小説。 おやすみ。

木田りも

おやすみ。

小説。 おやすみ。




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・最期

 今日、僕は終わる。こんな途中で終わる。

やりたいことを探す人生は、やりたいことにたどり着くための途中で大体が終わる。後悔のないような人生を送ろうとしたけど、後悔すべきことに気づいた僕にはもう終わることしかできない。受け入れるしかないのだ。それは本当に悲しいことなのだが、きっと誰しもがいつかは経験することなのだ。まだ。まだまだこれからなのだ。まだまだ。

これからだったはずなのに。


「あれ、今おじいちゃん笑ったよ」


やがて心臓が止まる。


・最後

 今日、死ぬはずだった私は、別の場所でまた生きている。不可解なことであるが、本当にそうだから仕方がない。私に何かあったのか、これは夢でも見ているのだろうか。会ったこともない男性になった私は、続きをやらなければいけないことがわかり、学校へ向かった。大学4年生。春。就活が始まってまだすぐ。あの頃私は、ただダラダラと生きていた。そんな日々に飽きていた私にやり直せと言っているのだ。今までの人生、そしてこれからの人生を。休みばかり謳歌していた自分を奮い立たせ、僕は家のドアを開けた。


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 バイトのある日はどうしても憂鬱になる。街の外れにある工場。どうして工場は街の外れにしかないんだろうか。そんなくだらないことしか考えないで今日も仕事に行く。いつものセブンイレブン。いつも買うフルーツミックス。鶏五目おにぎり。買う物も、出会う人も、業務内容も変わらない毎日。身体は楽だけど、飽きには勝てない。どうにか楽しみを探し、見つけ出そうとしたけど、このバイトというものに、楽しみを見出せることなんて出来そうにもない。就活生というレッテルが貼られるまであと少し。なにか、奇跡というか夢みたいなことは起きないだろうか。奇跡が起きるのは必然だと聞いた。現実に起きるから奇跡というのだ。私はそんなくだらないことを延々と考えながら日々を過ごしていた。今日も何も変わらない。怒られもせず、嬉しいこともなく。なにもお疲れ様と思っていない「お疲れ様でしたー」という挨拶。期待もされず家に着く。そして、いつものようにご飯を食べ、排泄をして寝る前にYouTubeを見てから、微睡むこととなった・・・。


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 目が覚めた時、少し身体が重いと思った。バイトが憂鬱なせいだろうと思ったのだけれど、見たこともない部屋にいた。目がおかしくなったのかと思った。それがいつの間にか夢遊病みたいなものを持っていたか。しかし例えどこにいようと、どんなところに住んでようと、身体が重かろうと軽かろうと毎日は平等にやって来る。僕は顔を洗おうとした。鏡を見た時、混乱した。僕は顔も名前も知らないおじさんになっていた。


 その時、間違いなくまだ夢を見ていると感じた。なかなか覚めない夢。妙に現実味のある夢。たまにあるそういった類いの夢だと思った。はっきりとしすぎた明晰夢。現実と見違えるような。僕はもう少しこの夢のままいても良いだろうということにした。なんだか不思議で非日常であったためであるが今日はどこへ逃げたって仕事があるのだ。夢の時間が長くなってしまえばその分、起きる時間が遅くなってしまうのではないかと思う。不安になった僕はつねったりちぎったり頭を叩いたりして起きようとした。でもなかなか目を覚まさないし、おじさんの野太い声で「痛い」と言ってしまった。声の感じも違う。このおじさんでバイト先に行ってみようか。ひょっとしたら自分の認識的な問題で周りから見れば普段通りの自分かも知れない。流石におかしいかもしれないが。しかし、どうせ夢なのだ。なにかきっかけみたいなもので目を覚ますだろうと。そんな風に思っている。全く知らない家でどこになにが置いてあるかもわからないまま、いろんなダンスや棚を開けてみる。自分の物はなに一つない。とりあえず新しそうな服を着る。自分の身体じゃないから違和感が常にまとわりついているが、同じ人間なので次第に慣れた。しかし、年齢を重ねるとこんなに身体が重かったり、普段から体調が悪かったりするのだと感じた。若い身体は素晴らしいとこの年齢で知れたのは良いことかも知れない。夢だけど。試しに外に出たは良いものの、ここがどこなのか、どのようにして向かえばいいのかわからなかった。目の前の顔も知らないお隣のおばさんには挨拶されるし。一度家に戻り、僕は家にある書類やら、うちに届いたガス代の明細などを見てこの家の住人、いまの僕が田中という名前であることを知った。この、田中さんの今日の予定というか、仕事を知りたかった。どんな結果であれこのおじさんのことを知らない僕は目を覚ますまで家にいることができるのだ。家にあるカレンダーやメモ帳などを探し、なんとか今日、田中さんが休みであることを確認できた。今日は休もう。田中さんとして、家でのんびり暮らしていよう。目が覚めたらバイトがある。それまでは夢だろうがなんだろうが少しでも寝ていたい。そう思った。横になると本当に身体が休まっていくようなそんな感覚に陥った。


