室外機に花

秋冬遥夏

室外機に花

菜の花と海の香りが交わるところにJR総務本線飯岡駅はある。私はそこで、高校からの友人と待ち合わせをしていた。ちなみに友人も、web小説投稿サイトに作品を投稿しており、普段からペンネームで呼び合う仲だ。友人の名は「浅雪ささめ」という。


 キャリーケースを引きずって改札を抜けると、そこには大きなボストンバックを抱える浅雪がいた。

「もう来てたんだ」

「うん、何があるかわかんないから」

「変わんないね、そーゆーとこ」

「そうか?」

 あの頃と何も変わらない。Twitterが繋がっているからか、半年ぶりに会ったとは思えない距離感だった。

「てか、ストレートで受かれよ? 古典みたいに3点とかじゃ絶対落ちるからな」

 いつまで経っても浅雪は、過去の定期テストをいじってくる。それが少し心地よかったり。

「でも今回は技能教習もあるからな。浅雪も心配」

「俺は、ゆーて余裕」

 他愛のない会話をして、旭日中央自動車教習所に向かう。コツコツと通うことが億劫だった私は、この春休みに浅雪を合宿免許に誘った。大学生のうちに取っておこうと思ったのだ。

 Googleマップを見ながら、案内してくれる浅雪。高校3年間、登下校を共にした彼と、またこうして歩けることが嬉しかった。


 途中、お腹が空いて「魚兵衛うおべえ」という食事処に入った。寿司や天ぷらなど、魚介を使った和食屋さんだった。

「お待たせ致しました。こちら煮魚定食と、あんみつです。ごゆっくりどうぞ」

 料理を運んでくれるおばあちゃんに、ありがとうございます、とふたりで返す。

「もしかして、免許合宿かい?」

「はい、そうです」

「そうかい、そうかい」

 気をつけてね、とそれだけ言って彼女は、厨房に消えて行った。きっとみんな、ここでご飯を食べていくのだろう。調べても他にはケーキ屋さんしかなかったし。


 そのときの私たちは、まだ何も知らなかった。おばあちゃんの言う「気をつけてね」が、運転だけに向けられたものではないなんて、思いもしなかった。


2022/03/19

 教習初日は案外スムーズに行った。すこし戸惑いながらも、適性検査と、学科教習(ビデオ)を見て、夜になって技能教習も受けた。はじめて乗る車に怯えながら、教習所内をぐるぐるした。大変だったが、なんの問題もなかった。


 問題は夜、合宿所でおきた。合宿所は、教習所からマイクロバスで10分ほど走った山奥にある。大浴場と食堂がひとつ。トイレは2箇所あり、その入り口には洗面台と、洗濯機、乾燥機が備え付けられている。

 部屋は2人部屋で、ベッドとロッカーがふたつずつ、そしてエアコンがあるだけの簡素なものだ。ドアにはベルがついている。出入りが自由な刑務所、というのが最初の印象だった。

「ここに2週間か……」

「きついな、すぐに受かって早く出よう」

「そうだな」

 そんな犯罪者のような会話に笑いながら、浅雪はカーテンを開ける。そこにひとつ、気になるものがあった。エアコンの室外機のところに、花や木の実が置いてあったのだ。菜の花とユスラウメ。なんとなく野良猫がここに集めているのだと思って、気に留めなかった。

 しかし、それが後に私たちを恐怖へと落とし込んでいくことになる。


2022-3/20

 次の日からは、本腰を入れて教習が始まった。学科教習も多く、睡魔に襲われながらビデオを見た。技能教習では何人かの教官にあたり、浅雪と「誰がよかった、よくなかった」と好みを話し合った。ちなみに私の推しは、磯部さんだ。


 そして、夜。帰ってきた私らは、シャワーを浴びてから、用意された弁当を食べる。これが美味しいから、なんとか一日を過ごしていける。しかし共同の電子レンジに並ぶ列を見ていると、やはり刑務所感が拭えないのが面白かった。

