第2話 芽吹く原因

 機序。

 夢に植物が生えた日、それは突然のことだった。

 二人で夕食をとっていると、夢が突然倒れて意識を失った。救急車で運ばれたが異常はなく、貧血と診断された。それから1ヶ月経つうちに夢の体調は急激に悪化し、喘息で再入院した。

 検査すると肺に影がある。肺癌の疑いで手術したところ、肺の中でエンドウ豆状の植物が育っていた。

 そんな馬鹿な、誤診だと騒いだが、見せられた肺組織片にはモジャモジャともやしのような細白い蔓が生え絡まっていた。それでも信じられずにいると、目の前で更に切開され、中まで白い蔓が詰まっているのが見え、思わず嘔吐した。

「大丈夫? でもまぁ、全部取ったよ。俺は手術は得意だからさ。これから生検するけど大丈夫なはず」

「あの、何でこんなことに?」

「原因はわかんないけど、ないこともない」

「植物が生えることが?」

「うん。俺も前に学会誌で同じような症例を見たんだけどさ、植物の種が気道に入るんだ。だいたいは蒸せて吐き出すんだけど、たまに残って発芽するらしい」

「そんな馬鹿な」

 目の前の久我山奏汰そうたという名札をつけた医者は、少し困ったように微笑んだ。

「でも本当にあるんだよ。なんなら後で論文探そうか。肺の中というのは適度な温度と湿度、水分に酸素があるから植物の育成には適するらしい」

 馬鹿馬鹿しいと思ったが、親切にも自宅に論文が送られてきた。本当にそんな症例はあるようだ。


 それからすぐ、夢は再び入院した。

 今度は左目の目尻から芽が生えたのだ。ある朝、目の端から眼球を突き破って黄緑色の若芽が飛び出した。退院からわずか二日後、左目が見えないと夢が異常を訴えた矢先のことだ。

「硝子体内に植物がある。通常ここへの混入は考えられない。それからおそらく、夢君の体内各所で植物が発芽している」

「どういうことですか⁉︎ 久我山先生」

「言ったそのままだ。全身をCTで調べた。一番大きいのは左眼球内だけど、左内耳、右膝の軟骨、それから腸内の一部におかしな影がある。左眼球は根まで張ってるから、予後を考えると結膜や瞬膜ごと摘出するしかない、と思う。他は内視鏡で取ろうと思うけどどうかな」

 俺はその意味を咀嚼しようと頭を捻っていたが、夢は即答した。

「お願いします」

「おい夢! 左目がなくなるんだぞ!」

「朔、この間から体の調子がおかしいんだ。僕が僕じゃないみたいで。それから先生、とれた左目を見せてください」


 摘出された左目は異様だった。結膜ごと摘出された眼球は小さな皮袋に入った鉢植えのようで、膜と眼球の境目からにょろりと柔らかい葉が出ていた。久我山がメスで眼球を動かすと、それは確かに眼球の端を突き破っていることが見て取れ、その部分を切開するとゼリー状の物質が少し溢れ、その内部に渦を巻くように茎と、それから水耕栽培のように根が詰まっていた。

 これが夢の中に? 嘔吐感が迫り上がる。

「気持ち悪いのはわかるけど、これを見て。大事だから」

「……これ?」

「この植物は網膜から直接生えている」

 久我山が指し示す先では、眼球の内側の一部が土山のように盛り上がり、そこから青い茎と根が出ていた。

「どういう……ことですか」

「理由はわからないけれど、この植物は夢君の内側から生えている。他のものもそう」

 久我山が見せた筋膜片と腸間膜片からも、そこから発芽したとしか思えないという形で膜が盛り上がり、緑の蔓が生えていた。

「よければ研究のためにそれを培養したい」

「先生は弟を実験動物かなにかだと思ってるんですか!?」

 俺は久我山の言葉に俺は激高した。けれども久我山はじっと俺の目をみつめ、そこに興味本位は見当たらず、むしろ心配が滲んでいるように見えた。

「それは違う。状況は君が思っているよりずっと悪い。全身くまなく造影したけど、これらに至らないほどの組織異常が複数ある。頭の中のくも膜の一部にも。未だ瘤にしか見えないけれど、ひょっとしたらその全てが発芽する可能性がある。そうなれば命に関わる。そしてそれは続くかもしれない。当面放射線で焼こうと思うけど、抜本的な治療には研究が必要だ」

 その結論は、俺達にとって悪夢でしかなかった。

 なぜ、夢がこんな目に会う。会わなければならない。もう2人きりしかいないのに。


 それから桜川を紹介されて今に至る。

 1日1回、久我山が桜川のラボ研究室サイバーナイフという放射線治療ピンポイントで腫瘍を破壊する装置で、その日夢に発生した植物を焼く。保険適用外のこの治療に、研究名目でベッド代程度しか請求されないことには感謝しかない。

 夢の奇病は普通に治療すれば恐ろしい大金が必要だろう。この放射線治療だけでも一回に数十万はかかるそうだ。

「奏汰、情報をすり合わせよう」

「うん。腸間膜の芽だけど培地栄養源に置く限り増え続ける。それで病理の報告では遺伝子は未知の種類らしいけど、植生自体はマメ科っぽくて、今はだいたい3メートルくらいまで伸びた」

「は? 久我山先生、それはどういう」

「そのままだよ。逆にそのまま保管した筋膜の芽は栄養がなくなれば枯れた。普通の植物と似た性質を持つ。だから多分夢君に生えっぱなしにすると夢君が、えーと」

 珍しく、いつも迷いのない久我山が目を彷徨わせる。沈黙を破ったのは当事者の夢だった。

「久我山先生。続けてください」

「……うん。夢君の栄養がなくなるまで、つまり完全に死ぬまでは成長を続けて死んだら枯れる。だから寄生植物じゃない」

「寄生以外の何ものでもないじゃないか!」

「朔哉、寄生ならば宿主を殺したりしない。死んでは元も子もないからだ。奏汰、その植物は実花をつけるのか」

「今のところないね」


 植物のDNAを調査した所、豆科の亜種ではあるそうだ。発芽した部分の夢の細胞片を調べると、その部分のT細胞とB細胞免疫細胞が存在しなかった。

 そのため局所的に免疫不全が生し、そこに生じた植物があたかも移植されたかのように組織と一体となり、芽吹くという。

「大岳、それ、SCID免疫不全マウスと同じ状態ってこと?」

「そうだ。夢は細胞単位で突発的に免疫不全が生じるのだと思う。細胞異常、つまり癌に類似し、放射線治療は対処療法としては正しい」

 そのマウスは免疫機能、つまり拒絶反応が極めて乏しい。だから人の正常細胞であってもそのマウスに移植でき、移植用臓器や皮膚の培地となるらしい。

 そこからの大岳の仮説はその場の誰にも理解できなかった。

「免疫不全の箇所で植物が夢のDNAに勝つ。つまり植物因子は夢のDNAに内蔵されている。そうとしか思えない」

「そんな馬鹿な」

「奏汰、他にどこから入るんだ」

「いや、でもさ」

「2人の先祖は植物園の何者かにゲノム遺伝子情報を編集された。朔と夢は一卵性の双子で、片方だけが発芽した。そう考えれば、伝承と一致する」

「何の話?」

「あの、桜川先生、本当にその話、信じるんですか?」

 困惑しか無い。久我山も首をかしげていた。

「今のところ、他に浮かぶ仮説はない」

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