1001番目のトリックスター

藤原くう

第1話

 一人の少女が死んだ。その瞬間を見ていたのは、無窮の宇宙にまします神様くらいのもので、神様はどんな気まぐれか、その少女の魂を自らの下まで引き寄せた。


 神様が住まうのは夢の国。際限なく広がる宇宙のどこかに存在するというその国の最果て、漆黒の山脈の頂に、縞瑪瑙でつくられた城があった。


 その一室で、緑は目を覚ます。ぱちりと目を覚ました途端、緑は自分が死んでしまったことを悟った。


 記憶にない場所。


 この世のオニキスを集めて建設したかのような、絢爛でどこか歪な城。


 そして、目の前には可愛らしくも神々しい女の子。洋風の古城に似合わない巫女服のような和装に身を包んだ彼女は、悪趣味な玉座の上で、尊大な笑みを浮かべていた。


「目覚めたのじゃな」


「あなたは……?」


「童はかみさまじゃ」


「神様」


「そう。信じるか信じないかはさておくぞ。とにかく、おぬしは死んでしまった。不幸なことにな」


「死んだ――」


 緑は、胸を押さえる。心臓が脈を打っていない。脳裏によぎるは、全身を突き抜ける痛み。それを思い出し顔をしかめた緑を見て、自称神様はくふと笑った。


「今のおぬしは魂のみの存在じゃから、鼓動はしておらぬぞ」


「……本当に死んだんだ」


「あれは不幸な事故じゃった。記憶にないとは思うが、おぬしは雷に打たれてしまったのじゃ。で、童はおぬしが可哀そうだと思ってな。チャンスをやろうと思ったのだ」


「チャンス?」


「童の仕事を手伝ってほしいのじゃ。童はこう見えても引っ張りだこでの。あっちではバリバリのれでぃーうーまんになり、こっちでは、ふぁらおのような恰好をせにゃならん」


「レディになれるとはちっとも思えないけど」


 別に悪気があって言ったわけではなかった。少女は、ふんぞり返っていたものの幼く見えた。体に女性らしさはまだなく、舌ったらずなところも含めて、一言でいえば子どもっぽい。


 少女が頬をぷくーっと膨らませる。次の瞬間、その姿が黒のもやに包まれた。もやが晴れるとそこに立っていたのは、真紅のスーツに身を包んだいかにも気の強そうな女性だった。その勝気な視線が緑を貫いていく。


「神様をバカにするのはよくないと思うわ。天罰を食らっても文句はいえない」


「本当に神様」


「最初からそう言っているでしょうに」言葉の最中にも姿は変わって、幼い少女へと戻る。「こっちの方が、親しみがあるじゃろ? だからわざわざこの姿にしてやっているのじゃ。どうして人間というのはこっちの思いやりを理解してくれないのだろうな?」


「ごめんなさい」


「わかればいいのじゃ。それはさておき、仕事を手伝ってくれたら、新たな命をやろうではないか」


「命ってことは生き返れる……」


「正確には生まれ変わる、だな。前のおぬしと次のおぬしは厳密には違う。童と同じ存在として生まれ変わるのじゃから」


「神様に?」


「そういうことになるかの。神様にならないと童の仕事ができないのじゃな」


「そういえばさっきも仕事って言ってたけど、仕事ってなに」


「世界に混沌と狂気をまき散らすこと」


 にやりと笑って少女が言ったものの、緑は首を傾げる。いまいちな反応に、少女がため息をついた。


「……人間には難しい話だったかの」


「悪いことならちょっと……」


「人の理からは外れているかもしれないな。童からすれば、それが仕事なのじゃ。停滞した空気を打破するための道化師。トリックスターを自称しておる。人間からしたら迷惑千万だろうがの」


