1.5部エピローグ 平和の仮証明
――
団長たちが去った店内で、僕はテーブルに座ったまま、3本目の煙草に火を点け、天井を眺めながら無意味に煙草をふかしていた。少し前まではオヤツ感覚で貪っていた愛煙家だったのに、リーサスという記憶を取り戻してからは少し敬遠するようになった。前世では煙草という存在が無かったためか、異物を吸い込んでいるように感じてしまう。人格は分裂していないのに、不思議な感覚だ。
手持ちのスマホが鳴った。部下からだ。20回もコールを鳴らすので、しょうがないから出てやる。
「どうしましたか」
『どうしましたか? じゃねーッスわ! 何回コールしたかと思ってるんですか!』
聞き慣れた甲高い叫び声。少年と女性の間ほどの中性的な声だ。
「ちょっと声を絞ってください。五月蝿い」
『うるさくもなりますよ! お二人とも貴方を待ちわびていますよ! さっさとこっちに来てください!』
「嫌です。ここに連れてきてください。動くのかったるいので」
『はぁ!? ふざけんな! おいもしもs――』
電話を切ってスマホをポケットにしまう。大きく息を吸い込んで煙草を一通り堪能してから火を消した。
そして電話が切れてから待つこと5分。店のドアが開き、三人の男女が入店してきた。
ひとりずつ紹介していこう。
「申し訳ありません。とんだご無礼を――」
清潔感のある背広を着込んだ、厳格な風貌を崩さない残り二人の男に関しては、僕や小室巡査とは住んでいる世界が違う者たちとなる。
「構わん。こいつは昔から礼を知らん人間だ」
「流石は警察創設史上、最優秀と噂されたエースどすなあ。貫禄がちゃいますわ」
日本の警察のトップと関西の極道のトップは、憮然とした様子で僕の向かいの席に座った。小室巡査は同席する度胸がないのか、テーブルの脇で後ろ手を組んで立ったまま待機している。警視正である僕を加えたこの4名、普段なら一堂に集まることなどありえないのだが……なかなかどうして、壮観である。
「で、警視正はん。あの外人の超べっぴんちゃんと汗臭そうなマッチョが警視正はんの切り札っちゅう話なんやなぁ?」
「マッチョは忘れてもらって結構。ですが彼女に関しては違います。場合によってはローレライに対する唯一の対抗手段になる」
「アッハッハ。警視正はんは冗談が下手っぴーどすなあ。なあ、織部はん。あんたのトコ、働かせすぎとちゃいますか。あんたんとこの部下、お疲れちゃんのキワミちゃいますか?」
「……私直属の部下ではありません。もし彼が実際にオーバーワークだったとしても、私の預かり知るところではありませんよ」
「そうかいそうかい。ハッハッハ……」
豪快に笑い飛ばす神藤。しかし彼の目は一切笑っていない。
「せやかてなあ、織部はん。あんたの熱烈なラブコールに応えて遠路はるばる東へ上ってきたゆうのに、見せつけられたんはワケの分からん茶番劇っちゅうのは如何なモンかと思うで。何やねん、団長隊長て。ガキの軍隊ごっこやんけ。そんなの説明無しに見せられたら、極道やなくともご立腹だってするやろ」
「心中お察しします。ですが、茶番と分かり切った上で、わざわざ危ない橋を渡ってまで、警察庁長官である私が極道の貴方に直接連絡すると思っていますか?」
「あんたが警視正はんに弱み握られてたら話は別でっしゃろ。ワイはローレライへの対抗手段を聞きに来たんであって、お遊戯に付き合い来たんでは無いでぇ」
はぁ。やれやれだ。
「なんやその目は。見下したいのはこっちやで、警視正はん」
「長官。ちゃんと彼に宿題は出したんですか? ジルフォリア戦記を読ませておけと言っておいたでしょう?」
「伝えた。だが話半分にも聞かれていない。漫画を読んでおけ、その登場人物の生まれ変わりが君である――そう伝えたところで、本当に信じてもらえると思っているのか? こんな荒唐無稽な話、私が彼の立場だったら間違いなく信じない」
「どうにかさせるのが長官の役目でしょう。職務怠慢。
「なんやなんや。あんた、モンスター社員やないか。そこの巡査ちゃん、あんたが織部はんに不敬働いとる思うて、めっちゃ冷や汗かいとるで」
三人の視線が小室巡査へ向けられる。対応に切羽詰まった小室巡査は愛想笑いで茶を濁した。
