幕間1ー2話 Make Up,Feel Down
―― 撮影ディレクター『カトー』 ――
「佐藤ちゃん、あの娘、何なの!? ビルはよじ登るわ、ペットボトルの口をねじ切るわ、僕らのクライアント投げ飛ばすわ、タバコとモデルの知識が無いわ! 非常識っていうか、なんかいろいろ決定的に欠けてない、あの娘!? 記憶喪失なワケ!? ジャングルの僻地からやってきたワケ!?」
「ジャングル育ちじゃないけど、一部記憶喪失ではあるみたいよ」
「ハァ!?」
「私の娘が最初にあの子を見つけたんだけど、無一文の服無しだったの。いろいろあって、私がお仕事を紹介してあげようしたんだけど、そしたら貴方から電話がかかってきたじゃない? じゃあもうお仕事に入っちゃおうと思って連れてきちゃった」
「き、記憶喪失って……娘さん、いつ彼女見つけたの?」
「三日前ね」
「みっか!?」
「もちろん口座なんて持ってないし手持ちも心もとない子だから、ギャラはなるべくすぐ、
佐藤ちゃん、相変わらず常識人に見えてぶっ飛んでるんだから……目覚めて三日ってコトでしょ!? モデルどころか人生経験すら素人ちゃんじゃん!? ガチの前代未聞な人選だよ!?
ええい、狼狽えていてもしょうがない。やれることはやろう。とりあえずいつもの撮影準備を進めることにした。普段と同じセッティングを言い渡してあるので、僕とルルーファちゃんのスタイリストさん以外の作業は概ねスムーズだ。ルルーファちゃんが来るまでは、まだゆっくり考えられそう。
クライアントはルルーファちゃんとのやり取りですっかり腰が引けてしまったのか、自分の椅子に座ってじっとしている。不機嫌ではなさそうだったけど、大丈夫かな。契約破棄だー、なんて喚かなければいいけど。
「なんつーか、不思議な気分っすね。カトーD」
カメラの準備を済ませた城間クンがドリンク片手にこちらへ来た。
「クソガキざまぁなシチュエーションなのに、目くじら立ててた自分が大人気なくて申し訳ない気持ちっす。すっきりした気分なのにもやもやしてます」
「少なくとも悔しがってはいないね。自分の罪を自覚したっていうか……いや、あれはもう、天啓を受けたって感じかな」
「天啓って……マジモンの女神サマみたいじゃないですか」
だって天啓でしょ。クライアントの非行に癇癪を起こすでもなく、受け入れたうえで人間として矯正したんだよ。我が子を諭す親の顔をしていたよ、彼女。出会って5分も経たない相手にそんな対応できるかい? ましてやセクハラした人間に。
「なんにせよ、今日はこの案件の最大最悪な
僕が視線を移すと、すこぶるニコニコ笑顔なルルーファちゃんの姿が。元から素質が高い娘だと思っていたけど、スタイリングとメイクでその美しさがより一層際立っている。
でも彼女よりも何よりも驚いたのは、一緒にいるメイクさんたちの態度だ。佐藤ちゃんを交えて、見たこともないような表情で談笑している。
「メイクさん、あんなふうに笑って話すの初めて見ましたよ」
城間クンが信じられないとばかりにボソリと呟く。だってメイクさん、けっこうな人見知りなんだもん。僕ら何度もお仕事一緒したけど、いい顔されたことないよ? それが30分ちょっとのワンメイクだけで、ああも打ち解けられるものなの?
「待たせたな。いやあ、女のメイクって凄いな。奥が深いな。そりゃ時間だってかかる。
さあカトー。俺は何をすればいいんだい? 今日はどんな世界を見せてくれるんだい? 楽しみにしているぞ」
彼女がにっこりと微笑む。これから取り組む未知への期待を表情に乗せた、
告白しよう。一瞬見惚れた。城間クンなんて、感嘆の声を上げているよ。絶対に気づいてないだろうね。
今の僕の気分を教えてあげようか? ビルくらいの大きさがある最高級のホワイトキャンバスへ、好きな絵の具を使って億超えの超大作を仕上げろ――そんな無理難題を言い渡されたような重圧を感じているよ。
これは参った。どうしようね。
無知な彼女がどう動くのか心配していたけど、まったくの杞憂だった。逆に無知だからこそスムーズに撮影が進んだと思う。
こちらが指定したポーズと表情が固定できれば役割は十分にこなせる仕事内容である。彼女は僕のリクエストへ従順に、そして的確に応え続けた。初挑戦だからこそ、余計なしがらみやプライドを持ち合わせていないことは幸いだった。無垢なキャンバスだからこそ、どんな色でも馴染むのだ。
「……めっちゃ楽っすね。こんなスムーズに撮れるの初めてっすわ」
城間クンがカメラを構える時間が恐ろしく短い。ベストショットが即で撮れているのだろう。これはこれで困る。こちらで設定したタイムスケジュールから遅れるのはもちろん困るけど、早すぎてもそれはそれで困るのだ。今回早くできたから次回もこの時間でスケジュールを組んでね、なんて言われかねない。切り詰めるところは切り詰める、引き算の思想に応えられるほど、僕らはストイックじゃあないんだ。
ノルマは十分に達成できた。ちょっと追加注文で時間を潰そう。
「ルルちゃん。もうちょっと憂いのある顔できる?」
「うれい……悲しいってことか」
「笑顔が素敵ってのは魅力だけど、楽しんでいるところ以外も撮りたいな。できる?」
「難しいかもな。この仕事が未体験の連続で新鮮だから楽しすぎるんだ。まあでも頑張ってみるよ。ちょいとお待ちを」
ルルちゃんは目を閉じた。記憶が無いと言っても常識や知識が欠けていたり、時系列が思い出せないだけだと彼女は言っていた。きっと悲しい記憶だってあるだろう。
……ん? あれ、え。え。
泣いてる!? いや困るよそれは!?
