第三章 八咫烏 3

 体に衝撃を感じて目を覚ました。腹の上に大きなスーツケースが乗っている。状況が分かると急に息苦しくなって跳ね起きた。


 ベッドの横に真っ赤なサマードレスに着替えた刀根が立っていた。


「いつまで寝ているのよ。もう八時半よ」

「何もこんな起こし方しなくてもいいじゃないですか」

「声を掛けたけど起きなかったからよ。早く準備をしなさい」


 不承不承立ち上がり荷物を纏めた。刀根の荷物まで持たされてロビーに下りると、クレメンズと木之下が待っていた。


「増渕さん、データは受け取りました。ありがとうございます」


 クレメンズが満面の笑みで握手を求めてきたので、増渕は荷物を置いて応えた。


「コンピュータを盗まれたそうですね。基地の関係者として心からお詫びします」


 コンピュータの部分だけが英語の発音だったのが面白くて思わず笑みがこぼれた。それをクレメンズは許しが得られたものだと勘違いしたらしく大きく頷いた。


「マリ、彼に同じものを買ってあげてください」


 フロントでチェックアウトの手続きをしていた刀根が、片手を上げて了承の意思を示す。


「そちらも何か被害が?」空っ惚けて訊いてみた。

「実験の計画書と関係書類が幾つか盗まれました」

「観測は中止ですか」

「いいえ、予定通りに行います。あなたのお陰で日時の見当が付きましたのでね」

「ホントウニ、アリガトウ。コレデ、ユメガカナイマス」


 木之下がこちらの手を取って笑顔を見せた。目に涙が浮かんでいるように見える。この涙にどんな意味があるのだろう。きっと八咫烏の言う恨みに繋がっている筈だ。でも、だからと言ってあのデータが日本の根底を揺るがせるものだとも思えない。抜き出した画像が、木之下の復讐心を少しでも和らげてくれればいい。そう思った。


「お役に立てたようで良かったです。もう画像は御覧になりましたか」


 木之下は首を横に振った。待ち続けていた筈なのに、意外だった。


「昨日の騒ぎで僕たちもまだ見てないのです。ご希望のものが写っていればいいのですが」


 刀根がチェックアウトの手続きを終えてやって来た。


「私も一度東京に戻るわ」

「ゴクロウサマデシタ。キミノオジイサマニハ、カンシャノコトバモナイ」

「マリ、いつでも遊びに来なさい。私たちはもう家族です」

 

 クレメンズが刀根をハグする。


「ありがと。まだ取材することがあるから、近いうちに来るわ」


 刀根は木之下を見て、「木之下さんもお体大切に」と悲しげに言った。


「増渕くん、荷物よろしく」


 刀根が命令を下してエントランスに向かう。荷物を持ってその跡を追おうとしたけれど、確認することがあったのを思い出して立ち止まった。


「実験には立ち会わせてもらえるのでしょうか」


 名刺を渡して、クレメンズが大きく頷くのを待った。

 クレメンズは「その時が来れば」と曖昧に答えただけだった。


 ホテルの外では、レンジローバーの助手席で刀根がいらいらとした表情で待っていた。急いで後部座席に荷物を積み込み、運転席に乗り込むと刀根が見透かしたように言う。


「本当に観測実験に呼んでもらえると思ってるの?」

「だって人類初のタイムスリップですよ。見たいじゃないですか。それに僕は……」


 増渕の口を塞ぐように刀根は一枚の紙切れを出した。一千万円の小切手だった。


「口止め料込みのギャランティよ。米軍にとっては、もうあんたは用済み」

「そうか、……そうですよね」


 がっかりして小切手を受け取り、胸ポケットに押し込んだ。


「でも、アフターサービスはしてくれるでしょ? 私は画像をまだ見ていないし、木之下さんはやっぱり放って置けない」

「分かりました。刀根さんには最後まで付き合います」

「じゃあ決まりね」


 刀根はさっぱりとそう言って、「出して」といつものように顎で指示を飛ばした。


 ゲートの手前から、基地の外に大勢の人たちが集まって騒然となっている光景が見えた。〈日本での発砲は許さない〉などと書かれているプラカードを掲げてシュプレヒコールを上げる人たちや、それを取り巻くカメラを持った取材陣。その集団と対峙して沖縄県警の機動隊員たちが、基地への侵入を防ごうと睨みを利かせている。

