第1部閑話集

幕間1ー1話 神風は地上から吹く

この話は8話から9話までに起きた出来事となります。

8話まで読了してから本話を読むことをお勧めします。

また、閑話となりますので、本編を読み進めたい方はお手数ですが下記リンクより9話まで移動していただければと思います。

https://kakuyomu.jp/works/16817330651655558182/episodes/16817330652048963098

――――――――――――――――――――――――――



―― 撮影ディレクター『カトー』 ――


「はい……はい。分かりました。ではそのように。よろしくお願いします。はい。お待ちしています。道中お気を付けて」


 深いため息と同時に通話を切る。


「どうです、カトーD」


 カメラマンの城間しろまクンが僕を顔を覗き込むようにして聞いてくる。

 

「ギリギリセーフ。ちょうどアサインできそうな娘がいるから連れてくるって。さすが佐藤ちゃんだわ。言ってみるもんだね」

「あっぶねー……首カワ一枚っすね。でも佐藤さんって、デザイナーの方でしたよね? 本当にたまたま良い子がいたってことですか?」

「うん。モデル業を紹介したい子がいるんだって。その娘を代理で寄越してくれるってさ。佐藤ちゃんと一緒に来るから5分くらいでこっちに来るよ」

「新人さんか……大丈夫ですかね……でもよかったぁ。午前の撮影は乗り切れそうっすわ」


 僕の返答を聞いて城間クンはホッと胸を撫でおろした。オーバーリアクションな動きだけど、彼の場合は自然に見えるから不思議だ。

 今日はスタジオを借りてファッション雑誌に掲載する写真を撮影する予定だったのだけど、撮影するモデルが当日に体調不良を訴えてキャンセルが入ってしまった。今は各所に連絡して回り、ようやく代役の子をゲット出来て一安心したところだ。5人もキャンセルされた時には絶望したけど、どうにかなったね。他の撮影スタッフにも状況を共有してから、僕はスマホをポケットにしまった。

 体調不良で当日欠勤はよくある話だけど、この体調不良、実際は体が悪いんじゃなくて、心の体調が悪くなっていることを僕は知っていた。

 

「撮影モデルのドタキャン、今日で何回目だよ……あのエロブタガキのせいで、何でこっちがヤキモキせんとあかんのですか」

「城間クン、お口チャック。壁に耳あり、障子にメアリーだよ。滅多なことを言うもんじゃない」


 城間クンの言うエロブタガキとは、今回のクライアントの話である。彼は何かと理由をつけては女性モデルの体を触る、セクハラの常習犯なのだ。彼と関わり道半ばで挫折したモデルさんは数多い。今日まで事件だと訴えられていないのは、ギャラの羽振りが良い――つまりは口止め料を払っているからである。訴えられたこともあったらしいけど、全部金の力でもみ消したそうだ。すごいよね。お金の力。25歳児がセクハラをキメても世の中上手く回っちゃうんだよ?


「さっさと逮捕されちまえばいいのに」

「城間クン。僕らはそのおにいさんのおかげでお金もらえてるのよ。依頼されている以上、僕らは従順に尻尾を振ってキャンキャンするワンコになるのがお仕事なワケ」

「だからってカトーDがセクハラみたいな指示をモデルさんに出さなくたっていいじゃないですか。完璧な汚れ仕事。これじゃ飼い殺しにすらならんですよ」

「クライアントの意向を伝えるのも僕のお仕事だよ。ちょっとタバコ吸ってくる。準備ヨロシクね、城間クン」

 

 何か言いたげな城間クンと別れ、僕は煙草を吸うために喫煙スペースとなっているスタジオの屋上へ向かった。昨今は室内禁煙が主流であり、このスタジオも例に漏れないのだ。

 屋上のドアを開ける。あまり清掃の行き届いていないスペースが広がっている。僕は汚い手すりにもたれかかり、タバコに火をつけた。ピースメーカー10テンライト。最初に吸い始めて以来、ずっと愛用している紙巻きタバコだ。

 最近は加熱式や電子式タバコが主流となり、副流煙の出ないタイプが主流になり始めている。喫煙者も減り始め、街からは煙草の煙と匂いは徐々に薄れつつある。それでも僕は紙巻きタバコを愛用している。煙に巻かれていないと吸った気にならなくて落ち着かない。時代遅れだと周りは言うけど、僕はこの煙があるからタバコを吸うのだ。

 タバコは良い。ゆらゆらうごめく紫煙を眺めているだけでも時間を忘れてしまう。心が凪いでいく。


「何やってんだろうな、僕は」


 リラックスしすぎたのか、最近の口癖がうっかり口に出てしまった。一気にモヤモヤした気分となってしまったので、吸いかけのタバコの火を消してスタンド型の灰皿に入れ、心をもう一度リセットするべく、新しくもう1本に火をつけた。

 心は凪いでも満たされない。理由は分かっている。

 醜悪なクライアントに尻尾を振り続ける飼い殺し以下の駄犬。それが今の僕だ。

 若い頃はそれなりのチャレンジ精神や夢を持ってファッション業界に足を踏み入れた。でもちょっと躓いた。それ以降はやりたいことも見つからず、なし崩し的に業界で仕事をしていたら、いつの間にか売れないファッション雑誌の撮影ディレクターなんてポジションについていた。定職につけただけでもありがたいし、お金はぼちぼちと稼げているのは救いだ。だけど気が付けば、何を望むでもなく、生きるために惰性で働いて過ごす無気力で哀れな男になっていた。それが今の僕。惨めだろう?

