DAYS2 -8- 『とりあえず、ただいま』
後ろからナナミの「やったー!!」とはしゃいでいる声が聞こえる。
本当に不思議な子だと思った。実際の所今回の戦闘では、彼女に気を使わせてばかりで、助けてもらってばかりだった。そして考えてもらってばかりで、此処までお膳立てしてもらったのだ。だからこそコレを失敗するわけにはいかなかった。そう思いながら、俺の拳で砕けた盾持ちノッカーを見て、俺は胸を撫で下ろしていた。
ただ、バラバラになった盾持ちノッカーの残骸を見た時に、改めて自分が生物を殺した事を意識したのも事実で、慣れるべきだとは思いながらも少しだけ身震いがした。それでもヨミを助けた時に殺した大型ノッカーの目玉の感触よりは、ずっとずっとマシだった。肉肉しさが無かったからと考えると生死の意識よりもリアルな話で嫌にはなるが、そういう意味でもナナミは考えて行動していたのかもしれない。罪悪感という物の存在の断ち切り方もまた、生きていく上で大事なのだろう。
最初の時は薬液使用後の反動で不快感こそあったものの罪悪感を噛みしめる程の余裕は無かったが、今の自分はそんな事もなく、ただ生物を殺したという実感が静かに渦巻いていた。もしこれに肉々しい感触や叫び声が混じっていたならば、また俺は臆していたかもしれない。それでも、誓いは守ると決めたのだから行動は変わらなかったはずだが、気持ちの上ではやはり複雑だった。それ程に、生物を意識的に殺すなんて事とは無縁の世界だったのだ。けれど彼女は知ってか知らずか、ノッカーを凍らす事によって、生命を造形物として俺に捉えさせる事で、その恐怖の感情を薄めてくれていた。
それは偶然だったのかもしれないが、今の俺にとっては何よりも有り難い事だったし、この経験が今後大事な事になっていくのだろうと思った。そんな事を思っていると、ふと今回は『力の赤』の反動が無い事に気付く。
「よくわからん薬だな……」
破壊衝動が緩和されたり声が出なくなったり、良い効果も悪い効果も一緒に発現するのは何とも言えないが、少なくとも『感覚の青』を使った時にはその力の制御が可能だったのを思い出すと、この『力の赤』そのうちどうにかなる問題なのかもしれない。とにかく、身体中に漲っている力が少しずつ息を潜めて行くのが分かったが、この前のように反動で倒れるような事も無さそうだった。
だったのだが、後ろから片手で抱きついてきたナナミに押され、思わず倒れそうになる。
「やったやった! さっすが! 信じてましたよ!? 信じてました!」
彼女は見た目だけで言えば満身創痍に見えるのだが、その表情は明るく、彼女の自室で今の体に作り変える前の少女の時よりもずっと少女らしく、演技には見えない本物の笑顔で俺の肩をペシペシ叩いていた。
さっきの足の震えから見て立っているのもやっとだろうに、興奮で痛みを忘れているのか彼女はピョンピョンと数回跳ねる、それでやっと痛みを思い出したようだった。
彼女は「ぐぅ、痛い……んだった!」と言って大人しくなる。
「とりあえず、これでこの部屋は安心なのか?」
「まあ……あと数日の間ですけどねー。箱の中身が追加されたらまたノッカーも一緒に出てきます。基本私達の毎日はこれの繰り返しですよ。っていうか声! 声出てるじゃないですかぁ!」
ナナミが顔を膨らませて、わざとっぽく怒っている。ポカポカと左手で俺の胸を軽く叩いた。
「出るじゃなくて、さっきやっと出たんだ」
「行ってくるだなんて、なーんかカッコつけちゃってぇ……。なのにちゃんと成功させて来るのはズルいなあ!」
まだ興奮が治まらないのだろう。怒るフリをしたかと思えば饒舌に笑う彼女を見て、逆に失敗しなくて本当に良かったと思った。
「ナナミ、色々助かった」
改めてナナミに礼を言うと、彼女は今まで饒舌だった事が嘘のようにピタっと黙り、慌てるように少しの間言葉を探している様子を見せた。そうして俺の胸を少しだけ強く叩いてから背を向けて、おそらくは箱の方へと駆け寄りながら大きめの声で返事をする。
