第4話 私は母親に殺され食べられました
───お母さんライオンは瀕死の状態の赤ちゃんライオンが助からないと判断したのでしょう。苦しむ姿を見ていられなかったのでしょう。お母さんライオンは赤ちゃんの頭を咥え、呼吸を止めました。眠るように息を引き取る赤ちゃん──
「グッ、コホン。マジで? もう助からないからって母親が殺すのかよ、残酷」
真人はコーヒーに咽せながら目を背けます。厳しい野生の世界なのです。もしライオンにも人間と同じ感情があったなら堪えられないでしょう。動物としての本能がそうさせるのだと、真人は一人で納得していました。
───あなたを生かしておくことは出来ない。
淫行を犯した私に言い放った母親の言葉と行動は、真人の言葉を借りれば霊的本能でしたことでしょう。神の存在を信じ、神の組織という世界でしか通用しない本能だと思います。
私は母親に密告されました。自分の淫行という罪を長老に告白することも許されなかったのです。真理に疑問を挟んだ背教者だとレッテルを貼り、精神的な死ではなく霊的に死んだと判断されたのでしょう。
私は教団の審理委員会にかけられました。どんな罪を犯したのか、どんな気持ちでそれを行ったのか聞かれるのが審理委員会です。家族が黙っていてくれることも出来たでしょう。しかし、誰もそれを許さなかったのです。
私は二人の男性の前で聞かれたくないことを聞かれ、話したくないことを話しました。お母さんライオンが私の頭を咥えている状態と同じです。
「性交渉は今まで何回行いましたか?」
「性交渉の最中、どう感じましたか? 気持ちよかったですか?」
幼い頃から父親のように慕っていた男性二人にこう聞かれることはとても恥ずかしく、とても情けなく、屈辱的なことでした。不可抗力だったのか、悔い改めているのか、神に対してどう言い開きをするのか、色々調べられました。
───あなたは排斥者となります。
私の処分が下され、教団の仲間信者に発表がなされます。母親が長老に密告したことは、神の目からは正しいことだったでしょう。私はこうして母親に殺されました。精神薄弱者として扱われたあと、母親によって霊的に殺されたのです。
審理委員会にかけられた日、家を出る前、玄関で母親は私にこう言いました。「信者でない人を好きになったでしょう。匂いで分かるの。一線を越えた時も匂いで分かった。お母さんと神の目は節穴ではない。あなたはサタン悪魔に攻撃されたの。神様は義なる者を懲らしめるの。悔い改めて戻ってきなさい」と。
私はもううんざりでした。真理に疑いを持った頃から仲間信者にも監視され始めたのです。たぶん長老から危険人物として警戒するように言われたのだと思います。二度と戻る気はないと宣言する私を一瞥した母親は私を死に渡す時、悲しかったのでしょうか。今では知る由もありません。
───お母さんライオンの表情は泣いているようです。泣きながら我が子の亡骸を食べるお母さんライオン。もしこのままにしておいたら、必ず肉食獣が集まって来ることでしょう。残る四頭の赤ちゃんまでが危険に晒されてしまうのです。お母さんライオンは生き残った命のために決断したのです───
「ごめん、もう無理だよ、俺。グロい。幸恵も見るのやめな。消すよ」
悲鳴にも似た声で真人が言います。私だって目を背けたくなりました。お母さんライオンが赤ちゃんライオンを食べる映像を見るのは初めてだったのです。
「……やっぱりお義母さん、幸恵の妊娠を知らないよな。こんな映像を妊婦に見せるなんて人としてあり得ない。知って送ってきたのなら、もう鬼畜じゃん」
真人はきっと親に愛されて育ったのだと思います。まともな家庭で育ったのだと思います。人としてあり得ないことをするのが、新興宗教にマインドコントロールされている証拠なのです。
排斥が決まった日、私のベッドは一階の物置部屋に移されました。そこまでする必要があるのかと父親が憤慨すると、すぐ上の姉が私を一瞥してから父親に答えました。
「悪いパン種は取り除かないといけないの。同じ部屋にいたら悪い影響受けるじゃない、ねえ、お母さん」
「もう、幸恵とは霊的な話をしたらダメよ」
私の背骨に母親の牙が入ります。
「この家から排斥者が出たなんて恥ずかしい。模範的な家だったのにね」
「……幸恵のせいだからね。明日の集まりに行くのが恥ずかしいわ」
私のお腹にも母親の牙が入ります。母親が発した言葉は、私を食べる咀嚼音のように聞こえて、息ができなくなったことを思い出しました。
私は真っ暗な画面を見つめて泣いていました。このDVDに込められたメッセージは自然の情愛に欠けたものであり、カルト宗教の恐ろしさをまざまざとみせつけられたからです。
神に立ち返りなさい。悔い改めて戻ってきなさい。
そうではなかったのです。母親に殺され食べられた私。母親にとったら存在すらしないのでしょう。家族が壊されてしまった。母親が入信した宗教のせいで私は家族がいなくなりました。
「……幸恵、大丈夫か?……俺、なんか分かった気がするよ。この前の記者会見でさ、途中で会見中止されたんだよね。この子は精神的にやばいから、ウソを言ってるって」
真人は私を気遣って大きめのハンカチを渡してくれました。
「まさか実の親の署名入りって思わないよね。泣いてしまった訳が分かるよ」
背中を摩りながら、真人は反セクト法が日本でも早く成立されたらいいねと付け足しました。
「……幸恵、俺じゃ頼りないか? 幸恵は食べられてしまったんだからさ、あの組織には存在しないじゃん。もう縛られなくてもよくね。うーん、上手く言えないけど、生まれ変わったって思えばいいじゃん。新しい家族は俺と幸恵とこの子で作っていこう」
真人は明るく言ってくれました。そう考えたら気が楽になります。私は母親に殺され食べられた。それは新たな人生の始まりなのです。
真人の手を握りありがとうと答えると……初めて胎動を感じました。
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