台風が過ぎ去ると、嘘みたいな晴天が広がっていた。

 僕が川に向かおうとアパートを出たところで、大家さんとばったり出くわした。

 昨日の台風凄かった、という会話から、僕は気になっていたことを口にした。

 僕に向かって「久しぶり、会いたかった」と、女が言ってきたことをだ。

 大家さんは聞くなり、まるで咎めるような目を僕に向けてきた。

「あの人は、あなたぐらいの若い子みんなにそう言ってるのよ。だから、近づいちゃダメって言ったでしょ」

「……みんなに、ですか」

「そうよ。そもそも、あの人は子供どころか、結婚すらしてないのよ」

 それから、大家さんは「被害が出てるんだから、警察もどうにかしてくれればいいのに」と不満を漏らし始める。

 僕は会釈すると大家さんと別れて、川に向かった。

 相変わらず濁っていたけれど、流れは静かだった。

 水位が相変わらず高くて、下にはおりられなかったけれど、見下ろすだけで充分だった。

 もちろん女はいない。赤い布もない。

 何もかもを奪い去った川を眺めながら、僕はあの女は寂しかったのかもしれないと思った。

 だから道行く若い人を自分の子供だと、思い込んでいたのだろう。僕もきっと、母がいない寂しさを抱えていて、女との出会いによって触発されてしまったのかもしれない。

 あの女に会いたい気もするし、会いたくないような気もしていた。

 だけど僕が社会人になり引っ越しするまでの間、女が現れることはなかった。

 それどころか女の噂も、あの日を境にぱったりなくなっていた。


 

 

 

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噂の女 箕田 はる @mita_haru

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