第1部閑話集 その2
幕間2ー1話 美人変人ご用心
この話は8話から9話までに起きた出来事となります。
8話まで読了してから本話を読むことをお勧めします。
また、閑話となりますので、本編を読み進めたい方はお手数ですが下記リンクより9話まで移動していただければと思います。
https://kakuyomu.jp/works/16817330651655558182/episodes/16817330652048963098
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―― ????? ――
朝の一口は馴染みの喫茶店でいただくブラックコーヒーから始まる。苦味と酸味の強い、寝ぼけまくった朝っぱらの脳みそをガツンとぶん殴ってくるようなブレンドコーヒーだ。この一杯にトーストと茹で卵をつけるのが俺の朝の日課である。
客の眠気を誘うような、穏やかなクラシックが終始流れているこの店には、俺とマスターである
静江さんが無言で仕込みを続ける最中、俺はベストセラーの経営の著書に目を通していた。ただし書いてある内容がまったく頭に入ってこない。言葉通り、本当に目を通しているだけだ。集中力が完全に切れてしまっている。タイトルは『三歩で忘れる鳥頭でも経営はできる』なのに、一歩も動かずに忘れられるぞ。今の俺は鳥以下である。
「昨日もあまり眠れなかったんでしょ」
テーブルの上でコトン、と音が立った。本から目を離す。ブルーベリータルトが皿に乗せられている。ホールの8分の1サイズ。俺のモーニングよりも値段が高くつきそうだ。
「ベリーはいけるクチよね?」
「頼んでませんよ」
「頑張り屋さんにサービスです。どうせ全部捌ききれなくて余るんだから、ひとつくらいへっちゃらよ。むしろ都合よし」
「……じゃあ、ありがたくいただきます」
優しく微笑む静江さん。こうやって何人もの学生を虜にしてきたんだろうな。
御年も50に近くなり、オバサンからお婆さんと呼ばれるのが怖いと嘆いているけど、その包容力の前では年齢なんて関係ない。高校生から上京し、大学生の今になるまで通ってきた俺にとって、実の母親よりも母親らしい存在だ。
一口大に切って口の中へ入れる。ブルーベリーの甘酸っぱさがぼやけた頭と疲れ目に染み入るようだ。コーヒーとの相性は……悪くない。
タルトにパクつく俺を見て安心したのか、静江さんは仕込みに戻っていった。相変わらず綺麗な姿勢だなあ。カウンター越しに見ていても分かる。動作と姿勢の年季が違う。
「あんまり背負い込みすぎても体に毒ですよ」
「弱音を吐いていられる状況でもありませんから」
「まだ大学も卒業していないのに……まだ遊びたい盛りでしょうに、ほんと厄介な件を押し付けられちゃいましたねえ」
「
俺が読み慣れない経営の本を手に取る理由。その事の発端は大学の先輩だ。できる限り圧縮した説明をしよう。
カフェの開業に挑んだものの事業は失敗。先輩は借金まみれで大学を中退して海外逃亡し、残された俺が面倒を見ることになった。以上。
社会人未経験者が小企業に無理やりスカウトされて、入社初日から社長の仕事をぶん投げられたようなイメージを想像してほしい。地獄だよな?
なかなかに悲惨な引き継ぎ状況だった。開業したカフェは儲かろうとしていないと思わせるくらいの経営状況で、慢性的な
もちろん、先輩とは親類じゃないし、なんだったら友人関係でもない。俺が面倒を見る理由にはならない。
それでも。
「残されたスタッフがあまりにもかわいそうですから。たとえ結果が駄目だったとしても、できることはやります」
「お人好し極まれりねえ。でも少しだけど赤字は減ってきてるんでしょう? まだまだこれからよ。信頼は時間で買えないの。焦らず行きましょう」
「……その金言、身に沁みます。どうしようもなくなるまでは頑張らせてください」
それ以上、静江さんは俺に話しかけることは無かった。他の常連さんの来店が始まったからだ。タイミングの良さに安堵しながら、俺は勉強の続きに励むべく、コーヒーを多めに口に含んだ。
どうしてタイミングが良いかだって? このまま話していると、『まだ時間はあるんだから』とか『もっと焦らずに向き合え』とか、都合の良い慰めを言われ続けるからだ。いま一番聞きたくない言葉なのである。
そんな時間、あればもう少し楽になるんだけどな。
「あ」
時間で思い出した。今の俺が読むべきジャンルは経営なんかじゃない。
『三歩で忘れる鳥頭でも経営はできる』を鞄に入れる。
そして『採用者の掟 成功者の俺が言うから間違いない』というタイトルの本に切り替えた。
今日は新人さんの面接日だったことを忘れていた。いつも以上に準備せねば。
・・・・・
・・・
・
『次は~品川~。品川~』
気の抜けた男の鼻声が次の停車駅を告げたところで俺は目を覚ました。車内で読んでいる途中で眠りこけてしまったようだ。不眠には電車の揺れが特効薬なのだ。
本を鞄に入れる。隣に座っている人もいなかったので、目立たない程度に体を伸ばし、顔を上げた。
「ん?」
その瞬間、周囲からの視線が一斉に他所へ散った。え? 見られてた? 俺、変な眠り方してたのか? いや、まだこっちを見てくる連中がいるな。
周囲を確認したら、すぐに理由が分かった。見られていたのは俺じゃない。俺の隣――座席横に立ち、ドア越しに景色を眺めている女性に視線が注がれていた。
「は?」
彼女の姿を見た瞬間、俺は思わず声を上げてしまった。
