未来の推しプロジェクト (下)

 明日、娘が結婚する。父親として愛する我が子が巣立つということは非常に寂しいが、ようやく肩の荷が下りたという安堵もある。

 娘夫婦は私が主導した国家プロジェクトの記念すべき第一例目になろうとしていた。香澄と湊くんの運用を行ってくれた酒井さんと岡田くんには本当に感謝している。今日はその前祝いとして、ちょっとしたパーティーが開かれていた。

「バックアッププランなんですけど、運用はしばらく私たちで担当したいと思ってます」

 酒井さんが会場の浮かれた雰囲気とは相容れない仕事口調で話し始める。

「共同生活におけるバグは潰してきましたが、結婚式後の心境の変化は非常に繊細なものなので、ずっと運用を行っていた私たちが担当した方がいいという結論になりました」

「他の運用のサポートにも入ってもらうなかで、申し訳ない。ただ、一例目ってこともあるし、そうしてもらえるとすごく助かるよ」

「一例目っていうのもそうですし、社長の娘さんですから、絶対幸せにしてあげたいんです」

 酒井さんはちょっと涙ぐんでいた。思えば酒井さんだって、香澄の親みたいなもんだよなと考える。

「ありがとう。とはいえ、明後日からの新婚旅行はAIに任せて、しっかりと休んでおいでね」

 酒井さんは二週間貰ってもやることないですけど、とちょっと寂しそうな顔をしつつ、ぺこりと頭を下げる。それを見計らったかのように、経済産業省の佐藤さんが近づいてくる。

「井上さん、本当にお疲れさまでした」

 佐藤さんは恭しく低い位置で乾杯をしてきた。同プロジェクトは佐藤さんが入省したばかりの頃に国との調整がはじまっていた。成功する可能性が不透明で誰もやりたがらない中、半ば強制的に上からプロジェクトリーダーを押し付けられた。彼女は若いながらも非常に優秀で、随分と無理を言って迷惑をかけた。そんな佐藤さんも四十を超えていた。眉間のしわを見るたび、これは私のせいだろうかと申し訳ない気持ちになる。

「佐藤さんのお力添えがあったからこそです。感謝しかありません」

「いえいえ、色々と無茶を言ってしまって申し訳ありませんでした。どうしても今期までに実例を作りたくって。納期の調整、ありがたかったです」

 佐藤さんと昔話に花を咲かせていると、岡田が慌てた様子で近づいてきた。

「社長、村中議員が来られています。プロジェクトの概要を説明してほしいとのことで」

 佐藤さんは困った顔でごめんなさいと頭を下げる。村中氏は扱いが面倒なタイプで、プロジェクト反対派の一人だった人物だ。機密性が高いこのプロジェクトは政府関係者でも数名という限られたメンバーにしか知られていなかった。そのなかではじめはほとんどが反対派だったと記憶している。運用がうまくいくにつれて協力的になってくれたものの、もともと右から左に聞き流していただろうから、このプロジェクトの内容を自分では説明できないのだろう。明日は娘の旅立ちの日なのになんでこんな面倒なことを、と断りたい気持ちでいっぱいだったが、今後の資金調達のためにと村中議員のいるテーブルへ向かう。


 『未来の推しプロジェクト』は合計特殊出生率の改善が第一の目的だった。奇異の感染症の発現や性指向の多様化、GDPの低下から、日本における出生率は著しく下がり、二十年前についに0.5を切った。超高齢化社会の中で高齢者を支える労働人口が減り、海外から労働者を集めるも賃金が年々高くなり、国家存続の危機に至っていた。この悪循環を断ち切ろうと、官民ともに様々な取り組みが始まった。同プロジェクトはその一つだった。