「意味わかんない」


「文字通りの意味じゃ。おぬしが思う方法で、あやつらを困らせてやればよい。そうするならば、おぬしを生き返らせてやろう」


 少女がぴょんと玉座から飛び降りる。ペタペタと緑の前までやってくると、赤みを帯びた手を差し出してくる。


 緑は考える。自分の命と神の気まぐれによって人類が被る迷惑とを、己のものさしで比べる。


 結論はすぐに出た。


「わかった」


「おぬしならそう言うと思っていたぞ」


 少女の手を、緑は掴んだ。


 瞬間、眩い暗黒が少女から放出される。少女の形をとっていた邪悪が、まやかしのベールを脱ぎ捨て、狂気と混沌とを体現した本来の姿を晒しだす。


 その姿は気が狂ってしまいそうなほどに怖くて――でも、どこか美しい。まさに神様といったその姿は、神聖というよりは邪悪を体現しているかのように艶やかで禍々しい。


 死神が手にしているような大鎌が、緑へ向けられる。それで、首を刈られるのか。そうに違いないと思っても、不思議なほど恐怖はなかった。


 生命を刈り取る鎌によって命が奪われ、また新たな命が生み出されるのだ。


 真紅のドレスが揺れ、ひゅっと空気が切り裂かれた。


 振るわれた鋭利な刃によって、首が落ちる。


 首のなくなった自分の姿を、血をまき散らしながら落下する頭から緑は見た。


 切断面が裂け、うつろになった体を破裂するように現れる何かを――。



 次に目を覚ました時、緑は肉体を有していた。自分が魂ではないという感覚とともに、今いるのが自室だということにも気が付いた。


 ようやっと見慣れはじめたワンルームの天井が目に入る。


 両親は幼い頃になくしており、親戚の家で育てられてきた。そんな第二の我が家から飛び出したのが今年の春のことで、高校進学を機に一人暮らしを始めたのだ。


 周囲のものを見渡しても、そこには記憶にあるものばかりが並んでいる。――だが厳密には違うと、あの女の子は言っていた。名称とか役割とかは同一でも、並行世界という観点から見れば同一のものではない。


 テーブルには見慣れないものが置かれている。古びて今にも崩れてしまいそうな黄ばんだ紙片は糊付けされていたが、開いてみないと冊子だとはわからないほどボロボロ。世界に指の数ほどしかないから大事にしてね、と神様には言われたものの、そんなものを自分の幼馴染に渡していいのか、なんて緑は思うのだが、あの少女的にはそれでいいらしい。


 ――身近なところから、混沌の種をまいた方が分かりやすいと思っての。


 そんな言葉を聞いてもまったくピンと来ず、緑は首を傾げたものだ。


 冊子には一度目を通してみたものの、気持ち悪くなっただけだった。どこぞの湖には化け物が沈んでます。悪人を取って食らい成り代わる肥満体の化け物がいます。などなど。比較的新しく、最近――といっても百年は経過している――追加されたと思しきページには黄色い服を身にまといし王の話が掲載されていた。


「なにこれ」


 肌が粟立つような悪趣味な情報の数々は、読む者を不快にさせることを意図して書いているようにしか思えなかった。こんなものが現実にあるとは信じがたいし信じたくない。


「これが混沌につながるの……?」


 緑はためつすがめつしてから、茶封筒にそっと入れる。宛先はない。これを幼なじみへと直接プレゼントする。それが、少女からの命令だ。


 だが、対面して渡されたところで幼馴染は大英博物館の学芸員ではない。対する興味なんて持たずにゴミ箱行きが確定してしまうだろう。じゃあどうするのか。


 緑はカーテンを開く。外は夜の帳に包まれていた。あと一時間はしないと、日差しは顔をのぞかせない。多くの人間と同じように、幼馴染もまた眠りについていた。


 赤の少女から教わった文言を唱えてみる。それは、地球上で用いられているどの言語とも類似点を見いだせない奇怪な単語。揺らめくような揺蕩うような響きは、唱えているものさえも不安にさせる。


