朔と夢

Tempp @ぷかぷか

第1話 木を生やす夢

「調子はどうだ、ゆめ

「あんまり良くはないけどね、昨日よりは大丈夫」

 眼の前のベッドにはたった1人の弟の夢哉ゆめやが力なく横たわっていた。家族はもう 夢の他にいない。ペンライトで薄っすらと照らされる俺と同じ顔の色は昨日より幾分いい。けれども部屋は薄暗い。だから実際はよくわからない。

 この6畳ほどの個室にはベッド脇に小さなチェストがあり、その上にポットと水と酒が乗っている。それを除けば、設備は簡単なキッチンとミニ冷蔵庫とクロゼットがあるくらいで、他には窓もなにもなく、天井の電灯は取り払われている。後はせいぜい夢が私物として持ち込んだ何枚かの着替えとタブレットとその充電器くらいだ。


 夢はこの真っ暗な部屋に3ヶ月ほど前から閉じこもっている。

 理由は明白だ。夢の体の中で植物が生えるからだ。

 夢は植物が生えだしてから、みるみる痩せ衰えた。おそらく夢の栄養を奪い取っているのだろう。今も酷い状態だ。観測のために左腕の手首付近からは1本の蔦が生えている。その憎々しい薄緑色の柔らかい蔦の先端はくるりと巻き、夢が肩を動かす度、その余波で夢の表皮から5センチ程度の中空でふよふよと揺れていた。

 当然ながら体内に植物が生え、根を張るるという事象は酷く痛いらしい。体外に発芽する太さになれば特に。だから夢はブロック注射を打ち、右肘から先の感覚を閉ざしている。夢の指先は柔らかく温かいのに、もう動かない。思わずその手を握りしめた。

 けれども桜川大岳だいがくは表情を変えずに鼻の上に乗せたメガネをわずかに押し上げ、機械のように呟く。

「そちらの朔哉さくやに率直に言えといわれているから率直に言うが、状況は悪い」

「先生、俺にだけ言ってくれればいいのに」

 その一言が、夢の負担になりはしないか。俺にはそれが気にかかる。

「そちらの夢哉からも同じように言われているからな。別々に話すと二度手間だし、情報に齟齬がでると面倒だ」

「それでどう悪いんですか、桜川先生」

「夢哉、先生は不要だ」

 桜川と最初にあった時、俺にはひどくぶっきらぼうで、冷たい人間に思えた。けれども確かにこの病に真面目に取り合ってくれる者など、他にはいなかった。真面目に、という語彙をどのように解釈するかという問題だが、ようはどの病院に入院してもそこでは人道的な治療を行うだけで、非人道的な治療には踏み込まなかった。


 非人道的な治療。

 それはいわゆる人体実験と呼ぶのだろう。医療行為は人に侵襲を及ぼすものだ。客観的には傷害罪に該当する。対象が同意したとしても、『真っ当な治療行為』を除き罪となる。

 だから患者に良い効果を産むかもしれない治療でも、成功率だとか過去の臨床例だかで一定の効果がある確証エビデンスでもない限り、それは医師にとって違法性を帯びる行為なのだそうだ。

 それで実験的な手術や治療を行う医師は、それを可能とする設備を有するそれなりに大きな組織、つまり病院や研究機関に所属している。だから倫理委も法務部も存在する。俺は夢を治すために、人体実験でもいいからやってほしいと主張した。けれどもそれは逆効果だったんだろう。前例のない症例だ。五里霧中で効果が得られるかすらわからない治療など到底許可されない。腫れ物のように扱われた。 