「なあ、秋冬」

「なに?」

「冷蔵庫あるわ」

「そうだね」

 時間できたら何か買ってこよ。そう呟いて浅雪は列に並んだ。確かにジュースのひとつあるだけで、教習のやる気も出るかもしれない。いいアイデアだ。


 ご飯を食べて、部屋に戻った。小説の話をして、将来の夢を語って、若者らしく過ごした。そして気になった。カーテンの裏側。どうしても気になって——開けてしまった。


 違和感を感じた。そこにあったのは、タンポポと猫じゃらしだったのだ。確か昨日は、菜の花とユスラウメ。つまり変わっているのだ。

「浅雪……おかしいよ、これ」

「そうか、野良猫じゃないの?」

 自分も昨日まではそう思ってた。でも違う。自分も家で「えごま」という猫を飼っているから断言できる。猫はものをどこかに集めることはしても、それを取り替えることはしない。


「つまり……これは人間がやってる、と思う」


 浅雪は楽しそうに笑っていた。こういう時に、へらへらしてられるのが彼の強みだ。とても頼りになる。

「じゃあ、誰かな。秋冬は心当たりある?」

「いや、全く」

「俺もないなあ」

 もし、これをしているのが人間だとしたら、それは自分らを追っている誰かだろう。小中学生のとき、私のことをストーキングしていた子がいるが、その人が今になって追っているとは考えにくい。では誰か。

「ひとまず明日、管理人に話を聞いてみよう」

 そういって、浅雪は寝た。私は寝られなかった。


2022-3/21

 翌日、昼ごはんを食べながら、スマホで調べた。「旭中央教習所 事件」「花 ストーカー」など色々な可能性を考えたが、それといった記事には出会えなかった。

「なんもないね」

「そうだよ、気のせいなんだよ」

「そうかな」

 浅雪は、帰ったら管理人に聞こう、と笑っているだけだった。全く彼の呑気さには呆れる。しかし調べていて、引っかかる点があった。


 なんで、花なんだろう。


 犯人が人間でも幽霊でも「嫌がらせ」をしたいなら、もっと釘とか人形みたいに、気味の悪いものにすればいいと思うんだ。しかしそれはしない。きっと花でなければいけない理由があるんだろう。


 夕方。帰宅して、部屋に入る前に管理人に話を聞いた。

「ああ、それかい」

「なにか、知ってるんですか」

「あれ、毎年春になるとあるんだよ。はじめは猫や鳥の仕業だと思っていたんだけど、どうやら違う。私が弁当屋さんに夕飯を取りに行ってる間に置くみたいで、誰がしてるのかはわからないんだよね、ごめんね」

 結局、犯人はわからなかった。部屋に戻って、浅雪を待った。今日は技能教習が浅雪の方が多かったのだ。明日は私の方が多いらしい。入所日が同じだからと言って、ずっと時間割が同じという訳ではないみたいだ。


 夕飯の弁当を食べながら、管理人から聞いたことを浅雪に伝えた。すると彼は、重要なことに気付いてくれた。さすがミステリー小説が好きなだけある。

「ということは、その花は俺ら個人的に向けられたものじゃないね。毎年あると言うことは、自分らが来る前にもあるんだから」

「なるほど、じゃあ何が目的なの?」


「部屋、なんじゃないかな。お供え物なんだと思う」


2022-3/22

 朝ごはんの卵かけご飯を、ふたりでかきこむ。もっと早く起きればいいのだが、男子大学生ふたり暮らしが、そんな規則正しいはずがない。

「一件落着だな」

 そう言い浅雪は、味噌汁を啜る。

「うん、そうだよね」

 確かに「お供え物」だとしたら、花である理由もつく。地元でも交通事故現場に花が置いてあるのを見たことがある。花屋の花でないのは、人間の存在であると疑われないための、カモフラージュなのだろう。