 それは夢の国へ入るための魔法。


 唱え終わると、緑は幼なじみの夢の中にいた。


 その夢の中で緑はどのような姿にでもなれた。荘厳な神様になれたし、機械仕掛けの人形にも、不定形のバケモノにだって姿をかえられた。


 緑は自身を女神のような姿にさせて幼馴染の前に出た。神様っぽい姿なら多少なりとも信じてもらえるのではないかと思ったのだ。


 夢の中の幼馴染は困惑しているようであった。そんな彼に、禍々しい冊子の入った茶封筒を押し付ける。


 ――それがあれば、あなたの叶えたいことが叶うでしょう。


 それっぽい、曖昧模糊で甘い言葉を言い残して、緑は幼なじみの夢から逃げ出した。


 目を開ければ、そこは自室。自らの格好も、標準的な女子高生のそれへ戻っている。窓の外を見れば、山の向こうは白み始めていた。ぼんやりと日の出の瞬間を眺めていた緑は、急に恥ずかしくなってベッドへとダイブし、枕に顔をうずめるのだった。



 翌日から、緑による幼馴染の観察が始まった。


 最初、幼馴染は夢の中で受け取ったプレゼントを開こうともしなかった。受け取ったのは夢の中の出来事だったはずなのに、それが枕元にあるなんて理解しがたかったのだろう。封筒の中にあるもかかわらず感じ取れる、不気味なオーラもそれを助長させていたのかもしれない。


 茶封筒が部屋に放置されること二週間とちょっと。突然、幼馴染はそれを手に取った。緑は、幼馴染がどうなったのか知らないし興味もなかった。あのプレゼントによって、何かが変わるのだろうか。――少女の言っていた、混沌と狂気とやらは本当にやってくるのか。それだけが、無性に気になっていた。


 冊子を読んだ幼馴染は、その日から変わった。


 最初の変化は大したことではなかったから、周囲の人間も幼馴染の変わりように気が付かなかった。そして、気が付く前に彼によって支配されていたから、気が付きようがなかったのだ。


 支配。そう形容することしかできない、不思議な力を幼なじみは行使しはじめた。彼の発する言葉は、王様か神様が発した命令のように、耳にした人間を縛り付けた。彼らの自意識は塗りつぶされ、幼馴染が命じるままに動く人形と化す。そんな最中の幼馴染の目は、リモコンのように赤くぎらつく。それが、魔法が働いているサイン。


 緑が観察を続けられていたのは、彼女に対しては魔法の効力が働いていなかったからだ。そうでなければ、幼馴染の近くにいた緑は、いの一番に操り人形にされていたことだろう。生まれ変わったことで、緑は人間ではなくなっている。少女が言うところの神様、というやつだ。神様は人間とは違って魔法に耐性を持っている。


 今の緑は幼なじみに命じられているふりをしていた。幸いなことにまだバレていない。それどころか、何かを命じられることの方が少なかった。命じられることにしたって「近くにいてくれ」だとか「添い寝してくれ」だとか。その他大勢へと向けられた魔法の言葉よりはずっとピュアなもの。たぶん、夢の中の女神に似ていたからじゃないかと、緑は推察した。なんにせよ命令されないなら好都合だった。


 幼なじみの命令は、最初こそはかわいらしいものだった。両親にお小遣いをねだったり、遅刻しそうになったのを見逃してもらったり。だが、魔法の効果が本物と分かると、命令は過激さを増した。


 表立って万引きを行った。教師を暴行した。女子生徒を意のままに操って――こともあろうに緑の眼前で――色欲をぶつけていた。


 次第に過激化していく行動を、緑は顔色一つ変えずに見ていた。そうしなければ、魔法が効いていないことが知られてしまうというのもある。だが、別に何とも思わなかったのだ。他人事とでもいうのだろうか。もちろん、胸が痛まないわけではない。でも、ナイフで刺されたような痛みというよりは針でチクチクと刺された時のよう。


 ともすれば、心地よいとさえ思える程度の痛み。


 良心の呵責よりも、体を焼くようなヒリヒリとした快楽が強く、酔いしれたくなる。――そんなのはいけないことだと、緑は首を振った。


 大人しかった幼なじみは、今や見る影もなかった。彼の小さな殻に押し込められていた感情が爆発し、幼馴染を突き動かしている。それを止められるものはいない。


 小さな暴君となった幼なじみの隣で、何物にも縛られない緑が、幼馴染がどうするのかを見ている。


 これが、少女の言っていた混沌なの。これが、狂気なの。


 ――違う。


 口がそう動いていたことに、緑自身気が付いていなかった。言葉が楽し気に跳ねていたことに気が付いたものは、本人も含めて誰もいなかった。



 人格が変わったかのような幼なじみの振る舞いは、だんだん一貫性に乏しくなってきた。それは、たいていのことをし尽くした後で、ありとあらゆる刺激に慣れ切った後の無気力感にも似ていた。


 刺激を求めて次から次へ人を操った幼なじみは一体何をするのだろう?