 だからすでに八方塞がりで、どの病院も発芽部分を切り取り、穏当な保存治療、つまり栄養剤で延命をはかる終末医療のような処置しか行おうとはしなかった。


 この桜川を紹介したのは神津こうづ大学附属病院の久我山くがやまという若い医師だ。

「俺は外科医だから生えたのを切るしかできないけどさ、マジでなんとかしたいなら人を紹介するよ。うまくいくかは全然保証できないけど」

「人を?」

「俺の幼馴染でそいつも医者なんだけどさ、製薬会社で研究をしてるんだ。よっぽどでもいいっていうんなら」

 既に治療の術はなくどの医者にも見限られている。その『よっぽど』の内容は少し気にかかったが、藁にもすがる思いで頼り、桜川を紹介された。そして『よっぽど』の意味はすぐに知れた。診療記録カルテを縦覧しての最初の発言からも。

「植物が生えるなら、暗い所に閉じ込もれば成長が止まらないかな」

「は?」

「植物は光合成で光から有機物を生成する。光を当てなければ成長しないんじゃないだろうか」

 その時、夢の体に植物は生えておらず、だからセカンドオピニオンを求めてもどの医者も診療記録を信じなかった。けれども桜川は久我山が嘘をつくわけがないと言い、頭から信じた。それだけでも有り難かった。

 以降、夢はこの真っ暗な部屋に閉じ込もっている。そのせいで、僅かににだけ夢の中の植物の成長は遅くなっているそうだ。


「色々と試したが温度管理はあまり意味がない。人の体温たり得る温度では発芽と成長は止められない。水分摂取を控えても、結局は本体たる夢哉が脱水症状を引き起こせばその生死にかかわる。経口でなく点滴で摂取しても同じようだ」

「酒もだめですか」

「駄目、というか酒は植物の成長には有害かもしれないが、夢哉自身もそれほど肝機能が強くない。弊害が大きいだろう。それにアルコールは脱水を引き起こす。そのために摂取水分が増えれば意味がない」

「そう……ですか」

 水分を減らす試みは頓挫した。他にも色々試した。植物が苦手とする酢酸、つまり酢酸ナトリウムを点滴で注入したり、酸素飽和度を上下させたりだ。その他、通常では考えられないような奇妙な実験が夢の体に行われている。

 当然同意の上でだが、それで死ぬ可能性があるといわれても、放って置いても夢は死ぬ未来しか無い。だから様々な、俺たちが思いつかない方法を提案する桜川には感謝している。


「それでご実家の言い伝えは確認できましたか?」

「はい。一応調べましたが荒唐無稽な話です。何か役に立つとも思えません」

「それは伺ってから判断します」

「けれども、大昔の祟りとかそういう話ですよ」

「昔は多くの病の原因は祟りとされていました。言い伝えがヒントとなる可能性はある。例えば禁足地に踏み入れることで祟りが発生するのなら、その禁足地の奥に病原菌が存在し、そこから抗体が作れるかもしれない」

 全ては雲を掴むような話だ。この奇病は祟りの類に思われた。

 俺と弟は旧家の出だが、縁者はすでにない。両親が存命のころ、俺たちが双子であることを気にかけていた。理由は教えてもらえず、言葉尻を濁した。

 それが気になり何かないかと、自宅敷地に長年閉ざされたままの蔵をあけて資料を探した。数十年誰も立ち入らない埃がつもったその奥で、ボロボロの書物を見つけて手をとると、所々虫食いながら、流麗な文字が書かれていた。


 寛永3年のことだ。

 当時武家であったこの家の当主は主からの命に従い、妻子とともに南方に赴任した。あてがわれた屋敷には大きな植物園があった。ある月の大きな夜、奥方とともに庭に出ると、植物園から1人の美しい男が現れた。

 そこで何事かが話し合れ、男が奥方の手を取れば、月の光が陰るようにその男はサラサラと姿を眩ませた。なお、話し合いの内容の部分はボロボロで、読めなかった。

 その後、その家に双子が生まれた場合、一方を捧げ、残った方は長命となったという馬鹿馬鹿しい話だ。そんなことがあってたまるか。


「その捧げ先がこの植物なのかな」

「信じるんですか? こんな荒唐無稽な話を」

「信じてはいない。けれども君たちの先祖は信じたのだろう。それならばそこに何らかの機序がある可能性はある」

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