 現場にも僕の無気力ぶりが伝わっているのだろう。皆仕事に情熱がない。チームの士気は上がらず、クライアントの横暴を見て見ぬふりで日々を過ごしている。みんな自分が可愛い事なかれ主義の集まりなのだ。9割の怠惰と1割の色欲が支配する爛れた社交場。なんて僕にお似合いの場所なんだ。


「ん?」


 ガシュ、ガシュッ、と妙な音が聞こえる。下から? 何だろう。

 僕は手すりから身を乗り出して下を覗いた。


 女の顔が現れた。


「へ? うわあ!?」


 窓の出っ張りを伝手に驚異的な速度で女が壁を登っていると気づいたのは、彼女が階下から瞬間だった。あまりにも突然の出来事だったので、僕は尻もちをついてしまう。咥えていたタバコは地面を転がっていった。

 彼女は手すりを軸にして片手で倒立した状態で一瞬静止し、バク転の要領で屋上へと跳んで着地した。

 彼女の容姿を一言で言い表すなら……女神だった。ジーンズ、Tシャツ、厚手のジャケットというシンプルな格好が、薄褐色の肌に銀の長髪という彼女の異質な美貌をより際立たせている。


「んム……やっぱり髪、長すぎるかね。もうちょい切るか」


 女神は俺を一瞥すると、煙が立ち昇る灰皿の前に立った。

 ん? 煙が上がっている?


「これ、狼煙のろしでも上げているのか?」

「いやいや、中で燃えてる! 火事になっちゃうから消さないと!」

「やはりか。レーワの時代に狼煙とは変だと思ったぞ。水じゃなくて茶なら持っている。火を消すという結果は変わらんだろ」


 彼女は手に持っていたペットボトルのお茶を――なぜか反対向きへ力任せにねじり切るようにこじ開けた。

 え? なんで? ていうか、力強すぎない?


「おっと、反対だった。まあええか」

 

 彼女は意に介することなくペットボトルのお茶を灰皿へ注ぎ入れて鎮火した。そしてペットボトルを近くのごみ箱へ捨てた後、僕が転んだ拍子に落としたタバコを拾って一言。


「君、こんな火の出ない松明なんか口に咥えて、何をしていたんだい?」

「た、たいまつ!?」

 

 聞き間違いかと思ったけど、確かに言った。


「あー……すまんが田舎の出身でな。流行には疎いんだ」

「えーと……タバコだけど……」

「たばこって何だ?」


 え? なに? ギャグで言ってんの、この娘……あ。目がマジメだ。ガチ質問だ。

 いやでもタバコってどうやって説明すればいいんだろう。ちょっと動転しすぎて気の利いた説明が思いつかない。冗談だったり詩的な説明をしようものなら、火のついたタバコを口の中に放り込みかねない危うさを感じる。そもそも流行どころか廃れてきている代物だし、紙巻きタバコなら田舎のほうが絶対に吸ってる人多いでしょ。どこまで田舎なんだ。


「とりあえず危ないから、その灰皿の中に捨てて。タバコがどんなものかは、後で自分で調べて」

「危ないものを口で咥えているのか……火は確かに危ないものだが……いずれ俺にも理解できるかな」

『ルルちゃーんっ!』

「おお、しまったな。母君ーっ! 今戻る!」


 彼女はそう叫んで手すりに向かって歩いていく。そして手すりに手をかけてよじ登り――って、おいおい!?


「いやいやいや!? 飛び降りる気!?」

「そうだが。何も説明しないままここに来てしまったからな。母君が心配している」

「そこから飛び降りられた方が心配するよ!? 僕も君のお母さんも!」

「ん? さよか? 別にこれくらいならどうということは無いが……意外と小心者だな。君」


 常識言ってるだけだよ!? だってここ、ビルの8階だよ!?


「ま、無理に怖がらせることもあるまい。君に免じて階段で降りるよ。すまなかったね」


 あっけらかんと彼女は言って手すりから降り、屋上の出入り口へと向かっていった。

 しかし途中で顔だけこちらに振り向いた。


「な、なに?」

「悩み、あるのか? 話、聞こか?」


 比喩抜きでどきりとした。


「……あまり踏み込み過ぎも失礼だったな。気が向いたら話してくれ」


 僕が返答を言いよどんでいると、彼女は勝手に納得して去っていった。


「何なの、あの娘……」


 まだ心臓がバクバク言っている。非常識な言動も確かに驚かされたけど、何よりも彼女の観察眼にはより驚いた。

 僕が悩みを抱えているのは確かだ。でも、その本音は誰にも言ったことはない。ましてや彼女とは初対面だし名前も知らない。出会って5分と経っていないのに、僕の心の奥底まで見透かされたような気がする。でも、横にある灰皿から火が出てるの気づかないほどボーっとしてたし、悩んでると思われても仕方ないかな?