 興味を抱く緑の前で、黄色のレインコートに身を包んだ幼なじみが魔法を行使する。小学生が着てそうなレインコートには、黒の塗料で三つの線がよじれねじれ捻って伸びたような印がつけられていた。それが何を意味するのかは多くの人間にはわからない。だが、印を見ていると動き出しているように見えて、心をざわつかせた。


 そのころには、魔法の効力は街全体へと広がりを見せていた。一介の人間ごときが行使できる規模を優に超える。人の理の外の存在が助力しているか、理外へ片足を置いてしまったのか、それともその両方か。


 そんなことを冷静に考えている自分に気が付いて、緑は驚いた。眼下の光景は地獄同然なのに、それが些細なことのように考え込んでいた。


 幼なじみの魔法にかけられた人々は、倫理観が欠落させられていた。人は理性を失い、動物のように生きたいように生きて、殺したいものを殺し、食べたいものを食べて、襲いたいものを襲っていた。まさしく地獄のような光景が、往来では繰り広げられていた。


 人々は、己が種族が築き上げてきたものを取り払われ狂乱している様が、緑のビードロのような双眸に映る。


 絶叫と嬌声とが折り重なった不協和音を、人であることを止めた動物たちのオーケストラが奏でる。それを指揮するは、魔法の魅力に取り憑かれた幼馴染。


 彼が口ずさむのは、不気味な冊子に書かれていた文言。それは、何も知らない人類が住まうこの青い星から20パーセクの彼方に位置するオレンジ色の星へ向けられた言葉。


 アルデバランにいる神様へと祈りを捧げ、対価を求める呪文。


 その言葉は、前に緑が唱えた呪文と同様、地球上の言語とは類似点を見いだせない音節を伴っていた。意味の分からない音節とアクセントは、宇宙人が使用する言葉と言われても納得してしまうものだが、何度か繰り返される言葉の中に、ただ一つだけはっきりと聞こえた単語があった。


 それは最初、ファウストと聞こえた。だが、ハウスト、ハースターのようにも聞こえる。裂けてしまいそうなほどに開かれた口から発せられる大音声は、ひび割れていて調子も安定しないから聞き取りづらい。同じ単語であるはずなのに、耳にするたび異なる響き方をした。


 口角から泡を飛ばし祈りを捧げる姿は異様だ。声を張り上げ続けているからだろうか、その声はかすれしわがれているようにも聞こえた。


 実際にそうだったのだ。


 幼なじみの姿が揺らめいた。倒れようとしているわけではない。その姿そのものが、揺らめいている。


 その様子は、緑を生まれ変わらせたあの少女と似ていた。だが、霞に包まれたわけではなく、幼馴染という存在そのものがあやふやとなって別のものになってしまおうとしているような、そんな感じだった。緑にも言語化できなかった。だが、何か大いなる力が作用して、幼馴染の肉体を変容しようとしているのだ。


 ぼんやりとしたシルエットは、ヒトという単語から想像するものから離れていく。ボディラインは人間に近しい。だが、そこに現れたのは人の形を辛うじて保っているだけのバケモノだ。体からは腕を思わせるような触手が、腕とは別に四本伸びており、それぞれに意思でもあるかのように思い思いに絡み合っていた。膿を彷彿とさせるねばねばとした物質にまみれた表皮は艶やかでてらてらと黒い光を返す。その顔は、今や死者のように生気がなく骸骨のように痩せこけ、風船のように膨らんだ体と比べると頭が小さくなったようさえ思われた。