「きっとさ、秋冬。俺らみたいな人だったんだと思うよ。ふたりで合宿にきて、どちらかが事故で命を落とした。だから、一緒に泊まった部屋に今も花を届けるんじゃないかな」

「なるほど」

 一件落着、一件落着。浅雪の言葉をなんども繰り返した。そう思いたかった。それでも、いくつか腑に落ちない点もある。ひとつは「お供えだったら一回でいいのではないか」ということ。ふたつめは「なんで、そんなこっそりするのか」ということ。

 私だったら、管理人に事情を話してお供えをする許可を取る。住居侵入罪を犯してまで、こんなやり方はしない。そんな風に考えると、この問題には、もっと隠された闇がある気がした。

「おい、マイクロバス来ちゃうぞ。はやく食べろ」

「おう」

 今日も教習が始まる。今夜は私の帰りが遅い。夜中に坂道発進をやるそうだ。頑張りたいと思う。


 大変な坂道発進を終えて、部屋に戻るとそこにはお菓子の山があった。

「なにこれ、どうしたの」

「今日、暇だから買ってきた」

 どうやら近くにスーパーマーケットとホームセンターの複合施設があったらしい。そこで、お菓子やジュース、洗濯物を干すためのロープを買ってきたとのことである。

「花、どうなった?」

「今日は、こんな感じ」

 そこにはチューリップが2本(赤と黄色)が花瓶にささり、となりにはチョコレートが2つ置いてあった。

「お供え物だとわかったなら、せめて形だけでも整えてあげようと思ってさ。それっぽく、花瓶も買ってきた」

「浅雪、やさしいね」

「いや、べつに」

 彼は笑っていた。余計なお世話なような気もしたが、心は温かくなった。こっそり花を届ける犯人が、少しでも救われればと思った。


 しかし事態は予想もしない方向に転がっていくのだった。


2022/03/23

 翌朝、花瓶が割られていた。チョコレートもなくなっていた。

「浅雪、なんかヤバいことになったぞ」

「そう、だね」

 予想外の結果だった。お供え物だとしたら、花を花瓶にさしたり、お菓子も供えたりして間違いないはずだ。なにがいけなかったのだろう。

「ヘタに手を出したことに怒ったのかな」

「うーん」

 浅雪は手を組んで考える。地頭のいい彼が考えてる図はレアだから、見れて嬉しかった。しかし今回ばかりは彼でも答えは出ず、ひとまずご飯食べよ、と眠い目をこすって靴下を履いていた。切り替えが早いところも、なんとも彼らしく心強かった。


 今日もインスタントの味噌汁と、卵かけご飯をかきこんで、浅雪はニコニコしている。夜中に花瓶が割られる事件があったというのに、なんでこんなに楽しそうなのか。

「あ、」

「ん?」

「もしかして、犯人って浅雪?」

「んなわけねえだろ、動機がない」

 だよねえ。そう思いたかっただけだ。浅雪が「いたずら」でやっていて「ドッキリでした」なんて言ってくれたら、どれだけ救われるか。

「そういう秋冬こそ、犯人じゃないだろうな?」

「んなわけねえだろ、動機がない」

 お互いを疑い合い、そして笑った。大学になってできてしまった浅雪との距離が、この合宿で縮まっているようで、嬉しく感じた。


 それにしても学科教習のビデオはつまらない。箇条書きで書けば20分で覚えられる内容を、1時間かけて授業をする。丁寧にもほどがあるそれを「運転は事故をすると、命にかかわる」という理由で押し通している。