 

 防衛ラインを越えた男を、機動隊員のひとりが羽交い絞めにして地面に押し倒した。たちまちシュプレヒコールが怒号に変わり、もみくちゃの状態になった。


 車を進めようとすると衛兵が制した。このゲートからは出られないようだ。


「きのうの騒ぎが報道されたのね。もうこんなに集まっている」

「やっぱり沖縄の人はみんな基地反対なんですね」

「みんなじゃないわ。よく聞いてみなさい」


 飛び交っている怒声をよく聞くと、沖縄特有のイントネーションの他にも、関西弁やたどたどしい日本語も混ざっている。外国語で叫んでいる人もいるようだ。 


「まあ、色々と複雑なのよ」


 刀根が車を降りて衛兵と何やら相談し始めた。暫くすると、レンジローバーの後ろに米軍のハンヴィーが一台やって来た。木之下の車椅子を押していた若い兵士が運転している。


「きょうはどのゲートもこんな感じらしいわ」

 

 衛兵と話していた刀根が助手席に戻った。


「別の出口があるらしいから、後ろの車に付いていって」


 ハンヴィーがハザードランプを点灯させてUターンしたのでそれに続く。


 基地の規模が大きすぎて、何処をどう通ったのか分からなかった。一軒家が並んだアメリカ郊外のような一角を抜けると、左側の視界が急に開けて滑走路が見えた。格納庫の前に戦闘機や輸送機が並び、その先に海が見えたので、飛行場の北側にいるのだろう。右側のフェンスの向こうには一般道が走っていて直接出られるようだった。でもフェンスの扉の前で反対派のデモが行われていた。先行するハンヴィーはその一般道を潜るトンネルを抜けて、飛行場の北側に広がる丘陵地帯に入っていった。


 山道に続く橋の下には綺麗な小川が流れていた。車一台がやっと通れるほどの細い道の周囲には、亜熱帯特有の植物が生い茂っている。人の手が殆ど入っていない原生林のように見えた。


「此処も基地なんですかね」

「弾薬庫地区ね。初めて来たわ。米軍が占拠しているから開発できないのね。地形が自然のまま残っているわ」


 刀根が言うには、この弾薬庫地区は嘉手納基地よりも広いらしい。その規模は嘉手納町だけではなく、沖縄市、うるま市、恩納村おんなそん読谷村よみたんそんの五市町村に跨り、沖縄本島中部で大きな割合を占めているという。時折、木々の間から台形の特殊な建造物が連なっているのが見えた。弾薬庫だそうだ。


 丘を一つ越えた所に小さな監視所とフェンスの扉があった。先行するハンヴィーがその手前で停まり、運転していた若い兵士が扉を開けた。下から上へ大きく手招きする。ゆっくりと車を進め、刀根が助手席から若い兵士に礼を言うのを待って、アクセルを踏んだ。


 フェンスの外には畑が広がっていた。身の丈を超えるさとうきびが風に揺らいでいて、緑の海原のようだ。その先の紺碧の海との間に国道五八号線が見えた。


 那覇に向かう途中、コンビニエンスストアで刀根が新聞を買った。琉球新報と沖縄タイムス、八重山日報の地元三紙だ。


 大手全国紙が本土から那覇の空港に届くのは午前十時過ぎだそうだ。そんな事情から、この三紙のシェアが沖縄では九八パーセントを超えるようになったという。米軍基地に関しては、八重山日報以外は断固反対の立場をとっているらしい。自ずと昨日の騒動を伝える三紙の記事は見出しが違っていた。


 琉球新報は〈嘉手納基地の発砲、日本側捜査できず〉という見出しだった。沖縄タイムスも〈基地内で銃声、演習場外での暴挙〉と、米軍による発砲を問題視する内容だ。八重山日報には〈嘉手納基地に過激派侵入〉という刺激的な文字が躍っていた。