「どうだ。こんな感じか?」
「泣くまで悲しまないで!? メイク落ちちゃう!」
「お? そういえばメイクしていたんだったな。普段はメイクなんてしないから忘れていた。でも悲しい表情が撮れて良いのでは?」
「悲しすぎても、おじさん困っちゃうから!」
芸術作品ならアリかもだけど、ファッション雑誌の撮影ならNGだ。メイクを崩した写真なんてオシャレの参考にならないからね。
すごい。本当にすごい娘だ。秒で気持ちを真逆にできる人はそうそういないよ。でもどっちなんだろうね。演技を切り替えたのか、それとも本当に悲しい出来事を思い出したのか。
「とりあえずメイク落として着替えておいで」
午前の撮影はこれでお開きとなった。
予定より早く撮影が終わったため、僕と城間クンは撮影した写真の選定へ移った。いつもなら会社に戻ってからだけど、今日は時間に余裕がある。今やってしまおうという流れとなった。
撮った枚数は少ないながらも、僕とクライアントが欲しい構図はバッチリと抑えている。流石は城間クンだ。このやる気の無いチームには勿体無い逸材である。
「褒めてもらって恐縮ですけど、素材が良すぎましたね。正直言って、午後もルルーファちゃんで撮りたいっす」
「たぶんこの場にいる誰もが思ってることだよ。でも午後は別のモデルさんに依頼している。いくらなんでも先輩を門前払いする訳にはいかないでしょ」
「分かってますよ。俺っち、あのねーさん苦手なんだよね……」
彼女が写った写真はどれも表情が豊かで躍動感のあふれるものが多かった。シャッターを切るタイミングに関して、最終的には城間クンへ一任されることになるのだが……彼も無意識のうちに、彼女の人間らしい一面を撮ろうと技工を凝らしたのだろう。僕もまた同じだ。彼女の魅力を引き出そうとして躍起になっている。
確かに表情豊かなルルちゃんの写真は魅力的だ。でもファッション雑誌の写真には使いづらい。残念だけど、感情を抑えた上で人間らしさを残した表情を出している写真こそが求められている素材だ。
「うわー……これ没っすかー……割と渾身の一枚なのに……」
「上手く撮れてるけど雑誌用だから。心は鬼にしなきゃ」
「没ぶん、私的にお持ち帰りしてえっす」
「写真家として? 男として?」
「両方……と言いたいけど、写真家としてっすね。何故か分かりませんが、彼女にはふしだらな感情を持ちたくないっす。罰当たりな気がして」
気持ちは分かる。人間離れした美貌を目の前にすると、一種の神々しささえ感じてしまう。欲情すること自体が冒涜のような。
「おおー、いっぱい撮ってるな」
「おわっ!?」
いつの間にかルルちゃんがノートパソコンを一緒に覗き込んでいた。興味津々のようだ。もしかしたらパソコン自体、彼女にとっては珍しい代物なのかもしれない。
「すげえなカメラって。本当に人間が見ているような――いや、人間の視点よりも鮮やかな光景を一瞬で切り取れるんだな。最初に説明を受けたときは流石に半信半疑だったよ」
僕はルルちゃんの存在そのものが半信半疑だけどね。
「やたらのっぺりとした写真ばかりを選ぶんだな」
「このお仕事で欲しいのはそういう写真だからね。ルルちゃんはあまり気にせず、今日みたいにやってくれれば良いよ。上手く撮れるようにするのは僕の仕事、上手く撮るのは城間クンの仕事」
「そうそう。ルルーファちゃん、すごく筋がいいよ。本当にモデル初めてなの?」
「モデルの何たるかを教えてくれたのは君たちだろう。
しかし……うん。勿体無いな」
「没写真でしょ。いい写真ばかりだけど、しょうがないね」
「いや、君たちが勿体無いと思ったよ。切り捨てられた写真側を活かせるような仕事をすればいいのに、と思ってな。あるんだろ、そういう仕事」
ぎょっとした。
「あー……ルルーファちゃん。買いかぶり過ぎっす。僕ら一般人に毛が生えただけの素人みたいなモンですよ」
「謙虚だなシロマ。もっと胸を張ればいいのに」
『ルルちゃーん!』