 残り、あと30分。授業そっちのけで「花のこと」を考えた。ひとまず、今の状況をノートの端に時系列にまとめてみた。


2022/03/19:菜の花、ユスラウメ

2022/03/20:タンポポ、猫じゃらし

2022/03/21:菜の花、野いちご

2022/03/22:チューリップ2本、花瓶、チョコ

2022/03/23:花瓶が割られ、チョコが消える


 まとめるとわかりやすい。ひとつ明らかなのは、犯人にとって「花瓶とチョコは邪魔だった」ということ。つまり「花と木の実だけ」ということに、なにか特別な意味があるのかもしれない。では、なにが目的なのか。それは、どれだけ考えてもわからなかった。


 なんとか今日も技能教習が終わった。見た目で難しそうな「クランク」と「S字カーブ」は、実際やってみるともっと難しい。なんども縁石に乗り上げて、強面の教官に怒られまくった。

「なあ、浅雪。S字クランク、無理すぎない?」

「それな、明日のみきわめ大丈夫かな」

 明日みきわめで、明後日に仮免学科試験と終了検定(技能)がある。それらすべてを合格しないと、第二段階に進めない。つまり、合宿が長引くということだ。

「秋冬、絶対に受かれよ。じゃないと、この奇妙な部屋にひとりで泊まる羽目になるぞ」

「え、もし自分が落ちても待っててよ」

「嫌だよ、春休み遊びたいもん」

 マジか、これは絶対に受からなくちゃ。さすがにひとりでは死んでしまう。


「そういえば、さっき見たんだけど、今日はタンポポとふきのとうの花だったよ」

 弁当の唐揚げを頬張って、浅雪は言う。

「ふきのとう、はじめてだな」

「そうだな」

 それにしても、共通点が「花、木の実」というくらいしか見当たらない。あとは「赤と黄色と緑」という、なんとも大まかな色の括りだ。

「浅雪、なんかわかる?」

「うーん、わかんない。お前は?」

「自分も、まったく」

 行き詰ってしまった。もうふたりだけでは、謎を解けない。誰かの手を借りよう。浅雪と共通の友達を、片っ端から考える。吉田は筋トレしか興味ないし、伊橋は本気で怖がって泣く可能性がある。すーくんは真面目がゆえ信じてもらえなさそうだし、里城はキモいから「犯人と仲良くなれよ」ととか言ってきそう。

「ダメだあ、友だち頼りにならないわ」

「待って、白神は?」

「あ、」

 白神はいいかもしれない。彼はペンネームを「白神天稀」と言い、私らと同様に執筆をしている後輩だ。オカルトや都市伝説にも詳しいし、なんと言っても真剣に向き合ってくれそうだった。

「白神、いいと思う。電話してみよう」


 案外すぐに白神は電話に出てくれた。

「僕が知ってる中で、いちばん近い都市伝説は、せんじゅさま、っすかね」

「せんじゅさま?」

「そうっす、黄色い花と鈴を用意して、願い事をいうと現れて、願いを叶えて幸せにしてくれるっていう、なんともいいやつです」

 白神は終始楽しそうだった。こっちは恐怖に落とされてるってのに、本当にイカれた人だ。しかし、この狂気が彼の小説を作り上げてると考えると、才能とも感じられる。

「でも、黄色い花なんでしょ?」

「はい、そこが合わないんすよね。実際には緑とか赤の花もあったわけで、黄色だけじゃない。特に無駄なものがあってはいけないとはネットに書かれていませんが、普通だったら黄色だけにすると思います」

