DAYS2 -9- 『"ナナミ"という名前の武器』

 ナナミがオペルームに入ってから、もう数分が経過していた。 俺が最初にこの部屋に訪れた時に彼女がオペルームに入って出て来るまでの時間は、一分にも満たなかったはずだったのだが、やはり損傷具合によって時間がかかるのだろうか。


 開かないドアを見ながら、不安が募る。

同じ人体へ影響を与える行為といっても、俺の場合はこの回数と反動が付いている未知なる三原色の薬液だが、彼女の場合は身体そのものを弄っているのだ。かくいう俺も自分の身体が知らずに変化していっている不安は否めないのだが。

 

 薬液の事を考えたついでに、もう既に二回使った『力の赤』の残量を確認すると、ご丁寧に十あるメモリが六まで減っている。ということは使えるのは残り三回だろう。その回数でどう生き抜けばいいのかと溜め息を付きながらも、ナナミのオペルームに使用回数があるのかどうかや、使用に伴う反動が少し気になった。もしかすると、同じ自分自身を武器とする者同士で通ずるものがあるかもしれない。


 とにかく、いつまでもドアを見ていても仕方が無い。そう思い部屋を少し見回すと、物に溢れたその部屋に妙な違和感を感じる。壁に立てかけられた、縦幅にして一メートル程もある大きな赤い盾。その横に無造作に投げ捨てられているように見える鋭い鎌。あんな物騒な物、最初にこの部屋に入った時にあっただろうか。あったならば気付くはずなのだがと思い、それらを確認しようと近づくのと同時に、オペルームの扉が開く音がした。

 

 振り向くと、始めに出会ったばかりと寸分変わらぬ金髪碧眼の小柄な少女がそこにいた。

「おまたせです。いやぁ、今回は長引いちゃいましたね。でもおめかしって事で許してくれると嬉しいなーって」

 オペルームから出てきたナナミは先程の満身創痍の女性では無く、傷一つ無い少女に戻っていた。

「いや……、待つのは構わない。けれど、不思議なもんだな……」

 俺は盾と鎌に視線を取られつつも、問いかける。

「うーん……、乙女の秘密って言いたいところだけど……」

 笑顔で笑う少女の目付きが急に変わる。

「でもお兄さん。ソレ、見ちゃってますしね」

 可愛げに話していた彼女の声のトーンが急に落ちる。その少女らしくない冷たい目つきに、つまらなさそうな冷めきった声。それは俺を睨んでいるわけではなく、俺に向けられた声ではなく。


 俺の後ろにある二つの武器に対して向けられていた物だという事がすぐに分かった。

「私達、盾持ちと、速度型のノッカーを倒しましたよね」

「ああ、倒したな」

「絶対追尾のマイルームは、絶対に私を追いかけてくるんです。ドアノブで部屋を呼び出せるというのは本当の所逆で、向こうが私を見つけて追ってくる。そうして私の行動すらも追ってくる」

 彼女は心底嫌そうに、けれど慣れた手付きで壁に立てかけられた盾を引きずり、オペ室の中に放り込む。

「私がこの目で見た生物の死に関連する事を、この部屋が勝手に武器として勝手に作り出すんです。壁がね、ガコンってひっくり返ったりして出てきますよ。あぁ……、そういえばノッカーが出てくる時によく似てるかもですね。この施設はどうかしてんですよ。技術というか、何かがおかしいんです。そもそも、私が見た物の事がどうして分かるんだか……」

 確かに、ノッカーの出現の仕方は気にはなっていたが、壁からというのは言われてもピンと来なかっただろう。けれどこの部屋――ルームズを見た後では納得する事しか出来なかった。


 この施設自体が、大きなパズルにでもなっているのかもしれないという想像を抱く程に、そうして出口なんて元々無いのかもしれないと思う程に、無駄に厳重で執拗で、嫌がらせが過ぎる。彼女はもう一度壁際まで歩き、次は二本の鎌を手に取り、同じようにオペルームの中に放り込む。

「さっき使った冷気と炎は、私が看取った人が使っていた固有武器の名残です」

「じゃあ、その盾と鎌も……」

 苦笑しながらも頷く彼女の顔が、何故か酷く歪んで見えた。

「いつかは、使うのかもしれませんね。オペルームはね、造形ならいくらでも簡単に変えられます。けれどその本当の使用方法は、合成ですよ。私と、何かの合成」

 ナナミは天井を見上げると、少しの沈黙の後に、語り始めた。


「私はねー、お兄さん。そもそももう男か女かなんてのも本当は些細な事で、人間と呼べるかすら分からないんですよ。オペルームの中で起きている事は人体改造の域を越えています。なんで私生きてんですかって話です。あの炎も、冷気も、勿論魔法なんかじゃないんですよ。私の右手と左手に、それらを作り出す器官が作られただけなんです」