「母君が呼んでる。カトー。没写真も一緒に提出してみろ。きっと価値があるぞ」
そう言い残してルルちゃんは佐藤ちゃんの元へ移動した。残された僕と城間クンはお互いを見る。
「城間クン。僕の昔話、した?」
「してないすよ、流石に」
なのに、写真をぱっと見てあの感想? 素材よりも人材を見るのは経営者の仕事だよ? 本当に何なの、あの娘。
「午後の娘、休みにならないかなー」
「現実を見ましょう。大人になりましょう、カトーD」
僕らが名残惜しんでいるとスマホに着信が入った。即で対応する。
「はいカトーです……はい。え。ああ……それは……はい。彼女へお大事に、と伝えてください。撮影の中断は少し待っていただけますか。代役に心当たりがいるので交渉してみます。結果は後ほど連絡します。では」
スマホを切ると、期待の眼差しを向けた城間クンの姿が。話の流れで分かっちゃうよね。
「ルルちゃんに午後も出られないか聞いてくるよ」
「あのエロガキに生まれて初めて感謝しちゃいましたよ、俺っち」
「クライアントとモデルさんの前では死んでも口にしないでね。全面同意しちゃうけど」
「勿論ですよ。今日は早く帰れそうっすね!」
嬉しそうだなー、城間クン。自分の時間は欲しいもんね。気持ちは分かるよ。
でも僕は早く帰れたところで、特に喜べないんだ。
・・・・・
・・・
・
ルルちゃんのお陰で午後の撮影も順調に終わり、久しぶりの定時退社を決めることができた。こんなに充実感のある仕事は久しぶりだ。皆が笑顔で解散できたのっていつぶりだろう。いや、クライアントは笑顔じゃなかったけど。不気味なくらいだんまりしてたな。本当に大丈夫か?
珍しく時間が余ってしまったので百貨店に寄って今日の夕食とお土産を物色した。お惣菜を適当に買った後、新しい和菓子屋が出店していたので、こちらでも買って帰ることにした。大豆粉を使ったもっちり感触の饅頭を2つ。
いつものプリン無かったな。怒られちゃうかな。怒られちゃうだろうなあ。
会社から電車に揺られることしばし。降りた駅から歩いてしばし。比較的新築の、メゾネットタイプアパートの一角こそ我が家である。とある部屋以外の電気は消されていた。
「ただいまぁ」
返事はない。暗闇の中、手探りでスイッチを捜してONにしていく。食べた後の食器が散乱したキッチン。畳まれていない乾いた男物の洗濯物。綺麗に部屋干しされた女物の洗濯物。
「またマセたパンツ増えてる……」
女物の洗濯物は、二階の自分の部屋でくつろいでいる我が娘のものだ。今年で14歳。今はすっかり反抗期の真っただ中。我が家なのに、僕はすっかり招かれざる者で肩身が狭い。普通の家庭なら、普段はちょっと親に八つ当たりするくらいで、我慢していれば良い子に戻ってくれるのが相場なんだろうけどね。我が家の場合はもうちょっと根が深い。
せっかくお土産を買ってきたので娘に一報を入れるべく階段を上がる。
「あ」
「……」
ちょうど部屋から出てきた娘とかち合ってしまった。パジャマ姿でラフな格好である。トイレに行くつもりだったのだろう。
「た、ただいま。
「タバコくさい」
『おかえり』は言ってくれない。その代わりに暴言と一緒に汚物と出くわしたかのように睨まれている。ま……まあ、臭い対策しなかった僕の落ち目だし。いつものことです。
「お土産、買って来たんだ。瑠菜も食べられる――」
「いらない。ひとりで食べて」
い……いつものことです。
「分かったよ。今度はあのプリン買ってくるから」
「いらない」
瑠菜は僕の横を通り抜けながら呟いた。
「そんなのより、お母さんがいい」
そう一言だけ残して、瑠菜はトイレへ籠ってしまった。
何を隠そう、僕は娘と二人暮らしであり、今の言葉は瑠菜がよく僕へ言う恨み言である。もう説明したくないので家庭事情は察してほしい。
つ……つれえぇぇ……。
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