 赤、黄色、緑……何か共通点を考えて。数日前の学科教習で「信号」を学んだことを思い出した。緑を青と言うのが一般的だが、信号の色も「赤、黄色、緑」だ。

 私はすぐに学科教本を開いてみた。信号についてのページは、P.20-28。そこには、停止線で止まること、見切り発車をしないことなどが書いてある。

「秋冬、なにしてんの」

「え? 赤、黄色、緑って信号っぽいなと」

「たしかに」


 あ、見つけた。

「浅雪、これ見てよ」

「なに?」

「重度の色覚異常は、信号の区別がつきにくいって書いてある。ほら」

 それは教科書の端っこに小さく載っている『ちょっと注目!~色覚異常の見え方~』というコーナーにあった。確かにその画像では、赤も青も黄色も限りなく同じ色に見えた。


2022/03/24

 犯人は「せんじゅさま」を呼んで幸せになろうとしている。しかし、色覚異常なゆえ、適切に呼ぶことができず失敗を繰り返している。という結論に行きついた。

「今日、みきわめでしょ?」

「そう」

「がんばろう」

 昨日は全然眠れなかった。白神によると「せんじゅさま」は幸せを運ぶと言われているが、言い噂だけじゃないという。調べると、1987年埼玉県にて男子中学生が黄色い花を握ったまま亡くなったという記事にも行き着いた。

「秋冬……」

「なに?」

「今日、スマホ置いていこうと思う。隠し撮りをして、犯人を突き止める」

 浅雪の顔はいつにも増して真剣だ。

「勝手にしろよ。せんじゅさまに狙われても、知らないかんな」


 みきわめが無事に終わった。終了検定の最終確認もかねて「S字カーブ」や「クランク」のコツも教わって実りが多かった。教習所内でこんなに大変だと、第2段階で路上に出たら、どれだけ難しいのかと不安になった。

「ただいま」

「うん、おかえり」

 浅雪の元気がない。

「あのさ秋冬、俺たちすごい勘違いをしていたよ」

 そういって彼は、今日撮った隠し撮りの動画を見せる。そこには戦隊イエローの仮面をつけた男がいた。そしてエアコンの室外機に、タンポポと野いちごを置いて逃げていった。

「え、願い事は?」

「してない。ただ置いていっただけ」

「どうゆうことだ」

「犯人の目的はせんじゅさまを呼ぶことではなく、俺たちに呼ばせることだったのかもしれない」

 エアコンの風に吹かれて、ドアのベルが鳴っている。そして確か、私たちは将来の夢を語りあった。黄色い花、鈴、願いごと。無意識に条件がそろってしまっていた。


2022/04/01

 その後、一週間これといったことは起きなかった。毎日花はあれど、それだけだった。教習も、仮免学科試験、終了検定を経て、第二段階に移った。そしてその第二段階も、今日の卒業検定で終わりだ。

「やっとだね」

「そうだな」

 気味が悪かった合宿も今日で終わりだと思うと、清々しい気分だった。逃げ切ろう。謎の花から、無意識に呼んでしまったかもしれない「せんじゅさま」から、逃げ切ろう。そう心に決めて、浅雪と見合った。


 エンジンをかけて、ハンドブレーキをあげて、卒業検定が始まった。ルートはすべて頭の中に入っている。磯部さん(教官)の鋭い目に耐えながら、バックミラーとサイドミラーを確認して、ひとつ息をついた。

「よろしくお願いします」

「はい、お願いね。じゃ、出発」

 そのとき、見えてしまった。バックミラーの奥の方。黒い影に白い顔を持ったナニカがいた。せんじゅさまかもしれない。それとも、花を置いた犯人か。


 私はすぐに車を走らせた。教習所を出て、国道126号を左に曲がる。そのときのカーブミラーにも「それ」は映っていた。立ったままこちらを見て、ゆっくりと向かってくる。そしてついに——走り出した。

「やばい……」

「なんですか?」

「いえ、なんでもないです」

 教官には見えていないのか。ありえないスピードで「それ」はこちらに向かってくる。こちらは車なのに、ぜんぜん差がひらかない。もっとスピードを出したいが、法定速度を超えたら合格できないから、時速60kmを保つ。


 三つ目の信号が赤で止まったとき「それ」は急に消えた。ひとつわかったことがある。「それ」は鏡にしか映らない。車に取り付けられたミラーには映っても、実際には「それ」はいない。


 左に止まったシルバーのハイエース。そこに映るものを見て、ぞっとした。「それ」はもう、この車の中、後ろの席に座っていたのだ。振り返れば「それ」はいる。焦りながら歩行者を確認して、信号を右折した。