 田中さんの生活は1日続いた。夜になっても僕は夢から覚めることはなく、お腹も空いたし、排泄もしたし、テレビのニュースの内容も入ってきた。そして、そのニュースは明らかに今日のものだった。つまり僕がまだ見ていないはずのニュース。ますます不思議だし、こんなに鮮明に誰かの人生を送ったのは初めてだ。たまにはこんな夢を見るのも良いなと思った。また偶然その日が休みの人の夢を味わえないかなぁとズルい考えがよぎった。寝床を整え、布団に入る。微睡がやってきて眠くなる。夢から覚めるのだろう。おやすみ、なのかおはようなのか。起きたら周りの人間に教えてやろう。夢でこんな体験をしたことを。


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 起きる。身体が軽い。いつもの僕だ。いつもの部屋に帰ってきた感覚になった。今日は、明日になっていた。昨日は過ぎていた。昨日1日寝てしまったのかとも思ったけど、そうでもなく昨日の僕は普通に生活をしていたらしい。友達にすごい夢の体験をしたとLINEを送ったら、昨日の僕はその友達にバイト辞めたいとか、帰りたいとかそんないつものようなLINEを送っていた。僕は僕として生活していた。脱ぎ散らかした服や、いつも買って帰るセブンイレブンのフルーツミックスなど、いつものものがいつものようにあり、レシートはちゃんといつものコンビニでいつもの時間だった。バイト先から電話もかかってきてないことから、問題もないようだ。不思議でならなかったが、バイトをした気分にならず休みを謳歌した僕にとっては良かったくらいに簡単に考えていた。田中さんはどうしてたのだろうか。しかしまた田中さんみたいな誰かになりたいと思った。でもなぜなのかわからないが夢だったはずなのに、僕は田中さんをはっきり覚えている。鮮明に、まるでその人の人生を本当に歩んだみたいに。


 僕として過ごす休みの日はいつものように時間が早くすぎる。明日から3連勤。とても憂鬱。いつまで経ってもなにも変わらない生活。仕事をせずに、また休みの日だけをすごしていたいと思うようになった。もちろんそんなことなんてないのだけれど。


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 起きた時、身体が違った。僕は、、、女になっていた。ついているものがなくて、膨らんでいるものがある。その時点でまた都合の良い夢を見ていると思った。同時にまだ覚めるな、、まだ覚めるな、、と願っていた。意識ははっきりし始めると身体は目を覚ます。お洒落な部屋で、いわゆる化粧品であろうよくわからないものが至るところに置いてある。そして、まずやることは今日この人はなにをするのか、何かやることがあるのかということだ。感覚がこのあいだと似ている。今回もなにも予定がない休日だった。自分で制御出来ないが、どうやら僕は仕事の日に都合良く夢を見る体質にでもなったのかもしれない。そしてそれは、とても自分にとって喜ばしいことであることも当然ながら理解している。


