が飛ぶでしょう?」

「俺にも治したい人がいるからな」


Fin

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