第3話 抱いた疑念と淫行の罪

───お母さんライオンは象の動きに警戒しながら、一頭ずつ安全な場所に移動させました。三頭を安全な場所に運ぶ頃、象は去っていきます……お母さんライオンは深い傷を負った一頭の赤ちゃんを見つけます。見つけるやいなや抱き抱えるように引き寄せます───


「やっぱり母は強しだね。自分だって命の危険に晒されてるのに逞しいよね」

 真人は少し興奮しながら言いました。三頭の赤ちゃんを懸命に運ぶ母親ライオンの姿を見て胸が熱くなったのでしょう。厳しい野生の世界に生きる動物たちの物語として見るならば、私だって感動したに違いありません。この状況はあの時の状況に似ていると思いました。私が教団の教えに疑念を抱いた時のことです。


 生まれた時から私は二世でした。子守唄の代わりに真理を聞いて育ったといっても過言ではありません。天には神がおられ、近い将来、ご自分の御子こどもであるイエス・キリストを用いてこの邪悪な世の中を終わらせるということ。イエス・キリストが天で王国の王になったのは千九百十四年であり、その根拠は古代エルサレムの滅びから数えて二五二〇年後であることだと聞かされてきました。

 

 私は何の疑いもなく、むしろその真理ゆえにこの教団こそが神が唯一用いておられる地上の組織だと信じて疑わなかったのです。しかし、ある時ふと目にした世界史の年表に古代エルサレムの滅びは西暦前五百八十七年とありました。


 二十年の違いは何だろう? 最初はふと疑問に思ったことをすぐ上の姉に確かめてみました。姉は真理に疑いを持つことは信仰が弱っている証拠だと怪訝な顔をしました。悲しいことに姉はすぐに私が疑念を抱いたことを母親に伝えました。


───背教者の嘘を信じてはいけない。嘘を信じこませ神から引き離すことがサタン悪魔の目的だ。あなたはサタン悪魔に攻撃されている!


 呼びだされた和室で、私は母親から諭されました。神の組織から出された出版物以外からの情報を取り入れることは危険だと念を押されたのです。


 この時点で私は象に攻撃され深い傷を負った赤ちゃんライオンだったのです。母は優しく私を引き寄せてくれたのです。



───お母さんライオンはぐったりした赤ちゃんライオンを励ますように、体から滲み出た血を舐め取ります。何度も何度も舐めて励まします。するとそれまで声も出なかった赤ちゃんが鳴き声をあげました───


「……ヤッベえ。俺、これ以上見てられないかもしれない。やっぱさ、子供は母親に励まされると元気になるんだな。幸恵、俺たちも生まれてくる子を大事に育てような」

 真人は少しショックを受けたようでした。五つ子赤ちゃん全頭が助かったと思っていたのでしょう。体から血を流しぐったりしている一頭を見て辛くなったのだと思います。コーヒーを淹れてくると席を立ち上がりました。


 私はそんな心根の優しい真人に惹かれたのだと思います。真人はバイト先の正社員でした。教団の教えの中に高等教育は無駄なことであり、高校を卒業したら自分の時間や体力を伝道活動の時間に多く充てるように勧められています。そのためには正規社員で働くことよりも、アルバイトすることが勧められたのです。


 私たち四姉妹も学生の頃から伝道活動に出ていますが、長期休みにはさらに伝道活動時間を多くしていました。母親はそれが嬉しく誇りだったようです。私も姉達に倣い、高校を卒業しすぐに開拓者と呼ばれる奉仕者になりました。


 私は開拓者として月に七十時間以上を伝道活動に当てました。ある物で満足するように教えられているので、洋服は姉達のお下がりでした。ガソリン代や自発的な寄付をするためだけのアルバイトです。正社員になることは信仰がないと言われる組織です。神のために時間、体力、資力を多く用いることが求められる組織でした。


───しかし、赤ちゃんの容態は深刻です。背骨が折れて内臓もダメでしょう。もう助からないと思ったのでしょうか。お母さんライオンが鼻と口を大きく広げ赤ちゃんライオンの匂いを詳しく調べ始めます。これはと呼ばれる表情です。この子が助かるか助からないかを匂いで悟っているのです───


「フレーメンだって、これか。タイトルになっていたのはこのシーンだったんだな……どっちだろ? 赤ちゃんは助かるって判断したのか?」

 コーヒーを淹れて戻ってきた真人の声が背後でしました。妊娠が分かってからカフェインを絶っていた私ですが、飲みたくなりました。この流れから助からないに決まっています。そうでなければ母親がわざわざこのDVDを送ってくるはずがありません。


 背教者の嘘だと母親に優しく諭されても私は納得がいきませんでした。組織の出版物以外に頼ることが出来ないのなら、誰かに教えて貰えばいいと思ったのです。私は教団の偉い人、長老と呼ばれる人に一縷の望みをかけて聞きました。教えが正しいと信じられる根拠が欲しかったのです。その事もすぐに母親に伝わったのです。母親はすごい剣幕で私を叱り、長老には私が精神的に弱くなっている、つまり精神薄弱者とウソの報告をしました。私が背教者として裁かれないように守ったのだと思います。精神疾患者として扱われることで私の自尊心は酷く傷つきました。


 私はあまりに辛くて母親の仕打ちをバイト先の男性、そうです真人につい話してしまったのです。真人は宗教のことは分からないけれど、力にはなると慰めてくれました。若い私たちが恋に落ち、一線を越えるのに時間はかかりませんでした。隠していたつもりはありませんが、淫行を犯したことが一番上の姉にばれて、母親に伝わったのです。母親は冷たく毅然とした態度で私に一言だけ言いました。


───あなたを生かしておくことは出来ない。と。


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