 

 俺に近付いて、ナナミはさっきまで無かったはずの右手を前に差し出す。

「ん、握ってみてください」

 言われるがままに、その右手を握る。そうして見つめ合う事数秒。少し気まずくなり握手したまま目を逸したところで、彼女がケタケタと笑いだした。

「あははははは! もう! すっっっっごいニブちんですよね! ほら私の手、あったかいですか?」

 そう言われて、やっと彼女のその手に、人としての温度が無い事に気付く。柔らかさも感じるのに、明らかに低体温、三十六度が平熱だと言われたなら彼女など低体温症で死んでいてもおかしくないくらいだ。ひんやりとまでは行かないが、それでも何より心が冷たくなった。

「最初に握手した時も、抱っこしてる時も気づかなかったでしょ? お兄さんはニブちんですねえ」

 考えてみれば当たり前の話で、灰になったまま起き捨てられた右手は、もう戻らない。ではこの右手は、そもそもあの灰になった右手も、おそらくは。

「この右手も、左手も、右足も、左足も、身体の中身も、何度も何度もオペルームで改造しました。肉体としての私自身なんてもう、殆ど残ってないんですよ」

 彼女は確かに強かった。けれど、その力は、彼女自身を生贄に得た力だった。その事実に、彼女の手を握った俺の手に汗が吹き出るのを感じる。


――であれば、であるならば、俺の最後は。


 その考えを振り払うように彼女の話に耳を傾ける。

「でもまぁ、美少女にもなれるんで、そこはあんま気にしてないです。 まぁいいんですよ、サイキョーになれますしね。サイキョーのサイボーグ、そんな感じで!」

 相変わらずおどけた素振りをたまに挟むが、どうやらその言葉は本当の事のようで、握ったままの手を少しだけ強く握り、笑顔を見せた。

「けどね、それよりも誰かが死ぬ度に、この部屋に物が増えるのが辛い。私が強くなれるのは、誰かが死んだから、何かを殺したからです。ノッカーはまあ、アレですけど」

 彼女は俺と握手したままの右手を離し、最初に部屋に入った時に俺にプレゼントしてくれた外套を優しげにそっと触る。俺は思わずその手を見つめた。

「私は……、"ナナミ"という名前の武器はですね。ノッカーに殺された私の大事な仲間の遺品で強くなって、私の大事な仲間を殺したノッカーの遺品で強くなって、その力で私の大事な仲間を守る。そんな感じの武器です」


 なんて、皮肉な話なのだろうか。この施設は、狂っている。生と死すら弄んでいる。

それが何の為の実験でも、今の俺には許せそうもない。


 彼女がパッと掴んでいた俺の外套から手を離す。それと同時に俺も顔をあげると、ナナミはもう今まで通りの笑顔でそこに立っていた。それがどうしても悲しい。

「笑うなよ。こんな皮肉な……」

「皮肉だからこそ、嘲笑ってやろうぜ」

 一瞬、彼女の目がギラリと光ったように見えた。それは声のトーンが下がって、向こう側に本当の彼女、というよりも彼を見た気がしたからだろう。

「なーんてね」

 ナナミはそう言っていつもの彼女に戻る。彼女は自分自身を武器だと言った、ならばやはり俺もまたこの身体が武器だ。そう思った時には、次の言葉は自然と口から零れ落ちていた。

「俺が死んだら、何が出るんだろうな」

 呟いた瞬間、しまったと思った。思った瞬間に、ナナミに軽くペチンと頬を叩かれた。そのまま頬にナナミの手が添えられて、彼女は真っ直ぐに俺の目を見る。

「嘘でもそういう事は言っちゃダメだよ。私もお兄さんも皆も、もう死なない。私はもう仲間の死を力にはしたくない」

「悪い、軽率だった」

 本当に軽く叩かれたから痛み等無いはずなのに、彼女の手に温度は無いはずなのに、不思議とその頬がジワリと熱を持っている気がした。それは彼女の"人としての熱"が籠もった叱咤だったからなのかもしれない。

「分かってくれればいいんですよ。悲しくたって辛くたって、死ぬことを考えちゃダメです」

 ナナミは振り返り、部屋の入り口のドアノブを掴む。開場音の後に彼女はこちらを振り返って、急かすように綺麗な右手を振った。

「ほら! いきましょ!」

「ああ、いこうか」

 彼女のその『いきましょう』という言葉が、"生"と書くのか"行"と書くのかは聞かなかった。

ただ、そのどちらでもきっと正しいのだと思いながら、俺とナナミは皮肉が詰め込まれた部屋を、わらって後にした。

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