画像を開く。壊れた自転車が、汚濁に呑み込まれていた。置きっぱなしになっていた自転車だと、すぐに分かった。

 すでに大丈夫だろうと安堵していた僕だったが、一応と画像を拡大する。そこで僕はアッと声を上げた。

 赤い布が呑み込まれるように、映っていたのだ。僕の手は震えていて、吐き気すらしていた。

 まさか、そんな馬鹿なと思いながらも、必死で目を凝らす。赤い布であることは間違いないが、それがあの女の物であるか確証がなかった。色んな物を強奪しているだけあって、木やゴミも混じっている。しっかりと映っているだけならまだしも、拡大すると画質が荒くなる。

 警察に連絡するにしても、違ったらとんだ騒ぎになるはずだ。そもそも、赤い布が映っているというだけで、捜査してくれるはずがない。せめて住居が分かっていれば、訊ねるぐらいはしてくれるだろうけど……

 僕はもちろん、住所を知るはずもない。

 だけど父ならば――

 あの川に飛び込んだとは考えられないけれど、人魚は荒波で王子を助けて恋に落ちる。だから可能性はゼロではない。

 嫌な思考の連鎖。非現実的な妄想。

 正常な判断は、焦燥感に呑み込まれていく。

 僕は父に電話をした。無事ならそれでいい。

 父は僕からの電話に、心底驚いた声を出した。それから「そっちは大丈夫なのか?」と聞いてきた。

 僕は「うん」と素っ気なく返し、それから母が川に溺れたかも知れないと告げた。

 自分が思っていた以上にパニックになっていたのだろう。父が取りあえず落ち着いてと言ってくる。それから僕に詳しい話をするように促した。

 僕は今までの出来事を話すことにした。

 荒唐無稽な内容だったはずなのに、父は口を挟まず、僕が女との出会いから今見たSNSの画像に至るまでを黙って聞いていた。

「お前はなんで、それが母親だと思ったんだ?」

 それは今話した通りだった。女が僕に「久しぶり」と声をかけ、自分の息子だと言った。うろ覚えながらも、見た写真の女性に似ていたのだからと――

 もう一度説明する僕に、父は「お前の母親の写真は一枚もない」と静かに言った。

「だけど……僕の小さい頃のアルバムに映ってて……」

「抱っこされている写真だろ。あれは近所の人で、母親じゃない」

 ちょっと待ってろと言って、父が立ち上がる気配がした。それから写真を送るからと言われ、電話が切られる。

 呆然としていた僕の手が震え、スマホを見た。送られてきた写真を見ると、古い写真にはあの女と似ても似つかない女性に抱っこされた赤ちゃんが映っていた。

 ならばあの女は、なぜ僕に「久しぶり」と言ったのだろうか。

 父が再び電話を掛けてくる。

 僕が全く違う人であることを告げると、父が「そうか」と息を吐いた。

「お前の母さんは、お前を産んで早々に家を出ていったんだ。会ってから話そうと思っていたんだが……母さんは不倫していたらしくてな。その男の転勤先に、一緒についていったんだ」

 それから父は、最近連絡があって、僕の様子を聞かれたと続ける。母は新しい家庭で、幸せに暮らしているそうだ。

「その女が何でそんなことを言ったか知らないが、とにかくもう忘れた方が良い。お前の産みの母親は人魚でもなんでもない。別の家族と暮らしてるんだからな」

 父は吐き捨てるように言った。浮気していたあげく、生まれたばかりの子を残していったことを、今でも根に持っているのかもしれない。

 よくあるような浮気による失踪。元人魚が故郷を求めて家庭を捨てるなんて、お伽噺でも描かれたりしないはずだ。

 僕はどうして、そんな当たり前の事を忘れていたのだろうか。

「大丈夫か? 都会はそういう変な奴や詐欺師がいっぱいいるらしいじゃないか。怪しいと思ったら、まずは俺たちに頼って――」

 今までの不安を晴らすかの如く、父が僕に訴えかける。

 それを聞きながら、僕は窓を見ていた。さっきよりは弱まった雨粒が、窓に当たって流れていた。

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