幕間1ー3話 一粒の麦


―― 撮影ディレクター『カトー』 ――


 ルルちゃんがモデル業を務めてから、僕らの仕事に変化が出始めた。

 彼女の人間離れした美貌と笑顔はすぐさま業界と界隈を虜にした。彼女が掲載された雑誌は瞬く間に売れていき、雑誌なのに緊急重版が何度も行われる異常事態となった。一番最初に掲載された雑誌の初版なんて、フリマサイトでプレミアが付けられて転売屋のターゲットとなってしまったほどだ。つい最近ではCMのオファーが来て無事に放映もされている。

 僕らチームを取り巻く環境も激変した。チームの一体感、連帯感が尋常じゃないほどに高まっている。ルルちゃんと仕事へ関わる度にチームの笑顔が増えていき、スタッフはよく談笑する様を見せるようになった。城間クンはカメラを構えた時の集中力が段違いに増した。メイクさんやスタイリストさんはルルちゃんの美しさをより際立たせようと勉強を始めている。連帯感が高まったことで仕事の速度や成果が目に見えて上がっていた。

 そしてクライアントのお坊ちゃんは、なんとセクハラの一切を止めてしまった。ルルちゃんだけじゃなくて、他のモデルさんにも触っていないし、今まで手を出していたモデルさんへ後日直接謝罪へ向かったというから驚きだ。ちゃんと和解が成立しているようで、僕らの最大の汚点は円満に払拭されたこととなる。最近なんか年が近めな城間クンと世間話や好きなゲームの話をするようにさえなった。

 人類が初めて火や電気を見つけた時ってこんなに革命的な気分だったのかな。我がチームの文明開化、ここに極まれり。


『ほー。そんなに評価高かったのか。超バズってるじゃねえか、LUFA

『高いなんてもんじゃないよルルーファちゃん。俺っちの手が震えてきそうなほど業界じゃ有名人になっちゃってるよ』

『城間さん、カメラで手が震えたことないでしょ』

『気合よ気合。そろそろ俺っちの手には負えなくなってくるかもしれないよー。撮る度に表情づくり上手くなってる気がするもん』

『お世辞上手いな。むはは。そうだ、最近BーPAXバックスってゲーム始めたんだ。知ってるか?』


 僕が写真の選別作業をやっている前の空間で、城間クンたちスタッフの皆がレジャーシートを広げて昼ご飯のお弁当を食べながら談笑をしている。まさか令和の時代にこんな古き良きという言葉の似合う光景が見られるなんて思っていなかったな。これもルルちゃんの提案で、わずか勤務二日目でこのスタイルを定着させたのだから末恐ろしい。

 僕は未だにその輪へ入ったことはない。撮影チームのリーダー役だから、元々皆からは少し距離があったのもあるけど……僕には少し、この喧騒が落ち着かない。談笑を眺めてコーヒーを飲みながら、時間に余裕がある合間に一人で作業を進めるのが好きなのだ。


「おいカトー。昼飯、食ってるか? カロリーを気にするほど脂肪はついてないだろ。さっさと食ったらどうだ」

「わっぷっ……ルルちゃん、おじさん大事な仕事中です。揺らさないで」


 上機嫌なルルちゃんが肩を組んできた。最近はカタカナ語やネットスラングも多用し始めて、ますます記憶喪失の面影が無くなりつつある。

 すごいな。みんなどんどん前に進んでいくなあ。未だに足踏みをしている僕とは大違いだ。


「ほれカトー。差し入れだ」


 マウスの横に小さな包みが置かれた。中には小さめのクッキーが詰められている。


「デザートだ。ようやく成功した自信作だぞ」

「へー。ルルちゃん料理上手なのに、クッキーは初めて成功なんだ。意外」

「菓子づくりに目分量はいかんと、つい最近知ってだな。奥深いな、菓子づくり」

「そういうもんなんだ」

「昼飯を食った後にでも食べてくれ。量が多いから、余ったぶんはお持ち帰りするといい」

「ん……」


 お持ち帰りか……それは出来ないかな。そこそこの量もあるし、一度に食べきることも難しい量だ。


「ごめんルルちゃん。実は言いそびれてたけど、甘いもの苦手なんだ。城間クンにでもあげてきて」

「おお? そうか、悪かったな。次は甘くないスコーンにでもチャレンジしてみるか?」

「いやその……うん、まあ、期待してるよ」


 ルルちゃんはクッキーの小袋を回収して離れていった。ルルちゃんは観察眼が鋭いから、今の嘘もすぐにバレちゃうかな?



・・・・・

・・・



「今日はどうしたカトー。いつもに増してアンニュイじゃないか」


 ほらご覧よ。やっぱりルルちゃんに嘘は通じない。

 片付けの最終チェックを終えてスタジオの外に出るとルルちゃんが待ち伏せしていた。スタッフは先に帰らせているから、あからさまに僕が目的だ。


「君、手配した弁当に入っているデザートは軒並みしっかり食べてるだろう。分かりやすい嘘までついてクッキーを受け取らなかった理由が気になっちまってな」

「ルルちゃんって案外執念深いのね」

「君が孤高を極めし一匹狼だったら帰っても良かったんだがね。他人の善意を蹴ってまで施しを拒否するタイプじゃなかろ?