 那覇空港に到着した頃には、待合室に並べられたテレビでも各局のワイドショーがこの事件を扱っていた。搭乗待ちの人たちが食い入るように画面を見詰めている。


 刀根と一緒にシートに腰掛けて、なんとなくテレビに目をやっていたのだけれど、ワイドショーの司会者が速報として伝えた内容に耳を疑った。


「いま入ってきた情報なのですが、嘉手納基地で爆発物が見付かったようです……」


「八咫烏が仕掛けたんですかね」こっそりと刀根に声を掛けた。

「何のためによ」刀根も小声で返してくる。

「そうですよね、ただ情報を盗みに入っただけでしょ」

「それは分からないけど、壊したいものがあるとしたら、あのスマホとあんたのパソコンぐらいでしょ。爆発物なんて必要ないわ。それに両方とも盗んでいったじゃない」


 テレビでは、司会者が「官邸で官房長官の会見が始まるようです」とコメンテーターの話を打ち切った。各局が官房長官の会見を生中継するようだ。搭乗待合室のテレビが全て記者会見場の映像に切り替わった。


 会見場に神妙な面持ちで現れた官房長官が壇上の日の丸に一礼して演台に着く。いつもは自信に満ちた声が、心なしか震えているように聞こえた。


「本日未明、米空軍嘉手納基地に過激派が侵入した件につきまして、日本政府は日米同盟への重大な脅威と捉え、警察庁に一刻も早い容疑者の確保を指示したところであります。今後の調査におきましては、米軍当局と綿密な連携を取り合いながら進めてまいります。以上です」


「爆発物が見付かったとのことですが」記者から質問が飛んだ。

「正式な報告はまだ受けておりません」

「沖縄県警が嘉手納基地に入れないのに、綿密な連携など出来ますか」

「事件は米軍管轄地内で起こったものであり、捜査は日米地位協定を遵守して行われます」

「容疑者に繋がる情報の提供はあったのですか」

「頂いております」

「米軍が基地周辺の警備強化を要請していますが」

「その件につきましては……」


 テレビを見ていた刀根が不意に「日本は何も出来ないわよ」と言った。


「何をです? 捜査ですか? 警備?」

「容疑者の確保よ。だって八咫烏なのよ。政府の裏組織みたいなものだもの。皇室とも関係が深いのだろうし」

「爆発物が見付かってテロリスト扱いされているんですよ。庇うわけにはいかないでしょ」

「どうするんだろうね」


 刀根がこちらを指差して、「犯人をでっち上げたりして」と口の端を吊り上げた。

「やめて下さいよ」刀根の指を払い除ける。


「だって事件が起こった時に基地内にいたでしょ」


 それはそうだ。基地の中を捜査できない日本の警察から見れば、容疑者のひとりなのかも知れない。


「そんなこと言ったら、刀根さんもいたじゃないですか」


 刀根は自分を指差して、「女テロリスト」と笑った。


「冗談よ。そんなわけないじゃない。米軍は私たちを知ってるし、私たちも被害者なのよ」

「刀根さんの冗談はきつ過ぎるんですよ」


 搭乗ゲートが開いたようで、刀根は増渕の抗議を全く聞かずに行ってしまった。


 秋葉原のアパートに戻ってきたのは午後三時過ぎだった。

 コピーした画像を見るために刀根も自宅には戻らず此処に来た。USBメモリを貸すと言ったのだけれど、家まで帰るのが面倒だったらしい。よくよく訊くと、住まいは江東区の門前仲町だという。羽田には此処より近いくらいだ。何が面倒なのか分からなかった。


 相変わらず刀根が自分の荷物を持ってくれないので、ボロアパートの錆び付いた急角度の階段を二人分の荷物を持って上がった。ドアに貼っていたメモがなくなっている。丸岡興行の若い衆がパソコンを取りに来たのだろう。


 鍵を回してドアノブを引いた。開かない。閉め忘れていたのか。もう一度鍵を回すとドアが開いた。……誰かが入ったのか。


 部屋の中は、荒らされているわけではなさそうだ。不審に思って立ち止まっていると、刀根が「早く入りなさいよ」と背中を押した。何も変わらない部屋。否……やはり何か違和感がある。モニターの角度が少し変わっているようだ。何があった?


