ヴァレンタイン・オブ・ザ・テラー

Tempp @ぷかぷか

第1話

 バレンタインデー前々日。

 怖い。

 恐怖だ。

 恐怖の足跡というものがあるのなら、それがひたひたと迫って来ている。

 僕を見る女子の目が飢えた野獣のそれにしか見えない。視線を向けられるたびに反射的にビクっとして、恐怖で背筋が凍る。1ミリタリとも動いたら食い殺されそうな恐ろしさ。怖い。


 僕には3つ、特殊点があった。

 1つ目。モテる。自慢じゃなくてこれは忌むべき客観的事実。北欧系ハーフで顔が整っている。ヒョロガリだけど背も高い。

 2つ目。人の心の声が聞こえて感情が色で見える。普段はそれを感じないよう心を閉じている。これはもう酷いトラウマで、僕を見る女の人からは酷い妄想しか聞こえてこない。頭がおかしくなりそう。

 3つ目。コミュ症。上の2つの原因で、僕は酷い女性不信に陥っている。図書館で本を借りる時に恋とか関心なさそうな図書委員の女子にうっかり防御を解いたらそこはもう真っピンクで、何故か僕が隣のクラスの男子に襲われていた。それ以降はもう女子と見るだけで挙動不審に陥る。


 ガラリと教室の扉を開けると女子の目が集まり、おもわず一歩後ずさる。このまま閉じて帰っちゃダメかな。

 瘴気がじわじわと心の扉をミシリと掴み、こじ開けようとする。この季節は女子の欲望の昂まりが激しすぎてうまく心を閉じられない。攻撃力が防御力を上回る。しかも多勢に無勢。

「早く入りなさい!」

 背中からイライラした青色の思念と共に背中が押された。そのイラつき加減にホッとする。幸いにも僕の席は男子に囲まれていて、周りの男子のイラッとした心が気持ちいい。苛立ちのイエロー。早く家に帰りたい。帰ってネコに癒されたい。


 昼休みと朝礼前、放課後を除くと授業中はなんとか小さくなって過ごす。みんな一応は授業を聞いていて、僕に向けられる思念が減少する。黒板に板書する北林先生の背中を見る。29歳独身。1つにまとめられた黒髪に黒縁メガネ。少し神経質そうな雰囲気。クラスの男子はババァとか言ってるけど、先生からはピンクの波動を感じたことがない。砂漠のオアシスだ。

 みんな僕がもてていいって言うけれど、1回女子の頭の中を見てみればいい。中学まではそうでもなかったけれど、高校に入るともうだいたいピンクしか入ってない。僕のエロ知識は女子の妄想でダイレクトにアタックされたものばかりで、今更エロ本なんて買う気も起きない。そう考えると男子の妄想のなんとフィジカルでシンプルに単純なことだろう。

 終業のチャイムが鳴ると僕は一目散に逃げ出した。


 状況は年々悪化している。

 小学校の頃はチョコレートを純粋に喜んで受け取っていたけど、最近は市販のチョコでも思念が絡み付いていてみえて恐ろしい。手作りなんて怨念の塊みたいになっていて、触ったら呪われそうだ。

 だから貰ったチョコはこっそり妹とか昔からの友達にあげていた。

 そんな苦悩を今年も幼馴染に相談する。毎年のことなので幼馴染もうんざりしているけれども致し方ない。精神が擦り切れてしまいそうだ。


「うーん。フリーと思われてるから告られるんだろ? 誰か付き合いそうもない人に告ってみるとか?」

「そんなこといわれても」

 誰か僕を好きじゃない人が僕と付き合ってくれないかな。自分でも何を言っているのかよくわからなくなってきた。頭の中が混乱している。

 そもそも僕をピンクな目で見ない人は家族と近所のおばちゃんくらいしか。そこでふと思い出す。北林先生だけはピンクじゃなかった。

 翌朝、バレンタインデー前日。

 命の危険はますます高まり、僕は暴挙に出た。まさに暴挙だ。

 昨日よりさらに増したピンク色で具体的な舐め回すような卑猥な思念に僕の思考は決壊した。

「邪魔だ。入りなさい」

「先生、僕と付き合ってください」

 背中に向けられるイラついた思念に思わず振り向いて、すがるように助けを求めた。その瞬間、背後の教室の中で阿鼻叫喚が暴発した。

 なんだか絶望的な黒い思念、ババ専なのかという困惑のうす紫の思念が爆発的に溢れかえっている。正面からはイラついたような混乱したような、怒りのような妙な藍色の思念。落ち着く。けれども北林先生の額には少し青筋が浮いている。


「馬鹿なこと言ってないで早く教室に入れ」

 より強い苛立ちとともに教室に追いやられる。

 けれどもその暴挙によって僕の周りは劇的に変化したのだ。

 僕に向けられる視線は相変わらず強かったけど、そのだいたいは好奇心の赤とか混乱の紫とか、そんな色に変化していた。主に男子から僕と北林先生がいちゃついてるピンクの妄想が軽く漂っていたけれど、そんなものは今朝までと比べると子供だましみたいなもので、なんだか随分久しぶりにまともに息ができた気分で、ほっと一息、胸を撫で下ろす。

 ねとついたエロい妄想からの開放。

 もっと早くこうしていればよかったのかも。

 その翌日、バレンタインデー当日。

 なんだかその朝は長年の悩みがすらりと溶けたように清々しかった。

 昨日の成果か僕にチョコレートを渡す人はいなかった。チョコレートの恐怖から開放された僕の心はふわふわと浮かれ上がっていた。


 放課後、苦々しい顔の北林先生に呼び出された。多分昨日のことで怒られるんだろう。冷静に考えると先生に酷い恥をかかせた気がする。朝礼前のみんなが見ている中だ。怒られて当然だ。謝らないと。そう思って職員室を開けると進路相談室に連れて行かれた。

「昨日のことだがな」

「あの、ごめんなさい」

「あんな場所でああいうのはやめなさい」

「あの、からかったつもりはなかったんです。本当にすみません」

「まさか本気なのか?」

 先生の思念が一瞬の混乱の色から驚きの赤色とためらいの橙色が混ざる。

 あれ?

「まあ、なんだ。悪い気はしないがこういうのは卒業してからだな」

「あの、先生?」

 先生はカバンから袋を取り出す。先生の雰囲気が灰色に変わる。これは抑圧とか我慢を示す色。

「これはなんだ、その、せっかくバレンタインだから」


 ほんの少しの上目遣いで濃い灰色の感情と共に差し出されたチョコレートはこれまで見たことないほど濃いピンク色をしていた。そこから刺さる高校生じゃ太刀打ちできない実体験に基づくえげつないリアルな妄想。

 思わずのけぞる。

 恐怖に凍りつく。

 そして先生の思念はまるで蜘蛛の糸のようにべたりと僕に絡みつく。

 先生の頭の奥底はピンク色すぎた。

 助けて。

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