 ついているものがなくてしぼんでいるものが膨らんでいると人は触る。ほとんどの人もこの体験をしたら触るだろうが僕も例に漏れず触った。新鮮な経験だった。少し罪悪感があったがそんなものを気にしてる場合ではないくらいに興奮していた。どことなく、なにもしなくても良い匂いがする感覚になり、こんな体験も良いだろうと不意に思っている。本当に変わってしまったのだ。身体の何から何まで。少し怖くなってきた。今日だけだといいなと思い始めた。しかしながら、夜が訪れるとまた別の不安に襲われる。明日はまた別の人になっているのかもしれない。得体の知れない何かになっているかもしれない。しあわせなことの後には、普通ですら不幸と感じてしまうので、いつ自分自身の体や、醜い人間になってもいいように覚悟を決めないと、と思っている。


 このような状態の時どうしても遠出は出来ず、出かけられるのは近場、それも徒歩で歩ける範囲内でしか動けないこともわかった。コンビニで食べたいものを買ったり散歩はできるみたいだ。僕はいつも食べないスイーツや、お酒などを買い、家に帰った。


 1日を過ごし終えた時、得体の知れない不安に襲われた。僕はもう僕として過ごせないのではないだろうか。しかし、あんなつまらない僕という人生をもう送らなくてもいいと思うちょっとした安堵も同時に存在した。僕は、刺激的な毎日が送りたかったのだ。


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 寒さで目が覚めた。ここは、どこかのテントの中。身体が異様に痒いのと臭いことに気がついた。いわゆるホームレスだろう。たしかにホームレスは、仕事もないし、予定もないだろう。偏見だがそんな風に感じた。僕はテントから出る。牛乳屋さんと呼ばれた。キョトンとしていると周りの人が集まってきた。どつやら僕は、至る所から、牛乳などの乳製品や、ココアやキャットフードなどを持ち寄ってくるらしい。それが日常であるらしいので僕はそれを変だと思わなかった。食事も期限切れで少し味がボケているが、大まかには普通の人と同じように共同体の中で生活をしているように感じた。なんだかんだ生きている人間が、普通にそこにいて、毎日を送っていることを感じた。工場でこもってバイトをする日々では気づけなかった生活が至る所に転がっていて、それを知っていくのは、とても面白いことだと思った。ホームレスの1日は思ったより長い。やることがない休み。それも普段仕事をしていない人の日常というものは、かえって退屈に感じてしまう。悪いものではないと思ったが憧れるようなものでもない。しかし、僕自身もこうなっていく未来がないとはいえない。バイトも、そしていずれは就職もしっかりしないと、こんな場所で暮らしている可能性もあると感じた。しっかりしなければ。しっかりしなければならないと気を引き締めている。人と話し、共同体の中、集団の中、組織の中で過ごすこと。そんな苦労と充実さをこのホームレスで気づかせてもらった。


 やがてやってくる夜。寒さが厳しい中、僕は風邪避けや、毛布を駆使して眠りについたのだ。


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 気がつくと、フッカフカのベッドにゴージャスな景色が姿を現した。目が覚めて周りを見るとなんと表現したら良いのだろう。エレガントなスペシャルな、ラグジュアリーな。色んな横文字を並べても足りないくらい豪華絢爛な家だった。僕は王子様にでもなったのかと思った。間違いなく昨日のホームレスとは真逆のような人生だ。

 僕は西園寺家の長男らしい。次期当主。期待をかけられ育ち、やがてゆくゆくはこの地域を治めるような、そんな人物らしい。何やら戦国時代みたいだと思った。やはり予定なんてものはない。そもそも予定がある日も少ないだろうと思った。フルコースのような朝ごはんを食べ、とても大きなソファでまったりと過ごした。たぶん活動するとしたら会食だったり、それこそ投資だったりするのだろう。住む世界が違うというか、生まれ持った力の差も感じて少しナイーブになった。しかし逆に言えばこの能力があればこういった人間になることもできる。さらに言えばこの立場の人間が経験できないホームレスだったり、女性というものを経験出来るのだ。そう思えば僕の方がきっと幸運だろうと思うようになった。そして、僕自身が幸福であるためには、今、今日。この瞬間。頑張らなければならないと思った。ここまでは行かなくてもこの5分の1くらいの贅沢なら出来ると思ったのだ。家にあるもの全てが高価に見える。オブジェが置いてあり中庭があり、お風呂はまるで旅館にでも来たかのように広かった。この時僕は、今までダラダラと生きてきた生活から抜け出し、将来のために備えようと決めたのだ。僕は決意を持って布団に入った。しっかり体を休めようと思うのだ。


