裏
ワンルームの広くもない部屋で女が一人、スマホを操作している。
画面に表示された情報を見て、なにを思ったのか女はくすりと小さく笑った。
笑い事ではない、と女の背後に立つ男が不機嫌に鼻を鳴らす。
しかし女は男の言葉には反応を示さず、楽し気に「織田信長って、なんだっけ。鳴かぬなら……鳴かぬなら……」などと虚空に向かってしゃべり出す。男は女の様子にますます不機嫌になった。
涼し気な音を立て、女はグラスを傾ける。それから焼き鳥を一本を手に取り、大口を開けて食べる。
なんと品のない女だ、と男は眉をひそめた。だがやはり、女は男の言葉には反応しない。
スウェット姿のラフな格好の女と違い、男の姿は小袖の上に肩衣と袴を身に着けた、随分と時代がかっている服装をしていた。おまけに少し透けている。
「鳴かぬなら、焼き鳥コース、まっしぐら!」
男はご機嫌な女のたわ言にぎょっとして、周囲を見回す。そして恐怖と怒りをにじませた顔で、身の程をわきまえろ、おまえは死にたいのか、と怒声を上げた。しかし女はやはり、男の言葉に反応しない。そもそも、男の存在に気付いてもいない。
男は諭すように真剣な表情で言う。お前はあの時代、あのうつけなどと呼ばれた男のことを知らんからそんなのんきな冗談を言っていられるのだ。いいか、今でこそこの国はこんな風になったがあの時代は……。
男がくどくどと話す間、女は恍惚とした様子でカロリーを摂取し続けている。
男はふと窓の方へ向く。それから何かを考えるようなそぶりを見せ、おもむろに冷蔵庫へ近寄る。すっと手を向けると、いつの間にやらその手の中にはたくさんの氷が握られていた。
氷を手に窓へ歩み寄り、そのままガラスをすり抜け外へ出る。背後で「あれ? もう氷が無い……」と女の声がするが、男は無視である。
バルコニーへ出た男は、そこに干された女の洗濯物と、洗濯物に手を伸ばす妙齢の男を視認した。
男は氷を妙齢の男の背中に流し入れてやる。妙齢の男は声にならない叫びを上げ、洗濯物をあきらめて慌てて逃げて行った。
走り去る下着泥を小馬鹿にしたように見送ると、男はついと空を見上げる。
皆既月食、それに惑星食が今まさに成されているのを、どこか郷愁の漂う顔で見上げていた……が。
女が鼻歌交じりでフラフラと道行くのを見つけると、途端に不機嫌になる。
少しは身の程をわきまえろ、こんな夜更けに女が出歩くなど、とぶつくさ言いながら、男は女の後を追った。
皆既月食と織田信長 洞貝 渉 @horagai
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