 人外の存在が現世へと生まれ落ちた瞬間に、世界は闇に包まれた。どこからともなく暗雲が立ち込めてきて、太陽を遮った。ゴロゴロという雷のうなり声は響けど雨が降り出すことはない。奇妙で不吉な雲だった。


 そんなバケモノは、バケモノ自身もそのような姿になったと気が付いていないように、言葉になっていない咆哮を続けていた。彼が気が付いたのは、やはり声なのだろう。砂嵐のようにかすれ、暴風のような息をはらんだ叫び声は、人間の声帯から発せられるものではない。ケダモノが何かを叫んでいたが、それが言葉だなんて一体誰がわかる。


 幼馴染だったものはその時の動きのままに、血管が浮き上がる手を顔まで持っていく。指が顔をなぞり、ぎょっとしたようにその手が離れた。


 バケモノが汚らわしい液体をまき散らしながら、世紀末のような街を駆ける。そこここに転がる半裸の死体には目もくれない。その先にあるのは、車が突っ込み割れたショーウィンドウ。そのギザギザの断面に映り込むのは、彼の者と契約しその恩恵を賜った人間の末路。


 そして、それを観察する少女の姿。


 頬を赤らめ、じっと凝視する緑がバケモノの背後にはいた。


 幼馴染である緑を目にした瞬間に、バケモノは何を思ったのか。それは今となってはわからない。


 ただ本能のままに襲い掛かったのか、この冒涜的でこの世にあってはならないような異形と化した姿を見られたくなかったのか、はたまた、こうなってしまったのは緑のせいだと理解しての行動だったのか。


 緑は動く間もなく、クラゲの触腕を大きくしたような触手にからめとられて、二つの腕によって抱きしめられる。そのまま、地面へと押し倒された。


 水風船のような巨体がうねる。アスファルトがきしみ、ひび割れる。その間の緑は、バスほどの重みに耐えられず圧死した。――普通であればそうなっていたはずだ。


 だが、バケモノの下から声がした。バケモノが首をひねる最中にも言葉は続く。暗い声と明るい声。陽気で陰気な声は螺旋を描くように同じ言葉を発する。


 それは産声だ。ちっぽけな肉体に存在していたエゴの塊が上げる、歓喜の歌。


 バリバリと肉が裂ける音がした。同時に、バケモノの巨体が浮き上がり始めた。体の下から何かが出てこようとしている。


 バケモノが飛びのける。そこには、ぐちゃぐちゃになった緑の殻があった。今まさに、その殻の中から、混沌を体現した漆黒の意思とも呼べる存在が姿を現わそうとしていた。


 蔦の絡み合う腕が、正中線をなぞるようにできた裂けめに手をかけ、闇の中から出てこようとする。少女の肉体は内からの力に震え、こらえきれずに弾けた。トマトが壁へと投げつけられ、つぶれた時のような不快な音が、何も知らない世界に響いていく。


 肉片と血液の霧が晴れる。そこに立っていたのは、植物性の巨人であった。その姿を形容するならば、アルチンボルドの人物画だろう。


 二十メートルほどの巨体は、植物によって構成されていた。蔦や枝などが絡み合い支えあうことで巨体を支えている。目のある場所には終末を告げる太陽のように真っ赤な果実が二つあった。感情を帯びることがないその瞳が、哀れな出来損ないの怪物を見下ろす。


 大樹のような手が、逃げ出そうとしたバケモノへと伸びる。ゾウほどの巨体を容易く握りしめた手のひらから、いくつもの硬い枝が犠牲者へと伸びる。バケモノへと突き刺さり、その中に秘められたありとあらゆるものを吸い出していく。それはちょうど、地面に根付いた根っこが水を吸い上げるよう。