「あのなあ、警視正はん。織部はんの言う事が逐一正しい。あんた今のままじゃ頭おかしいお疲れ人間やで。せめてあんたが漫画キャラの生まれ変わりっちゅう証拠を見せなはれ」
「ごもっともですね。では――」
「後江警視正。始末書の書き方は覚えているかね?」
脈絡の無い会話の真意を織部長官に問おうとするが、その願いは叶わなかった。ゆっくりと、しかし淀みのない動作でホルスターからリボルバー式のピストルが引き抜かれ、僕の眉間へ狙いを定めた。すでに
「長官!?」
しかし銃声は聞こえない。もちろん銃弾も出ていない。飛び出したのは小室巡査の叫び声と、
代わりにテーブルの上には、ピストルのパーツの一部がゴトゴトと音を立てて落ちていた。
「え……ええええ!?」
「なんや、その
僕の手には、柄の短いショート・スピアが握られている。全体は蒼いクリスタルのような材質で造られており、その造形は美術館のショーケースに納められても遜色が無いほどに美しい。
「『
「なんちゅう切れ味や……鉄の
「本当に漫画を読んでないんですねぇ。出し入れ自由です。手品じゃありませんよ」
「手品じゃ
「僕らが異世界の人間の生まれ変わりである話、納得いただけますでしょうか」
「おう、おう! 流石に信じたる! 信じられへんけどなぁ! っちゅうか、人間じゃありえへん反応速度やったなあ! まさに西部劇のガンマン、ビリー・ザ・キッドの早撃ちやでぇ!」
神藤が
「始末書、僕持ちですか?」
「不手際で壊れました、とでも書いておけ。請求は私のほうで建て替えておく」
「強引だなー」
余談だけど、警察の拳銃に装填されている銃弾のうち、初弾は空砲である。だから仮に引き金を引かれたとしても僕に被害は出ない。
――というのはデマなので、割と危ない場面だったりする。いくらあの世界上がりだからって、銃撃予告無しであの振る舞いをされてヒヤヒヤしたよ。引っ掻き回した腹いせだな。この長官も大概、頭のネジが外れている。
「さ、これで話が進めやすくなりましたね。単刀直入に申し上げます。ローレライの件、ご協力ください」
「おう。今だったら話きいたるでぇ」
「ひと月前、貴方がた神藤組はローレライの一派と思われる何者かに取引材料の銃器を奪われた。数にして、およそ100丁。加えて弾薬がおよそ3000発。とはいえ、犯罪のプロである貴方がたが、完全外部の人間に取引材料を奪われるなんて考えにくい。八重橋会の関係者による内部犯行も我々は視野に入れています。そして貴方は過失の責任を問われて会の中でも危うい立場にいる。いつ
貴方、奪われた銃の回収を頼まれているんでしょう? ローレライの捜査に協力いただいたら、押収した銃器をお返しいたします」
「ワイらに返すやて!? 正気かいな!? あんたらホンマに警察か!?」
「我々警察としても、100もの銃器が民間に行き渡り、無作為に乱用される事態を見過ごすことはできない。ましてやローレライの気まぐれによって罪のない民衆の命が奪われることなどあってはならない。もはや国家転覆すら視野に入れても良いとすら、私は考えています。
神藤さん。貴方がたとの付き合いは長い。その組織力と情報収集力には一目置いている。そして裏の世界では裏でしか流れない情報がある。貴方がたが持つ情報を共有していただきたい。その対価として、私は銃器の返還を承認しました」
「
「引き渡すならば死体としてです。それでも良ければ」
「おうおうおう。犯罪助長に職務放棄。ますますどっちが極道か分からんのう。犯罪者とはいえ市民や。市民を守るのが警察の仕事ちゃいます?」
「世界を掌握できる力です。生かしたままでは渡せない。そのために手段は選びません」
僕はアタッシュケースをテーブルの上に置いて開いた。銃を4丁、そしていくつかの銃弾を神藤へ開示する。いずれもローレライの件で押収したものだ。
「まずは前金がわりにこちらをどうぞ。ケースもお持ちください」
「お見事に1丁壊れとるな。あのべっぴんさんの細腕でようやるわい。事前に防犯カメラの映像を見とらんかったら、絶対に信じられへんわ」
「あのマッチョでも朝飯前ですよ」
「そっちなら違和感ないのう」
神藤は壊れていない銃器の動作確認を手慣れた手付きでこなしていく。