「じゃあ、この道端に車止めて」

 あ、忘れてた。路上駐車も検定に含まれてるんだった。追われていて、一刻も早く逃げ切りたいのに、いったん止めなくてはならない。しかたなく左ウィンカーを点滅させて、ブレーキを踏んだ。


 ハンドブレーキをおろして、鏡を見た。いない。後ろを見ても、いない。さっきまで間違いなく後ろの席に座っていた「それ」が、消えてしまった。


 胸を撫で下ろし、またアクセルを踏んだ。しかしどうも効きが悪い。これからしばらく道なりだ。しかもさっきの国道と違い、法定速度は40km。ゆっくり走ることになる。

 そのとき、気づいた。踏んでもないのに、ブレーキがかかっている。そして、足下に見覚えのある菜の花が落ちていた。


 県道122号を越えて、三川小をすぎたあたり、急にカーナビがついた。そして映像が流れた。ホームビデオのようなそれには、女の子が映っている。


「はっぴばーすでー、とぅーゆー」

「はっぴばーすでー、とぅーゆー」


 運転の片手間でしか見れないが、どうやら誕生日パーティの映像らしい。


「はっぴばーすでー、でぃあ、さなちゃん」

「はっぴばーすでー、とぅーゆー」


 成長を祝福されるなか、女の子はケーキに立てられたロウソクの火を消す。楽しそうにプレゼントを開ける。中身は「戦隊ヒーローなりきりセット」だった。ヒーローベルト、戦隊パジャマ、そして戦隊イエローの仮面。


 そこで映像は終わった。それからは、なにもなかった。カーナビにも、ミラーにも不気味なものは映らなかった。

 九十九里ビーチラインを右に曲がって、途中で出てくる「浜の駐車場」にバック駐車をして検定は終わった。


2022/08/19

 地元の駅に相方を迎えにいった。こうして夏休みに運転できるのも、あの合宿を乗り越えたからだと思うと感慨深い。

「久しぶり」

「おう、ひさしぶり」

 彼はいつもと同じ穏やかな態度で助手席に乗る。行く場所は決まっている。車を持ったら、いつも電車で通っていた高校に、車で行こうと決めていたのだ。

「そうだ、秋冬」

「なに?」

「あの後、色々調べたんだけどさ。せんじゅさまって正しく呼ぶと幸せにしてくれるけど、違う色の花を置くと襲われるんだって」

 つまり、犯人は色覚異常でもなんでもなかったということか。わざと赤や緑のものや、木の実を置いて「間違った呼び方」を私たちにさせたのだ。


 私もひとつ調べたことがある。あの町の交通事故についてだ。そして、気になる記事を見つけた。何十年も前、飲酒運転をした軽トラックが、下校中の小学生の列に突っ込んだらしい。ほとんどの小学生が怪我で済んだが、ひとりだけ命を落とした。


 その子の名前は「磯部沙奈」。


 私はぞっとした。あのホームビデオの「さなちゃん」とは、この子のことだと直感で思った。そして確か、私の卒業検定を担当した教官は「磯部」だった。彼が「さなちゃん」の父だという確証はないが、そうだとしたら辻褄はあう。


 娘を交通事故で亡くした彼が、復讐としてこれから免許を取ろうとしている若者を狙って、呪いをかけている。そう考えると、娘の仮面をつけている説明もつくし、カーナビに映像を流したのも彼だろう。


 あくまで憶測でしかないが、こんな風に考えるとしっくりくる。

「秋冬、運転してんの?」

「まあ、休みの日とかは」

「そっか」

 しかし、全ては終わったことだ。あれから何もないのだから、もう考えなくていい。そうだ、来年の春は菜の花を食べよう。おひたしもいいし、天ぷらや素揚げも良さそう。春がほんの少し待ち遠しくなった。

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