 刀根が来客用の椅子に座って、「早く画像を見せなさい」と命じる。ポケットからUSBメモリを出して、コンピュータに繋げようと作業机に潜り込んだ。

 ……無い。そこにある筈の二台のコンピュータが無い。代わりに封筒が置かれていた。


「どうしたのよ」刀根が尻を小突いてくる。

「それが……無いんです」作業机の下から這い出して、刀根に封筒を見せた。 

「久我さんがコンピュータを持っていったようです」


 厚みのある封筒に、〈パソコン代 金五十萬円也 久我〉と書いてあった。


「きのう盗んでいったのと合わせた代金でしょうか」


 封筒の中に入っている一万円札五十枚を確認する。

  

「こっちのパソコンにも何か秘密があると思ったのでしょうね。データ復元用の結構いいソフトが入ってたから、三台分だとちょっと足りないかなあ」


 作業台に封筒を放り出して、外に置きっぱなしの荷物をひとつずつ部屋に入れ始めた。


「警察に通報しても捕まえられないんですよね。お金も置いてくれているし、まあいいか」

「まあいいか、じゃないわよ。画像はどうやって見るのよ」 

「ゼンゾウさんに借りましょう」沖縄土産の入った紙袋を持ち上げた。

「私とは話にならないって言っていた人でしょ」

「会えば、僕の言っていた意味が分かりますよ」


 不満げな顔をして渋々立ち上がった刀根と二〇三号室に向かう。ドアにはまだ増渕が書いたメモが残っていた。それを剥がして声を掛ける。


「ゼンゾウさん、増渕です。帰りました」

「来たよ」ゼンゾウさんが応える。

 刀根は不思議そうな顔をして、「来たよ?」と小声で繰り返した。


 何事もなく丸岡興行にコンピュータを渡してくれたようだ。


 ドアを開けると、部屋の真ん中でモニターに向かっている上半身裸のゼンゾウさんが、年齢不詳の顔をこちらに向けた。まだ昼間だからなのか、布団は被っていない。


「色々ありがとうございました。これ、お土産です」


 増渕は持っていた紙袋の中から三十センチほどの細身の竹のようなものを出した。


「さとうきびです」


 ゼンゾウさんは、さとうきびと後ろにいる刀根を交互に何度か見て、「初めて」と言った。


「彼女は刀根マリさん。いま一緒に仕事をしています」


 刀根は一言も発さずにぺこりと頭を下げる。いつもの調子が狂わされているのだろう。土産を渡しても帰らないでいると、ゼンゾウさんは察して「いいよ」と招き入れてくれた。「お邪魔します」部屋に入り、呆気に取られている刀根を呼び込んだ。


「このUSBに入っている画像を見せて欲しいんです。うちのコンピュータが使えなくて」


 ゼンゾウさんはUSBメモリを受け取って、壁沿いに置いてあるタワー型コンピュータのひとつまでかさかさと這っていきジャックに嵌めた。


「使わせてもらいます」モニター前に陣取ってキーボードを操作する。


 ゼンゾウさんが紙袋からさとうきびを取り出して齧り始めた。刀根がその光景をまるで珍しい動物にでも遭遇したような顔で見入っている。


「刀根さん。画像が出ます」と声を掛けた。

「いろいろと衝撃的だわ」刀根は我に返って、増渕の隣に座った。


 モニターには三十枚の画像のサムネイルが並んでいる。撮影された順番に確認していく。一枚目の富田博と少女のツーショットに続いたのは、演劇の舞台を客席から撮った画像だ。


「そんなのはいいから、時間を逆行したあとの画像を出しなさいよ」


 言われた通りに、タイムスリップして最初に撮影したと思われる画像を選択する。入れ墨で埋め尽くされた男の顔がモニターに映し出された。刀根が息を呑んで頷き、「次」と声を高ぶらせる。


