嗅・対・夜

 精霊銀のチョーカーは、サービスで偽装魔術の回路を書き加えてもらっている。これで傍目から見てもそうだとわからないので、とりあえずは安心である。


 座ったまま眠るアサナちゃんを起こさないようにベッドに横たえ、……勝手にベッドをもう一つ借りるのもアレだし、女同士だしセーフだろうと、その隣に潜り込む。

 毛布がかかっていたアサナちゃんの体温は高く、すぐに眠気がやってきた。


「……ちょっと嗅いでみよ」


 違う。興味は興味でも、そうじゃない。王族さんってどんな匂いなのかなって気になっただけだ。やましいことはない。うん。


「すんすん……」

 あ、すごくいい。


 興奮するというよりはむしろ逆。すごい落ち着く。ささやかで健やかなお花畑の香りだ。


「すー、はー……」

 あー、すごくいい……。


 これからも、なんか理由つけて嗅げないかな。へへ。

 ……このあと、めちゃくちゃ熟睡した。



◆◆◆



 夢の、中だろう。

 手枷がされているのは大体夢の中である。おかげで、どんなにリアリティがあっても惑わされることはない。


『はじめまして』


 ボクの前に立つ傲岸不遜な影は、しかしボクの喉を使って喋ってみせた。

 喉、というのは正確ではない。精霊銀のチョーカーから、というのが適切だろう。


「……何回か、話しかけてきてたよね」

 影については知らないが、声音には覚えがある。耳鳴りと動悸を伴ってボクに教授してくれたそれだ。


『案外したたかだよね、キミ。態度とか、決断とか』

 覚え――もっと言うと、慣れか。

『ご明察。まずは王位継承おめでとう、ご主人サマ。どうだい、ボクのことは気に入ってくれたかな?』

 影はボクだ。全身黒塗りだけど。あと声が少し低い……寝起きで機嫌が終わってるときとかこんな声かもしれない。


「気にいるもなにも、めっちゃつらいからヤ」

『キミが本来ボクの器じゃなかったからね。なに、どうせすぐ馴染むさ』

「馴染むって……キミ、ボクの心臓の精霊銀なんだろ?」

『あぁ。あの女に診てもらったのは懸命な判断だったね。うん……果断だし、意外にモノを考える方だし、ふとしたときの選択も大当たりだ。ボクはそういうキミをいたく気に入っている』

 嬉しくないなぁ。


『キミの心臓を潰して甲斐があるよ』

「最悪だなオマエ!」

『まぁまぁまぁ……』

 宥められても……心臓だぞ心臓。詳しくないけど絶対マズイだろ。


『ともあれ、ヨロシクだリセ。ボクは『デザイア』……欲張りなキミをいたく気に入った、インテリジェンスな術式だ。ドクターのくれたチョーカーのおかげで、現実でも上手くコミュれるだろう。またね』


「えっ、おい! 突然情報増やすな――


 ――。

 ――――。


 ………………。


「……」

 飛び起きた。


 少し息苦しさを覚えて、チョーカーを撫でる。


 『デザイア』。シン王国の王位継承権そのものであり、今代の王の証。精霊銀の塊としてボクの心臓に成り代わり、感応した魔力・術式を解析する能力を持つ。――と、早速応えてくれたようだ。影のボクのときのような人格は感じられず、なんというか、ボクが思い出す……みたいな調子だ。


「とは言ってもなぁ」

 上手い使い方がわからない。

 別に『デザイア』がなくてもボクは不便しないけど、どうせ持ってるなら使いこなしたい。


 相談するにも……


「あれ。アサナちゃんいない」

 事情を話しても安全そうなアサナちゃんは、同衾していたはずだが見当たらない。


 夜も白んできたとはいえ……四時か。そんなことまで教えてくれるのか。便利だな……。


「おや」

 枕元にメモが挟まれていた。


 責任取りなさいよね、と丸っこい字で書かれている。


「なんの……?」

 吸ったこと? 仕事帰りに心配かけたこと? 心当たりしかないけど……責任? 気になる言葉の選び方をするものだ。

 インクの乾き具合から、数十分ほど前に書かれたものだと思う。


「追いかけても……無理そうだね」

 だからこその置き手紙だし。


 うん。


 今回の訪問(すれ違い)は、依頼人であるアサナちゃんの、早くダンジョンで箔をつけてこいという催促だろう。


「……行ってみようか」


 いざ再びのアヴァロン。継承権の依代、シン王国の血統術式の一つ『デザイア』の性能、実戦で確かめてみたいしね。……コレ、血統術式だったの⁉︎

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