美人だった。細く長く伸びた銀の髪は三つ編みでひとつに束ねられており、その髪を際立たせるような、異国情緒を匂わせる薄褐色の肌が嫌でも目を惹かせる。男である俺と同程度、170をやや下回るくらい。女性としては高身長の部類だ。そして、その身長に見合った抜群のボディーライン。ここまでならまだ耐えられる。
でもメイド服は反則でしょ。
そんなとんでもない美人が、本場のメイドをイメージした本格派なクラシカルスタイルのメイド服を着て、凛とした視線と姿勢で外を眺めているのだ。視線を集める要因が多すぎる。
「む?」
俺ももれなく彼女に視線を寄せていると、それに気づいたのか、俺と視線を合わせてきた。そして極上のスマイルで俺に語りかける。
「おはよう、寝坊助くん」
「おはよう……ございます」
起きぬけの情けない声を上げると、彼女は返事をされると思っていなかったのか、とても驚いた様子で目を見開いた。そして微笑んでから、再び視線を窓の外へ移す。
やべえ、寝てるところガッツリ見られた。美人に声をかけられた嬉しさよりも、みっともないところを見られた恥ずかしさと、電車の中でメイドに話しかけられるシチュエーションから来る動揺が勝った。
『まもなく~品川~。品川~』
席を立ち、彼女を視界に入れぬよう、そして周囲からこれ以上目立たぬよう、降車口のドアに身を寄せた。いつもなら仕事に向かうストレスで憂鬱な気分だけど、今日は恥ずかしい気持ちのほうが強い。その分は気を楽にして電車から降りられるので彼女に感謝するべきだろう。
初冬の突風に煽られて思わず目を細めた。
「君はメイドカフェ『びくとりあん』のオーナーだね?」
電車から降りた途端、背後から聞き覚えのある声で話しかけられた。それもたった今、覚えたばかりの声だ。急いで振り向く。やはり銀髪メイドの彼女だった。
「聞いた声と同じだったからすぐに分かったよ。まさか同じ電車に、それも隣にいたとは驚きだ。運命を感じざる得ない。しかし俺の想像以上に若いな」
メイド服を着ていなければ逆ナンかと勘違いしてしまう台詞だ。しかし実際には彼女の指摘通り、俺は『びくとりあん』のオーナーである。正確にはオーナー代行みたいなもんだけど。
正体は予想できる。今日は新人さんとの面接であり、そしてメイド服の女が俺に話しかけている。まさかとは思いたいけど無視はできない。
「失礼ですが、どこかでお会いしましたか?」
「先日、君の店に電話をさせてもらった。メイド志望のルルーファ・ルーファだよ」
やっぱりかよ!?
「どうした、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして。女がメイドを志望するのはおかしなことかい?」
「滅相もない! ただ……」
予想の10倍は美人で、予想の10倍は奇人の予感がする、とは本人の前で言えまい。
「ただ……どうした?」
「いえ、何でもないです。しかし、随分お早い到着ですね。約束の時間まで随分とあるでしょう?」
「土地勘が無いから下見をしておこうと思ったんだ」
その格好で!? いや、電車に乗れるんだったらシチュエーションなんて関係ないか。
「君こそ随分と早いじゃないか、青年」
「俺はまあ……オーナーだから。いろいろとやることがあるんですよ」
「ほーん。出会ったよしみで、時間まで周辺を案内してもらおうと思っていたが……やることがあるのか。残念だ」
男慣れしてるな、この人。俺がメイドカフェを経営しているから女慣れしていると勘違いしているんじゃなかろうか。
「ルルーファさんは当初の目的通り、時間まで散策していただいて構いませんよ」
「いや、そちらにお供しよう。仕事を教えてもらうのに早すぎて困ることもなかろ。何なら面談も歩きながらで構わないぞ」
「随分とやる気ですね」
「念願のメイドになれるのだから、やる気だって満ち溢れるさ。思わずメイド服で外を出歩きしてしまうくらいには楽しみだよ」
彼女は満面の笑みだった。それだけメイドへの期待が高いんだろうな。
「ところで君の名前は?」
「白石です。白い石と書いてシライシ」
「よしシライシ。ひとつ頼まれてほしいんだが」
「どうしました?」
「ここからは一切の敬語を俺に使わないでほしい。歳も同じくらいだし、君は俺の――いや、メイドを雇っているご主人様だ。俺に対しては雇い主としての尊厳を持っていただきたい」
珍しいお願いだけど、納得できないほどじゃないか。
「……分かりました……ああいや、分かった」
「俺のことはルルでいいぞ。できれば『ちゃん』付けを所望する」
「ルル……ちゃん……ごめん、まだ『さん』でお願い」
「あい承知。急ぎはせんよ。さあ、案内を頼む。道順は頭の中に入っているが、現地の知識には負けるだろうからね」
ルルさんは待ちきれないと言わんばかりに、俺の前に立って歩き出した。彼女の浮かれっぷりを見ていたら、逆に俺が緊張してきたぞ。自分の意志をしっかり言える人だから、あの先輩たちの圧にも負けなさそうな気はするけど……できれば仲良くしてもらいたいな。
「おーいシライシ。突っ立ってると体が冷えるぞ」
「ごめん、いま行く」
それにしても……歩き方が綺麗だなあ、この人。
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2023/10/19
今後の物語の整合性を取るために、一部文言を添削しました。
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