「では二枚目いきますよ」


 ダブルクリックすると、ドーム状の茅葺屋根のような住居が並ぶ集落の画像が現れた。一番手前の建物の横に、五人の子どもと二人の女性がこちらを見て立っている。麻で織られた貫頭衣を着ていて、子どものうち男三人は顔や手足に入れ墨をしている。男は頭に布を巻いていて、女性たちは髪を後ろで束ねていた。


「次いっていいですか」


 ……返事が無い。


 振り返ると、画像を見ている刀根の眼にうっすらと涙が浮かんでいた。


「刀根さん? どうしました?」

「あんた、この画像を見て何とも思わないの? 千八百年前の光景が目の前にあるのよ」

「ああ……、ちゃんと驚いてますよ。感動してます」


 刀根が睨み付けてきて、「いいわ。次見せて」と顎をしゃくる。


 三枚目は砂浜から撮影した木造船の画像だった。相当に大きな船だ。二十人ほどの全身入れ墨の男たちが乗り込んでいる。切り立った船首には龍の頭のような装飾がされていて、船体の中央とその後ろに二本の帆柱が立っていた。この船を護衛するように、周りには小さな三隻の丸木舟が浮かんでいて、そこに弓を持った男たちが乗っていた。


「大きな船ですね」

 

 見たままの感想しか出ないけれど心は揺さぶられている。遥かな時を超えて画像が再現されていることに。


「この時代に帆船があったのね。驚きだわ」


 次に開いた四枚目の画像に、増渕と刀根は驚嘆の声を上げた。

 聳え立つ巨大な建造物だった。


 立派な六本柱に支えられた頂上が茅葺屋根の舞台のようになっている。そこまで木で作られた階段が延びていた。一番下には長刀を手にした兵士のような二人の男が立っている。男たちの大きさから推測すると、建造物の高さは二十メートルを遥かに超えるだろう。入道雲を背にして立つその姿は圧倒的な存在感を放っている。


 刀根が思い出したようにトートバッグを引き寄せた。中からスクラップブックを取り出して、そこに貼られている発掘現場の写真を見せた。石畳に六つの巨大な穴が並んでいる。


「これよ。掘立柱建物の跡。木之下さんは、これを見付けていたんだわ」

「邪馬台国の証明になるってことですか」


 刀根は残念そうに首を横に振る。


「すごい遺跡ではあるけど、これだけでは証明にならないわ」


 すぐ後ろでゼンゾウさんがさとうきびを齧りながら、興味深そうにモニターとスクラップブックの写真を見比べていた。

 

 ごくり。

 

 ゼンゾウさんが齧っていたさとうきびを飲み込んだ。


 刀根が吃驚して、「食べちゃだめ」と大声を出す。


 その声にゼンゾウさんも驚いて、手にしていたさとうきびを反射的に刀根に投げ付けた。ゼンゾウさんはまだ口をもぐもぐさせている。


「ペッしなさい。ペッ、ペッ、お腹が痛くなるわよ」


 紙袋の中を見ると、五本あったさとうきびが二本しか残っていなかった。三本も食べてしまったのか。でもゼンゾウさんなら大丈夫な気もする。


「ゼンゾウさん、それは甘い汁を吸ったら、カスは吐き出していいんですよ」


 残りのさとうきびを出して紙袋を渡す。ゼンゾウさんは口に残っていたものをそこに吐き出して、「次」と急かした。


 五枚目は石祠の写真だった。


 刀根は、投げ付けられたさとうきびをゼンゾウさんに返して、スクラップブックを捲り、崩れた祠の写真を画像と見比べた。画像の石祠にはまだ何も祀られておらず、出来たばかりのように見える。天板や側板には渦巻状の文様がびっしりと彫り込まれていて、赤と緑で着色されていた。


「この祠で間違いないと思うわ。作られてすぐに撮影したようね」 

「卑弥呼が自分の祠を撮らせたんですかね」

「新しい祠ということは、この画像が撮られた時には、卑弥呼は死の淵にあるか、死んだ直後なのかも知れない」


 では卑弥呼の画像はないのだろうか。少し残念な気もした。刀根は逆に高揚しているようで、「次いこう」と上擦った声を上げる。


 六枚目の画像も壮観なものだった。海を臨む城塞。長大な石垣に囲まれた石畳の上には、何百人という木製の鎧を着た兵士たちがずらりと整列している。石垣の高さは十メートルを超えるだろう。その壮大な光景を俯瞰する構図だった。 


