探偵ヤツザキ─恋の未確認─

東島くず

第0話

「くすり指には神さまがいるの」

「なにそれ。聴いたことがない」

「くすり指の神さま。あたしの、まもり神なんだ」

 ヒサギはにんまり、笑顔を見せた。「いまのあたしはこんなだけどね、小学校のころは男の子にまじって、よくかくれんぼなんかしてたんだから」

 あははと笑う彼女に相槌を打ちながら、ぼくの視線は静かに上下するヒサギの胸の、ちょうど心臓があるあたりに惹きつけられてしまう。

 見まいとすればするほど、強く。

 すぐにそれと気がついたらしいヒサギは大げさな身ぶりで胸もとを隠しながら「見るなよ、すけべー」とぼくをからかった。彼女自身の軀のことは、彼女がいちばん解っているはずだった。

「それでさあ、あたしいちど、体育倉庫の飛び箱のなかに隠れたことがあったの」

「ああ、それならぼくも憶えがあるかも」

「ほんと? ヤマダもちいさいときかくれんぼなんてしたんだ。いまじゃこんなに無愛想なのにねー」

 ヒサギがぼくの頰をつまんで左右に引っぱる。いいかげん、自分より歳したの女の子にこんな扱いを受けるのも馴れてしまった。

「神さまはまだでてこないのかい」と訊くと、ヒサギはわざとらしくちぇっ、といってぼくの頰から手を放した。

「でねっ、そこってただでさえ暗いのに、電気もつけられなくてさあ。ぴったり入り口の扉をしめて、まっ暗な飛び箱にもぐりこんだの。もちろんいちばんうえの段をつかって、フタもしてね。──扉のむこうでだれかの足音がするたびに、心臓がどきどきした。ほんと、それまで経験ないほど、胸の奥がたか鳴ってた。一瞬、そのまんま破裂するかと思ったぐらいっ!」

 唐突に声をあげるやすぐさま、ヒサギはちろりと舌をだす。おそらくぼくが心配するのを見こしていたのだろう。

 彼女は自らの予想が的中したことに満足そうな表情をすると、ふふんとちいさく頰笑んで「──ほんの冗談」とゆっくり、ぼくのあたまを抱きよせた。

 ベッドがきい、と音をたて、彼女の膝さきがぼくの胸にあたる。

「冗談にだって限度がある」

 彼女の心臓の音が聴こえる。

「大丈夫。あたしはここにいるよ」

 あたまのうえからやさしい声がふってくる。

 世界が《彼女》で充たされる。

「──それで、そのときね。すぐそばでだれかに呼ばれた気がして、ふいにまっすぐ顔をあげたんだ。よくよく考えればだれもいるはずないのにね。なんとなく、声のほうを見あげてみたの。そしたらフタの裏がわに、ちっちゃい変な顔が貼りついてるのに気づいたんだ。あたりは当然まっ暗やみで、眼のまえの飛び箱の輪郭すら判らないのによ。ふしぎとその顔ははっきり視えたの。あたし、自分でもなんでだか解らないんだけど、なんの疑問も持たずにそいつをただ、じっと見てたんだ」

「それが、くすり指の神さま?」

「ちがうよ。そいつは、なんかわけ解んないやつ」

「────」

 まったく、わけが解らないのはどちらだろう。

 おとなしく思考を停止したぼくはヒサギのちいさな胸のふくらみにあたまをあずけたまま、だまって眼をとじることにきめた。彼女もさっきからしばらく無言で、ぼくの髪の毛をなでつづけていた。

 やがて彼女がぽつりとつぶやく。「──こわかったんだ」

 ぼくはほんのすこし眼を見ひらいた。

「あたしその顔が視えたとき、ああもう自分は死んじゃうんだなって思った。おとうさんやおかあさんやおねえちゃんにも、にどと会えないんだなあって。すっごく悲しかった。けどそのちっちゃい、変な顔にはぜんぜん、悪意なんてないみたいなんだよ。ずっと、ずうっと、にこにこしてるの。ただあたしのほうだけが、一方的に怯えてるばかりで。──その日、家に帰るとおかあさんに、そいつの話をしてみたの。そしたらね、おかあさんは、こういって教えてくれたんだ。《ねえヒサギ、くすり指には神さまがすんでいるのよ》って。《あなたもわたしもおとうさんも、もちろんおねえちゃんだって、みんな神さまのちからでつながっているの。もしもあなたがこわい思いをしたり、さみしい気持ちになったとしても、いつもみんなですこしずつ、そういうつらさをわけあってるのよ。だからいつだって、あなたはひとりじゃないのよ》って──」

 もしかしたら哭いているのかもしれない、と思う間もなくあたまのうえからくすくす笑いが聴こえてきて、かと思えばいつしかぼくの首にからみついているヒサギの腕に、ぐいとちからがこめられた。

「──くっ、くるしい! ほんとうに、くるしいってえっ」

 ぼくは何度も真剣に叫んだ。けれどヒサギは、

「なあに、いってんだよー。ヒトの胸でさんざんいい思いしたんだから、ちょっとぐらいは我慢しろー」

 と、大笑いして聴こうとしない。ぼくの鼻さきにおしつけられた彼女の胸もとからは、早鐘を打つような鼓動が伝わってきていた。

 ほかのひとよりすこしだけもろいはずのその鼓動は、なによりもちから強く、うつくしく響いていた。

 まちがいもなく、このときはたしかに。

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