ある女のその後

野山ネコ

ある女のその後

もう何日経ったか分からないある晴れた朝。女は起き上がると布団を畳み、外を感じられる場所に陣取ると文庫本サイズの小さな本を膝に置く。その細腕と痩せた足には大袈裟と言わんばかりの枷が付いていて、女が動くたび、重い金属音を鳴らして枷の先についた太い蛇のような鎖が何もない数畳ほどの広さしかない部屋に鈍い音を鳴り響かせた。

『Diary』そう掠れた文字で書かかれた表紙は至ってシンプルなもので、ところどころ端の方が寄れているところを見るに相応の年季が入っているようだ。


――これは、女の母の日記だった。


紙の軽い音を奏でて表紙を開く。ページをめくって、日記の内容を指で壊れ物を扱うかのように優しく一文字ずつ慈しむようになぞる。そんな愛でるような所作とは反対に女の表情は、氷のように冷え切ったままだった。恐らく、何度も読み返したであろうその『遺品』に特に大した感想を抱くわけでもなく、ただの暇つぶしと言わんばかりに女はぼんやりと眺めて


「神坂死刑囚、時間だ」

「はい」


本をそのままに、女は呼ばれるままに返事をする。自分よりも2倍もあるだろう屈強な男に違う枷に変えられて、格子のついた頑丈な鉄扉から連れ出された。

部屋には古びた日記がそのまま、虚しくページを開けたままに。

 

 これから先、彼女は自分の身に何が起きるかなど容易に想像できていた。だが、そんなことはどうでもいい。彼女は目の前の男を組み伏せる術を持っていたが、そんな行動を取るのも面倒になっていた。

この無駄に長い廊下を渡るのにも飽きた頃、懺悔室のようなところへ通される。


「何か、伝えたいことはありますか?」


黒服の髪を後ろに撫でつけた銀縁メガネの小綺麗な男が、革張りのソファを一人陣取ってそう口を開く。向かいの革のソファに座っている女の表情は以前、冷たく凍てついたままだ。少しばかり時間を置き、少女も続いて口を開く。


「いいえ、特にありません」

「……そうですか」


男は何か言いたげだったが、それ以上言及するのを諦めたらしい、それだけを言うと口を閉ざした。女はソファから立ち上がり、再び屈強な男の後をついていく。もう直ぐ全てが終わることに、女はなんの感情も湧かなかった。

 また別の部屋に通され、されるがままに目隠しをされた後にゆっくりと階段を登っていく。そういえば『この階段』は13段である、とどこかの本で読んだな、などと女は思い出したがもう今自分が何段登ったのか分からなくなっていた。


 ――そして女は薄く頼りない板の上に立たされ、その白く滑らかな細首に太くささくれだった荒縄が美しいアクセサリーのように通される。


女はやっと全てが終わることに安堵して初めて小さく口元を緩めた。それが彼女の最初で最後の心からの笑みだった。

別室に配置された3人の刑務官が同時にボタンを押す。板が外れる硬い音が、女の命が潰える音となった。

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