 プロジェクトの着想は「推し活」からだった。生涯独身である人の特徴として、アイドルやアーティスト、俳優、仮想のキャラクターといった「推し」がいる人が多い傾向にあった。配偶者や子どものためではなく、「推し」のために働く。落ち込んだ時は「推し」に励ましてもらう。「推し」が労働の活力になり、精神の支柱になっているのだ。科学的にも「推し活」が健康長寿につながるというデータも出ており、人生を豊かにする活動であることは明らかだった。一方で、「推し活」のために恋愛の機会が減るという損失もあった。「推し」へのリスペクトや独占欲が高まるにつれ、現実世界での対人コミュニケーションへの興味が低下してしまうのだ。「推し」へのエネルギーを現実世界で消化させるのが『未来の推しプロジェクト』だ。平たく言えば、「推し」と結婚できるプログラムである。

 対象は第二次性徴が始まった男女だ。プロジェクトの最終ゴールは出産なので、性志向が異性であることが条件になる。今回の対象者はプロジェクトに関わる人間の身内だった。身内とはいえ、同意できる家族は少なく、男女合計で十五人に留まった。さすがに監視カメラを仕掛けることはできなかったので、家族間のコミュニケーションといった名目で、親が監視を行い、モニタリング状況を毎日報告する。タスク開始時には脈拍を測る装置や脳神経の電子信号をキャッチするチップを対象者に埋め込み、数値管理も行う。

 第一段階として、対象に推しを作らせるために、普段からアイドルの映像を見せたり、対象限定にアイドルの広告を配信したりとこっそり布教した。推しは対象者のなかで類似の容姿である必要があるため、選定するのにひどく時間がかかった(酒井さんがアイドルオタクだったの本当に助かった)。多くは義務教育が終了する時期には、異性の好みや特定の推しが決まっていく。ここからが運用の出番だ。対象に対し一人の運用担当といった形でマンツーマンで運用を行う。推しに好かれるような思考や容姿になるよう、いわば育成ゲームのような要領で能力値や美粧性をあげていく。女性が二十五歳になる年に入籍し、翌年子どもを出産するというのが暫定のゴールだが、長期的なところでいうと、対象者の子どももいつかは子を持てるように、数十年先まで見据えて運用がなされる。

 洗脳だと言ってプロジェクトを批判したり、会社を辞めていった人間は少なくない。実際、私自身も娘の考えや容姿を操作するのは抵抗があったが、理想の人物を描いてみると、どの属性の値も平均より秀でる傾向にある。それに近づけるために質のいい教育を受けさせたり、整形をさせることは、結果的には豊かな人生につながっていくので、私は教育方針の一つとして解釈することにした。もっとも、私の遺伝子である一重瞼を早々に二重にさせられたのは心が痛んだのだが。


 推しに出会い、いずれ結ばれるというプロセスの中で、注意したのはストーリー性だ。AIで最適解を導くにあたり、一般的な恋愛のデータに加え、創作による理想的なデータも1割ほど混ぜ込んだ。予想外の展開があればあるほど、マンネリを防止でき、二人の関係が良好に保たれる。数十年前まで出会いの場の舞台となっていたマッチングアプリやSNSはストーリー性がないというのが欠点で、出会いはするも、そこから発展・継続させるのが難しいという課題があった。古い言葉だが「赤い糸」で結ばれていると認識させるためにも、唯一無二の舞台を用意する必要があった。私は統括する身なので、運用には直接関わっていなかったのだが、娘の大事な場面についてはありったけのリクエストを酒井さんにしたものだ(ただし、基本的には身内の意見は合理性に欠けるため、データの取り込みさえしてもらえない)。

 今回の成功例は一番最初に運用をはじめたということもあり、手探りではあったものの、今後のお手本となるような事例になったと思う。来年の出産可能性が七十五パーセントと曖昧な数字ではあるが、どちらも身体的な異常はないので数年以内には必ず子宝に恵まれているはずだ。本プロジェクトの情報解禁のあかつきには、宣伝頭になってもらいたいくらい、理想的な例である。もっとも、種明かしをしたら、せっかく結ばれた二人の関係が崩壊する可能性が高いので、絶対に伝えることはないのだけど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

未来の推しプロジェクト 陣ちとせ @jin_chitose

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