未来の推しプロジェクト

陣ちとせ

未来の推しプロジェクト (上)

 私の人生は順風満帆な方だと思う。それなりの努力をしたとはいえ、こんなに幸せでいいんだろうかと、時々不安になる。香澄は隣で静かに寝息をたてている湊を見て、ふっと口元を緩めた。


 香澄が湊と出会ったのはロンドンだった。大学の留学プログラムでイギリスに来たばかりだった香澄は、イギリスの日の長さに慣れておらず、完全に時間感覚を失っていた。気ままにロンドンの街をぶらぶらして、学生寮のある郊外に帰ろうとしたところ、想定外に遅い時間になっていて、直通のバスがなくなっていた。知らない地で不安になりながらも、昔ロンドンで暮らしていた父の知恵も借りつつ、なんとか乗り継いで帰る方法を見つけたが、乗り継ぎで1時間空くというスケジュールに絶望した。

 1本目のバスを降り、2本目のバスが発車するバス停に向かう。バス停のベンチで一人ぽつんと座っていたのが湊だった。街灯がまばらで暗かったが、何となく無害そうだなと思い、失礼しますと声をかけて隣に座った。湊の顔を見て、驚いた。なぜなら、当時香澄が好きだったアイドルのレン君にそっくりだったからだ。イギリスだから変装していないのだろうか、と本気で考えた。

「なぁ、飲まへん?」

 レン君同様の関西弁でさらに驚いた。湊は慣れた手つきでワインのコルクを抜く。

「今ちょっと寒いやろ、これであったまろうや」

 湊は毒見な、といって、スポーツ飲料を飲むかのような勢いでごくごくと飲み、私にワインを手渡す。レン君と間接キスしてしまう……と少女漫画のような展開にドキドキしながら、ワインをまじまじと見た。

「俺生きてるんやから、何も入ってないよ」

 香澄は警戒していると思われたのが申し訳なくて、慌ててワインを飲んだ。味は全然覚えてない。レン君ですか、と聞くと爆笑されて、それがきっかけで緊張がほぐれた。湊は香澄と同じ大学に通っており、先日卒業したばかりだという。すでにイギリスの製薬会社に内定があり、来年から日本法人で働く予定だそうだ。大学は勉強詰めだった分、入社までの間は気ままに一人旅をしたいらしく、一週間後には一度日本に戻るつもりだという。とりあえず連絡先を交換したのだが、一、二度連絡をしたきりで、そのままフェードアウトしてしまった。ここからラブストーリーが始めるなんて、さすがに妄想が過ぎたとしょんぼりした。


 香澄が二度目に湊に会ったのは日本だった。香澄は広告会社で働いており、初めて担当したクライアントが湊だったのだ。見覚えがある名前だなと思っていたが、名字までは知らなかったので、まさかあの湊だとは思わなかった。オンライン会議で再会した時は本当に驚いた。湊はスーツ姿が様になっていて、さらに格好良くなっていた。どうせ向こうは覚えていないだろうと思って、淡々と仕事をこなした。そんな二人の関係が動き出したのは、プレス向けのイベントではじめて対面で会った時からだった。

「あんま覚えてないと思うんやけど、大学のときロンドンで会った子やんな」

 セミナーが無事終了し、会場の片付けをしている時だった。びっくりして書類を落とす、なんてベタなことはしなかったものの、動作が止まった。湊からは柔軟剤系の良い香りが漂っていた。

 その後、打ち上げと称して二人で飲みに行き、そこからごくごく自然な流れでことは進み、今日に至る。湊が来年からイギリス本社へ行くことが急に決まり、予想以上に早く結婚をすることになったわけだが、価値観も食の好みも合っていたので、迷いはなかった。ただ、結婚するとなった時、経済的にはすでに親から独立していたものの、なんだか言いようのない寂しさを感じていた。常に私のそばで寄り添い、仕事で疲れているのに毎日のように話をきいてくれた両親には感謝しかない。その親孝行としても、早く子どもを産んで、孫の顔を見せてあげたいなと思う。


「まだ起きてたん?」

 ぼうっと湊の顔を見ていたら、寝ていたはずの湊と目が合った。

「あ、ごめん。起こしちゃった?」

 湊は私を抱き寄せて、寝ぼけてるのか頬ずりをしてくる。

「香澄と結婚出来て、ほんま幸せやわ、まじで運命よな」

 それ、何回も聞いたからと笑いつつ、キスをする。じゃれ合っていたらいつの間にか眠りについて、結婚式の朝を迎えていた。

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