「確認した。確かに盗まれたワイのもんに相違あらへん。ええやろ。神藤組傘下1800――八重橋会のおよそ5分の2を警視正さんの下につかせたる。昔と比べちゃ数は少のうなっとるけど、警察の
「ありがとうございます。取引は成立ですね。
先ほど同様、長居は厳禁でしょう。これにて会合は終わりです。我々も解散しましょう。
「なんやそれ」
「僕たちの世界でいう別れの挨拶です。気をつけてお帰りください、という意味ですね」
「ほーん。ま、貰えるモンは貰っとこか。ほいたらな。末永くお付き合いさせてもらいますわ」
ガハハ、と陽気に笑いながら神藤は退店した。
1秒。2秒。3秒。静寂が支配する。
「ぷはぁっ!」
4秒目が経過した時点で、小室巡査は耐えきれずに息を吐いた。絶え間ない圧迫感で呼吸がままならなかったのだろう。
「死ぬかと思ったぁー! 警察の汚職現場、生で見ちまったー!」
「たかが取引でヒーヒー言わないでください。あと、小室巡査。五月蝿い」
「全部貴様の言う通りにしたぞ」
「はいご苦労さま。やっぱり上の人が許可取ってくださると話が楽ちんです」
「なんで警視正が警察のトップをアゴで使ってるんですか! 私にずーっと説明するする言うだけで何も話しちゃくれないんだから! あんたこそ
「小室」
「ひっ」
「過剰な詮索は人生を無くしますよ」
僕が睨みつけると、小室巡査は黙りこくった。まだ頭にキンキン声が響いている。バカ声め。
「これでローレライの包囲網は一気に固く険しくなった。表と裏のダブル投網です。さすがのローレライも引っかかってくれるでしょう」
「しかし、何故こんな取引までして奴を追うのだ。事と次第じゃ、私どころか君まで危ないぞ」
「……嫌がらせ受けたら誰だってムカつくでしょ。その仕返しです」
「なに?」
僕はテーブルの上に足を組み、天井を眺める。長官は僕の粗相を咎めなかった。
「全国を股にかけて、わざわざローレライは犯行の痕跡を残した。団長へアピールするために。我は貴様と同じ地に蘇ったぞ。貴様の敵として帰ってきたぞ、と」
「因縁めいているな」
「だってローレライは、前世じゃ直接団長に殺されたんですもん。因縁だってあるでしょ。そして僕はローレライの嫌がらせでとばっちりを受けたわけだ。今すぐにでも団長へご挨拶に向かいたい。でも立場と状況がそれを許さない。おまけに、お国のしがらみとは縁のない人生を送りたいという団長の想いを無下にして、嫌でも巻き込まざるを得ない状況に仕立て上げたときています。シンプルにムカつきましたね」
「じゃあ後江さんは、嫌がらせの仕返しに嫌がらせをしただけっスか!?」
「馬鹿げている! 民間には銃が下りないが、犯罪者集団には銃が行き渡るんだぞ! 結果は同じだ! 犯罪を生む根源を、お前は見逃しているんだぞ!」
「あ、そこんとこは大丈夫です」
「何が大丈夫と言うのかね!?」
僕はスマホを取り出した。
「猛獣を大人しくさせる魔法の呪文があるんですよ。僕にはね」
・・・・・
・・・
・
この世の人間が善と悪で区別されるなら、僕は――後江慧悟という人間は間違いなく悪に分類されるだろう。
警察の中で権力を築きつつ地位を上げるためなら何でもやった。
軍資金調達のため、脱税で私服を肥やす富豪への恐喝・横領。警察という権力を武器に人知れず汚職を繰り返す同業の者への信用毀損・証拠偽造。捜査を有利にするための住居侵入・器物損壊――ぱっと思い出せる罪だけでも枚挙に暇がない。未だに警察という職業をよく続けていられると我ながら感心できるほど、後江慧悟という人間は汚職にまみれていた。おそらく前世の記憶に引きずられていたのだろう。リーサスとして記憶を取り戻した今でははっきりと自覚できる。
しかし罪の意識はまったく無い。僕が罪を犯した相手は、僕と同じく日の目を見ない犯罪者だ。分類するなら間違いなく同じ悪。同情の余地はない。今までも、これからも。その考え方を悔い改めることは無いだろう。
あの薄暗い会合から一夜明けた。時刻は午後5時を回ろうとしている。優良な企業ならば終業も視野に入る時間帯だ。
自分の仕事部屋でのんびりコーヒーを啜っていると、ポケットに入れたスマホのバイブが鳴った。着信だ。相手は織部航士郎。警察庁長官である。