 時間はあるか? 店に行こうぜ。酒の呑める店」

「ルルちゃん、お酒呑めるの?」

「つい最近、20歳になったばかりだ」


 設定って……記憶が無くても悲観しないルルちゃんらしい発言だ。自分の事なのに他人事みたいに言うから、僕がちょっと悲しい気分になっちゃうけど。

 今日の仕事は全部終わらせたし、時間もまだまだある。明日は仕事もお休みで気兼ねなしだし、帰ったところで歓迎されない……参ったね。断る理由らしい理由が思い当たらない。というかむしろ行きたい。


「行きたいお店ある?」

「居酒屋で『とりあえず生中』がやりたい」

「ありきたりだねえ」


 僕らで言う日常の体験が乏しいルルちゃんらしいチョイスだ。


「オーケー。居酒屋は個室にしよう。ルルちゃん目立つし、そろそろ有名になってきてるからね」

「楽しみだな。店で酒を呑むのは初めてなんだ。指南頼むぞ、カトー」

「初めてがこんなおじさんでごめんね。近くにあるから歩いて行こう」

「オーライ」


 道中も、そして目的の居酒屋へ入ってからも、ルルちゃんは他愛もない話で僕を楽しませてくれた。口下手な僕にとって彼女の明るさはありがたい。ちょっと口調がおじいちゃんくさいのは難点だけど。

 とりあえず生中のノルマをこなし、お通しシステムを説明して日本の居酒屋トークも一段落つき、二本めの日本酒へ手を出し始めた頃。

 僕は白状を始めた。


「娘がいるんだ」


 少し酩酊してきた僕に対し、ルルちゃんは顔色を全く変えずにお猪口を呷る。

 

「なんとなく予感はしていた。この面子の中で君は一番父親をしていたからね。続けてくれ」

「小麦アレルギーを持っている。だからクッキーなんかをお持ち帰りした日には、僕は死を覚悟しなくちゃいけない」

「なるほど。あわよくばスタッフの家族さんにも食べてもらおうと詰め込んでみたんだが、調子に乗って包みすぎたか。飯のあとに食べ切れる量でもなし」

「ごめんね」

「仲が良好とはいかないのだな」

「絶賛反抗期の真っ只中だよ。色々とやらかしたツケと合わさって、今が一番帰りたくない時期。

 ちょっと長い不幸自慢をするよ」


 溜め込んでいた鬱屈が一度解き放たれてしまえば後は他易かった。僕は自然と自分の境遇を語り始めた。お酒が入っていたし、甘えたいほどにおせっかいな人が目の前にいる。自白には最高のシチュエーションだね。



「僕が大学に通っていた頃、ちょっと女性関係でヤンチャしてしまってね。うっかり相手を妊娠させちゃったのよ。それを知ったのは大学卒業後だったけどね。その女は娘を連れて僕のところへ来たんだ」


「僕は責任を取り、周囲には内緒で籍を入れた。生活はまあまあ順調だったかな。僕はそれなりに名前が売れていたアートディレクターだったからお金には困らなかったし。夢に向かって頑張っていたよ。

 長続きはしなかったけど。事件が立て続けに重なったんだ」


「最初に、妻が不倫して僕から別の男へ乗り換えた。元々そういう性格の女だったし、今はもう未練がないよ。向こうから縁を切ってくれたから、もう気持ちの整理はついている。僕はね」


「それと同時期で、僕の結婚に対するスキャンダルが発覚した。大きなコンテストに挑んでいた時期には大きなマイナスアピールだったね。僕はノミネートを撤回され、所属していた会社からも追い出され、それなりな地位から転落した」

 

「妻に逃げられて、スキャンダルを流されて、別会社では冴えない役職に回されて……ついでに子育ても忙しい時期になって、心身共に疲れが限界になった。そして僕は人生で最も決定的なミスを犯してしまった」


「娘にアレルギー反応を起こさせてしまったんだよ。。本当にどうかしていたと思う。すぐに救急車を呼んで事なきを得たけど、その代償は大きかったよ。とんでもなく」

 

「娘も、僕がわざと仕込んだ事を感づいているんだろうね。それから娘は僕を拒絶するようになった。取り付く島もないほどに。今じゃ会話するのもおっかなびっくりだよ。本音を言えば別居したいほどに娘が怖いんだ」


「反省も後悔もいっぱいしたけど……どうしたら許してくれるんだろうね。もう僕は人生がわからないんだよ……どうすればいいんだろうね……」


 酒が入りすぎたのか、意識がまどろんでいく。白状して気が緩んだことも重なったんだろうね。話の最後では口調がふにゃふにゃになって、ついに僕は意識を手放してしまった。


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