 ところで、確かあの娘が言っていた母君の声、佐藤ちゃんだよね? ってことは、あの娘が代理の子ってコト? あのトンデモ破天荒ちゃんが? 外見は申し分ないというか、もはや理想像だけど、中身が未知の生物すぎて怖いよ……。どうしよ。最高に嫌な予感がする。

 

「もう1本吸ってから行こう」


 自分に言い聞かせるようにして新しくタバコに火をつけ、思う存分ふかし、今度はしっかりと消火を確認してからスタジオへ入った。


「みんな、おは「ぬあああ!? ぶぇ!?」は?」

 

 僕の気だるげな朝の挨拶は、汚い絶叫によってかき消されていた。

 暫くの間、馬鹿みたいにポカンと開いた口が閉じられなかった。

 いやだって。スタジオ入りしたら、クライアントが宙を舞って地面に叩きつけられる光景を見るとは思わないじゃない? 中世の西洋ファンタジーで例えると、クライアントって国の王様みたいなもんよ? それがぶん投げられたんだぜ? ポカンとするでしょうよ。


「やれやれ。尻の触り方に品が無いな」


 地面へ苦しそうに横たわるクライアントの横で、あの女神ちゃんが呆れて立っていた。

 あのー。いくら女神様だからって、人間の王様を投げる権利は持ってないからね?


「ぐお、おぉ……何するんだ、きみ……」

 

 スタジオは静寂に包まれていた。我らの クライアントキング が息も絶え絶えにスタジオの床にうずくまっている光景を前に、僕も含めて誰もかける言葉が見つかっていない。未曾有のシチュエーションを前に静かなパニックになっている。


「すまんな。別に尻を触られるのは、そう嫌ではないんだ。君も少し仕事の疲れが見えるようだし、俺の尻で心労が紛れるなら、ちょっとくらい触らせてもええかなと思っている」


 女神様はクライアントを慎重な手付きで起こして、服の汚れを払った後、打ち付けた腰を撫で始めた。確かに、嫌悪感から怒っているようには見えない。


「だが、あの不快な手つきがこなれていた。あからさまに常習している者の動きだ。俺でさえ不快に感じたのだから、他の女性も相当不快に感じたのだろう……そう考えたら無性に腹がたった」


 彼女はクライアントの手を取り立ち上げた。


「いいかい、君。女を口説くときはまず心から堕としてくんだ」

「はい!?」

「尻を触らせてもいいと思わせるような男になれと言っている。そうすれば強引な手段に頼らずとも良い。想いが通じ合った状態で触れ合う肌の感触は格別だぞ。

 まずは誠実になれ。相手から不快と思われる所作を徹底的に排除しろ。初対面の女へ接する際は噴火前の火山を相手にしていると思え。その初動で君に一歩だけ心を許したら、少しずつ自分をさらけ出していけ」

「は、ひ?」

「俺の好みから言わせてもらえば、もうちょっと贅肉を落として身なりを清潔にするといいぞ。君自身の素材は良い。心と体を入れ替え、男女分け隔てなく真摯に接するんだ。できるかい?」

「ん……うん」

「良い子だ。オッパイを触らせてもいいと思わせるくらいの成長を期待するぞ。痛みはないな?」

「うん」

「そのように投げた。無事で何よりだ」


 不思議な光景だった。普段なら怒り狂って喚き散らすクライアントが、ご近所に預けられたお坊っちゃんのように大人しくなっている。投げられた拍子に頭でも打って幼児退行したのか?

 僕らが黙って様子を見ていると、女神様はきょろきょろと僕らの顔色を窺うように周りを見渡し始めた。


「む?」


 何でこんなに静かなの? とでも言わんばかりにとぼけた表情だ。この空気を本気で理解してないの?


「……おお。そういえば自己紹介しとらんかった。俺の名前はルルーファ・ルーファ。ルルと呼んでくれ。今日はここで世話になる。よろしく頼む」


 その表情から一転、にっこりと笑って自己紹介をした。いや、名前は確かに知りたいけどね。

 

「ところで、俺は今日なにをするために呼ばれたんだ? 荷物でも持てばいいか? 力仕事は得意中の得意だぞ」


 んん?

 

「代役の……モデルだと思いますけど」


 城間クンがどうにか言葉を捻りだすと、とんでもない返事が返って来た。


「もでるって、何だ? 女の俺にもできる仕事か?」


 ……最近のジョークって笑えないね。ハハッ。

 

 

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