死んだ男の話

レスポンド

第1話

気がつくとここにいた。目が覚めたというよりも、既に目に映っていた光景が、よりはっきり見えるようになってきたといった感じだった。ここはとある部屋だ。右を見ても左を見ても壁があり、また後ろのベランダの窓には白くあたりを包むようなカーテンがかかっている。その手前には台がある。また天井からは縄が掛かっていて一人の男が自殺している。首が90度折れ曲がり足の浮いたそのシルエットはカーテンの白光に背後から照らし出されいかにも不自然な状態を象徴しているかのようだ。実際に首を吊った人間が目の前にいるというのは何とも言えず恐ろしく、手に触れられる距離であるにも関わらず、既に起きてしまった事実をどうすることもできない。彼は20代くらいだろうか。きっとまだまだこの先もあったに違いない。もったいないことをした。だが、この先などなかったから彼は自殺したのである。そうおっしゃるあなたがたが、どれだけ卑屈で、謙譲な姿勢を強いられているのか……その常套句が、身動きのできない立場に置かれた人間の自己意識からくる、せめてもの償いのように発せられる無力な老人のつぶやきであることを何よりも分かっていたのは、その自殺者当人に他ならなかったのだ。彼はそんな独り言を断じて許すことができなかった。そんなつぶやきが世間の安定を保っているのではなく、むしろただもうなにもかもむやみに崩していくだけだという事実に、なぜだろう、否が応にも直面せざるを得なかったのだ。こうして尋常ならざる事態が起きているにもかかわらず、何もできない無力感、そして本来なら無関係であったはずの人間にも絡みつき、感染していく疲弊感。誰もが胸の中の一片に隠し持った罪障感のようなものを抱え、それから脱れることができずに、思ったことを素直に口に出すこともできないまま、会ったことも見たこともない誰かに助けを乞うている。

(このままでいいのだろうか。いや、そんなわけはないのだが……しかし何をしたらいいのだろうか?何かの活動に参加してみるべきだろうか?それもいいだろう、だが……今はどれもこれもどこかがおかしいというか、何か目的がずれているような感じで……入ったら脱け出せない気がする、というか既にその中にいると思うし、こういう恐怖や懸念事項をそもそも人に与えてくる時点で……いや、だが、かといってなにもしないわけにはいかないのは自分が一番よくわかっているのだが、でも……これじゃあ何もできないし、だからと言ってこのまま自分でも何もしないわけにはいかないのなら……)

だがその罪の意識を否定すべきだろうか?諸君、彼・彼女らの望む、その助けてくれる誰かというのは(カクヨムだとかは関係なく)、つまるところ、現状から解放された罪のない状態であるらしい。現に罪の意識を持たざるを得ない状況に落ち込んでいながら、罪のない状態だけを望むので、結果自分の感覚を否定せざるを得なくなるのである。そこで目標にされるのは、感じるべきものも感じ取れない身勝手な人間像で、現状に飽き足りた人間は自分が否定されることによって、そこに何か未来への手掛かりがあるかのように思い込み、肩を叩かれた本人は唇の裏側で皮肉な笑いを浮かべながら、自分の人生や将来について絶望し、呆れ、常時挫折している始末だ。そしてその諦めがまたさらに身動きをとれなくしていくのだ。つまり、結局のところそれは、には存在しないイメージに対する畏怖のようなものに尽きるのである。さて、ではその罪のない状態を望むことこそ、私は罪と名付けたい。いたずらに救いを求めることよりも、その罪の正体を見極めることから始めることのほうがどれだけ必要か判らない。

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死んだ男の話 レスポンド @mitishita

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