「北谷の海底遺跡にそっくりだわ。これが海に沈んだのかも知れない」

「さっきの建物の上から撮ったんでしょうかね。この高さなら……」


 そこまで言って、込み上げてきた違和感に言葉を切った。


「どうしたのよ」

「この画像はスマホで撮られているんですよ。邪馬台国の人たちがスマホを操作できるとは思えません」

「どういうこと? 分かるように言いなさい」

「時間を逆行するのはスマホだけではないということです。スマホを操作できる人も一緒にこの時代に行くんですよ」


「富田博さんね」刀根が大きく頷いた。


「米軍は富田さんも実験に使うんでしょうね。まあ、こうして撮影をしているわけだから、時間の逆行は人体に影響が無かったということなんでしょう。米軍が観測しようがしまいが富田さんはタイムスリップしちゃうのでしょうし」

「私たちにはどうしようも出来ないじゃない。次のを見せて」

「これが最後です」


 七枚目――最後の一枚は少女の画像だった。


 白塗りの顔で鼻筋や目の下に紅のラインが引かれている。素顔は分からない。袖と襟を紫色に染めた白い着物を纏って、首には細長い勾玉のような不思議な飾りを掛けていた。頭には太陽を模った金色に輝く王冠を載せている。


 この画像だけ少し傾いていて、スマホを掴んでいるような構図だ。撮るな、とでも言っているのだろうか。こちらを睨んでいるような少女。その姿は神々しい迫力があった。


「やった! 卑弥呼じゃないですか」 

「違うわ」刀根はすぐに否定した。


 けれど明らかに興奮しているようだ。無意識なのか、わざとやっているのか、刀根がまた太腿を力一杯に掴んでくる。相当に痛い。


「卑弥呼が女王になるのはもっと歳を取ってからよ。この子は若すぎる。壱与だわ」

「イヨ?」

「卑弥呼の跡を十三歳で継いだ女の子よ。邪馬台国二代目の女王。卑弥呼は高齢で夫もいなかった。だから宗女そうじょの壱与を後継者にしたの。この娘がそうだとは証明できないけどね」

「宗女って聞いたことない言葉です」

「一族の娘だとされているけど、よく分からない。とにかく卑弥呼の親類縁者の中から選抜されたと考えられているわ。でも文献で分かるのはそこまで。壱与がその後どうなったのか、子孫を残しているのか、どこにも記録はない」


「誰?」ゼンゾウさんが突然声を出した。


「だから壱与かも知れないって言ってるじゃない」


 ゼンゾウさんが増渕と刀根の間に割って入ってきた。キーボードを操作してファイルを探し、時間を逆行して最初に撮影された画像を出す。入れ墨男の顔のアップがモニター画面に映し出された。


「その男が誰かなんて分かるわけないでしょ!」


 刀根がいらいらした口調で言い放った。ゼンゾウさんは、そんな刀根を気にすることもなく、「女。女……」と言いながら画像を少しずつ拡大していく。


「女って何よ! ちゃんと喋りなさいよ!」

「まあまあ、コンピュータをお借りしているんですから」


 苛立つ刀根を宥めて、ゼンゾウさんがやっていることを注視する。

 モニターには入れ墨男の瞳の部分が大写しになった。


 ……ああ、ゼンゾウさんの言葉の意味が分かった。


「女性ですね」


 増渕の言葉に、刀根の苛立ちは頂点に達したようで、「どういうことよ!」と怒鳴った。


 ゼンゾウさんは刀根の眼の前に人差し指を出して、その指でゆっくりと画面に大きく映し出されている瞳を指す。


 その瞳には、この画像を撮影している人物が反射して写り込んでいた。構えているスマートフォンに隠れて顔は分からないけど、ツインテールの髪型と着ている白いワンピースから女性であることは明らかだった。


 刀根も理解したらしく、「ああ、女の子ね」と呟いた。

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