 赤黒い液体が、根を、枝を、葉を同じ色に染め上げていく。その度に、女性の形をした巨人が歓喜するかのように身震いする。


 バケモノの体は、瞬く間に萎んでいった。最初こそはジタバタ抵抗していたがそれもじきになくなって、最後には空気の抜けた風船のようにぺちゃんこになって動かなくなった。


 そうなったバケモノを女巨人は放り投げる。動かなくなったおもちゃには興味がないらしい。


 緑の巨人の背後で、打ち捨てられたバケモノが転がる。


 ――不意に、巨人が振り返る。


 真っ赤な果実が、亡骸をじっと見つめる。その視線には、先ほどまではなかった悲しみがこもっているようにも見えた。


 だがそれは一瞬のこと。


 次の瞬間には、巨人の姿は天高く跳んでいた。高揚感と一抹の後悔とともに、宇宙のかなたに存在するという夢の国への帰路へついたのだ。



 ここは夢の国のどこかの山脈に存在するという古城。


 そこには神様に仕える神様がいて、忙しい忙しい、と口にしながら日夜事務作業に追われている。


「あのう……」


 ノックとともに扉を開けて入ってきたのは、緑であった。蔦の絡み合う姿ではない。人間だった時の姿で、緑は姿を現わした。


 曖昧な返事をした神様は、少し遅れて、その幼い顔を勢いよく上げた。


「緑じゃないか。どうしたのじゃ?」


「その、あれでよかったのかどうかを聞きたくて……」


 自らの手をにぎにぎしながら、所在なさげに緑は問いかける。ここへやってくるのは二度目だが、荘厳で、悪意を模ったようなこの城には、やはり嫌悪感しか抱かなかった。同じ理由で、少女を前にすると無性に緊張した。


 少女が、手元にあった年代物の丸眼鏡をかけ、机に積み上げられた書類の一枚を手に取る。ぱさりと落ちた一枚には、別の世界に派遣された転生者の活躍が簡潔に記されている。いわゆる報告書というもので、神様とあっても報連相はしっかりしているんだと、緑は妙に感心した。


 少女は、ふんふんと小さく頷きながら、緑が引き起こしたことの顛末を読み進める。読み終わると眼鏡を外し。


「童はいいと思うがの」


「そ、そうですか?」


「ああ。あの程度のもので街一つを混沌の坩堝へ堕とせたのであれば重畳じゃな。逆に聞くが、どうしてダメだと思うのじゃ?」


 その質問に緑は顔を俯かせる。指と指とをツンツンさせ、もじもじ具合は強まった。言うてみ、という少女の問いかけでようやく、緑は口を開く。


 ――だって、全然混沌もしてないし狂気もないじゃないですか。


 緑の顔は赤く染まっており、その体は震えていた。両腕で、悦ぶ体を抱きしめる。そうでもしなければ、いてもたってもいられないという風に。


 沈黙が部屋に漂う。


 思いがけない言葉に少女はポカンと口を開けていた。驚きとともに絶句してさえいた。


「……ま、まさかおぬしからそのような言葉が聞けるとはな」


「気づいちゃったんです。誰かが苦しんでもがいてるところってすっごく素敵だなって」


 緑が紅潮させた顔を上げる。悩みなどなく自らが望むものに忠実なしもべがそこにはいた。


 お、おう。悠久の時を生きる少女をたじろがせたのは、緑がはじめてだったかもしれない。

コホンと咳払いをした少女が緑へと向ける。その視線は好奇に満ちていた。


「この仕事に適性があるとは思っていたが、まさかここまでだとは……」


「何かいいました?」


「おぬしには才能があるって言ったのじゃ。そうなると話は変わってくるぞ。そうだな――まだ欲求不満かの?」


「物足りないと言われたら、そうかも」


「それでこそ、我らが無貌の神にふさわしいというものだ。じゃあ、行ってもらうかの」


 いくつかの言葉のやり取りが行われたのちに、緑は煙へと姿を変える。不定形の黒煙は意思を持っているかのように、翼の――それもコウモリのような体の半身を覆えそうなほどに巨大な――生えた人間を形づくる。


 人でいうところの顔の部分には、燃え上がるような赤の目が三つあった。ぎょろぎょろと動き、一点を凝視する。三つ目の先には、宇宙の外のさらに向こうに広がる並行世界――仕事先があった。


 濃密な煙が、城を飛び出していく。


 人類を、それどころか自らが仕える神でさえも嘲笑う、神の千と一番目の化身に任命された緑の仕事はここから始まるのだ。

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1001番目のトリックスター 藤原くう @erevestakiba

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