 幸運と幸福、そんなものを人生に求めるなんて、まだ僕はこの世界を好きみたいだと思った。


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 今日は休み。だから僕が僕として目が覚める。なんとなく分かってきた。僕がバイトの日に入れ替わることと、僕より年上の人にしかなれていないこと。そして、その間も僕は僕として生活をしていて、日付は先へと進んでいるということ。僕として生きることに飽きていたが、今は僕としてもっと時間を大事に生きたいと思い始めた。これから就活が始まる。明日は休みを使って就職イベントに行く。前はただ話を聞くだけだと思っていたけど、今は、自分のなりたいもののために積極的に受けに行こうと思うのだ。少しずつ自分が変わっていくような感じがした。


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 でも就職イベントは散々だった。世の中には、敵わない人間がいるというが僕はまだまだなにも知らなかった。質問リストを用意して恐れずガンガン質問する人。的確な場所でメモを取り熱心に情報を集める人。友達と情報を共有し合うひとなどに囲まれ、僕はなにを聞いて、なにをメモすれば良いかもわからないままだった。家に帰ると、支離滅裂なメモと溢れんばかりの資料が残った。ただ前の僕なら自己嫌悪になることも、そんな自分に気付けることもなく、なあなあにしていただろうから大きな成果だと思う。僕はここから変わらなければと思う。


 僕は早速行動を開始した。大学の進路相談室に向かい就職とはどのようなものなのか、そして自分はなにに向いているのか。自己分析というものを始め、長所や短所。自分に合う仕事は何か。そしてそのために今できることは何か、など。今までの人生に飽きていたと言ったがそんな日々に潤いが戻ってきたかのように僕は動いている。変わるための努力。もっと楽しい物だと思う人生に向かって歩き始めた。「これから頑張りましょう」と進路相談係の講師に言われた。とても希望に満ちた表情だった。今までは無駄な毎日だったかも知れない。だけどそんな日々のおかげで思いは強くなったかも知れない。まだまだ僕はこれからだ。


 1週間くらいかけて、講師の人からも少しずつ褒められるようになった。もちろんまだまだ基礎の基礎。できないことのほうが多いが、優しい講師や、同じ大学で同じ目標を持つ者とも出会い、切磋琢磨しながら進んでいるように感じた。今までの人生から変わった。いつか見た夢のあの豪華な家に一歩近づいたかもしれない。そんな希望を胸に時間は過ぎてゆく。


 家に帰り夜が来る。ここ最近の日々を過ごし充実した疲れを感じた。明日は久しぶりのバイト。今ならたとえバイトがあろうと、他の誰になろうと、前向きに行動できる気がする。そんな気分だった。僕は、お風呂に入り、身体を整え、清潔にして、明日が最高になりますようにと気分で眠りについた。


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…………


…………


目を開けることが出来ない。

身体が動かない。

手も足も動かせない。

身体が重い。

近くに人の声が聞こえる。手を握られている。頑張れ、、頑張れ、、と応援されている。身体が動かない。起きたばかりなのにもう眠くなってきた。普段の眠気とは違う感覚。なんとなく終わりというものを感じる。今日、今ごろ僕は、、僕だったらまた大学に行き、朝から夜まで仲間たちと面接練習をしたり、自己分析を書き尽くしたりするのだ。お昼ご飯もたくさん食べて死ぬことなど考えずただ生きていくことだけを考えるのだ。つまり、まだまだこれからなのだ。僕はまだまだこれからなのに。この人は、僕と同じ名字のこの人は二度とやってこないであろう明日を、後悔しなければならない。周りからの声が大きくなる。まだ出会っていない人たち。これから会う人たち。明日がやってこない今日。終わってしまう世界。

 

 だから僕は、そんな世界に抗うために最期の力で周りにいる人たちに笑顔を見せたんだと思う。



おわり。


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