「はいもしもし」
『いったい何をしたんだ、君は! なんてことをしてくれたんだ!』
「もっと具体的に言ってもらわないと分かんないですよ。織部長官」
『神藤組はおろか、その親元、八重橋会総勢5000が完全無償で協力を申し出てきたら発狂もする! 東京内にある八重橋会系列全ての事務所支部本部の壊滅写真と、血判状を持ったルルーファ・ルーファと会長のツーショット付きでな!』
「やったのはほぼ団長ですけどね。いい写真だったでしょ?」
『――――――ッ!』
声にならない声を上げる長官。いやあ、愉悦愉悦。
「だって団長はローレライと同じ能力を持ってるんですよ? 世界を支配できる力だ。しかもローレライと違って身元も判別している。神藤組がほっとくわけないでしょ。昨日の今日で必ず接触してくる。圧力を添えてね。結果、団長の琴線に触れた彼らを
『無論予想していた。だが、その結果が、あまりにも――あまりにもデタラメだ。日本最大級の指定暴力団がたったの1日足らずで、たったふたりの男女に屈服するなんて、誰が予測できるものか。我々の組織力が霞に見えてしまう』
「都内の全事務所・支部・本部を襲撃すること。絶対に死者を出さないこと。神藤組には一切の責任を負わせないこと。無償での協力を約束させること。そして――今後ルルーファ・ルーファの関係者へ、海外を含めた裏組織から一切関与させないこと。それらまるっとひっくるめた誓約の血判状を八重橋会に作らせること。これが団長への依頼です。
僕の持つ情報と団長の武力、そして暴力団構成員の極端な縮小化が進んだ今なら、一日かからずとも十分に実現可能です。二度とこんな依頼をするなとご立腹でしたけどね。今のあの人、暴力反対になっていますから」
『……私はいったい、どうすればいいのだ。何をすれば良いのだ』
「仕事してください。団長が関わった痕跡を全て揉み消すのです。あの人にはなるべく潔癖でいてもらわないと困りますし。私も微力ながらお手伝いします」
『……今の君たちのほうが、ローレライよりずっと恐ろしいよ』
「ご心配には及びません。我々銀星団が日本国民の生活を脅かすことは決してありえませんよ。支配管理なんて高尚な思想、少なくとも我々は持ち合わせていませんから。
……すみません。仕事が立て込んでいるので。失礼」
通話を切り、デスクの上にスマホを置いた。電源も切って外部からの接触を完全に断ち切りたいところだけど、仕事中なので一応我慢。腐っても僕は警察の人間だ。最低限の職務は優先するよ。あくまで最低限だけどね。
僕はデスクトップパソコンから動画アプリを立ち上げ、マルチディスプレイのひとつに全画面で展開した。動画の内容? わざわざ伝える必要がありますかね?
Luruna Ch.ルルーナ・フォーチュン
【Deadry Spacean】 銃ではない。工具だ。 【ルルーナ・フォーチュン/YaーTaプロ】
1.1万人が視聴中 チャンネル登録者数 77万人
#旅団長の文化勉強
『やあ、待たせたかな。YaーTaプロダクション1期生のルルーナ・フォーチュンだ。
皆の心に歓びと安寧を。俺の未知に潤いを。さあ、月の煌きと共に、今夜も旅を始めようか』
リーサスとしての記憶を思い出してから見る団長の配信はなかなかに鮮烈だった。しかしすぐに違和感は吹き飛んだ。
団長は今の状況を全力で謳歌されている。もはや団長は銀星団のルーファス団長ではない。アイドルVtuberという未曾有の界隈でもがく一介の挑戦者なのだ。その冒険心に、僕は間を置かず魅了されていた。
その聖域を護れるのなら、僕はどこまでも手を汚すことができるだろう。たとえ団長自身を巻き込む矛盾を孕んだとしても。
だから安心してくださいね、長官。団長がアイドルVtuberルルーナ・フォーチュンを続ける限り、銀星団が表社会へ進出することはありませんよ。だって団長も隊長も、そして僕も。支配なんて望んじゃいないんですから。
推しが元気に笑って活動できるように全力で応援すること。それがファンの務めなんですよ。
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