「パンチ、二回目は頑張りましたからね! 私のとっておき二回分とおあいこにはしてあげませんけど! とりあえずナナミちゃんとお兄さんペアはそこそこナイスタッグだったって事で! 頑張ったからちょっとだけ箱から美味しい物もらっちゃいましょうか! って凍ってる!」
ナナミの方を振り向いて箱を改めて観察すると、幅は少なくとも二メートル近く、奥行きも一メートルはある事に気付く。彼女は閉じたままのその箱を開けようとしているが、彼女自身が放った冷気で蓋が凍ったまま開かなくなっているようだった。
「んー……、えいっ!」
ナナミはぎこちない右足を軸に、左足を引いて思い切り箱の上部を蹴り飛ばす。
すると箱の蓋の周りを覆っていた氷が弾け飛び、一緒に蓋も勢い良く壁へと激突した。強力としか言いようの無い一撃、俺が割れなかった氷壁を割ったのも確か蹴りだった。
「その蹴りの力もオペ室でつけたヤツだったのか? 俺が割れなかった氷も割ってたよな」
「そうですねー、でも普段は使わないです。でも今回はお兄さんがいますからね、最悪歩けなくなってもって感じでつけてきたんです。 でもま! 右と左で一発ずつくらいしか蹴れませんけどね! 見ての通り反動がデカいので基本的には封印です。もしお兄さんが盾持ちを倒すのに失敗してたらそこで左足を使うつもりでしたよ。つまりまあ、この黄金の左足は最後の切り札だったわけですね」
無事ノッカーを倒せたからといって、箱を開けるのに切り札を使っていいのかと思うが、俺のそんな懸念は露知らず、ナナミは鼻歌混じりに箱の中身を物色している。
「コンテナ部屋のノッカー討伐に関わった人は皆で分ける前に一つだけ箱の中から好きな物をもらえるっていう決まりなんです。じゃないとやる気がね!」
ガサゴソと箱を漁るナナミの横から箱の中を覗くと、大小様々な大きさの透明だったり銀色だったりするパッケージが目に入る。それが話に聞いていた食料達なのだろう。見た目ではそれぞれがどういった物かという区別がつきにくいが、どうやら俺とナナミがコンテナ部屋に来る前にホールでもらった携帯食料も端の方に積んであるようだった。その中からナナミが一枚の板のような物を取り出す。
「まぁ、一つ選ぶならチョコですよねー。可愛いナナミちゃん的にもチョコが正解なんですよ。甘いのが好きって良いですよねぇ」
聞いてもいないのにご丁寧な説明――特に可愛いナナミちゃんを強調している彼女は、その銀色のパッケージを左手でポケットの中に入れると、こちらにも何か一つ選べと促してくる。だが、はっきり言って見た目こそ違えど何がどれだなんて一見して分かるわけもない。
「どれがどれっていうのもいまいち分からないから、とりあえずこれで」
パッケージばかりの箱の中に一つだけあった金属製の缶詰に目が留まり手にとる。
するとナナミはニヤリと笑った。
「コンビーフ! お目が高い! これは餌付け、餌付けですね。無意識のうちにお兄さんはヨミちゃんを餌付けしようとしていますね! その缶詰、中身はコンビーフですけど偶然ヨミちゃんの大好物! 好感度アップアイテムですよ! 大事にしまっといてください!」
この娘はハイテンションというか、演技がかっていないといられない性分なのだろうか。改めて丁寧すぎた説明を苦笑で返しながら、ヨミの好物なんて知りもしなかったコンビーフ缶をとりあえずポケットに入れる。
ポケットにギリギリ入ったソレをどうするかは考えていないが、ナナミを此処まで喜ばせてしまったからにはもう、自分が食べる訳には行かないだろう。それにしても、この元男の現美女は中々の恋愛脳をしている。
「コンビーフが好物の女の子ってのはナナミ的に有りなのか?」
「んー、可愛ければ有り!!! というかギャップ的に萌えません?」
試しに思った事を聞いてみると、もはや最強と言って良い程の身内贔屓であり都合の良い性格だった。可愛い女の子はチョコでは無かったのか。
俺達は箱を閉め、とりあえずポケットに詰め込めるだけの携帯食料を入れると、ナナミは箱を閉めてこちらに向き直った。
「じゃあ、戻りましょっか。食料の輸送は後々でおっけーですんで、とりあえずは私の部屋まで、もしよければ肩でも貸してもらえると……」
おずおずと流し目をしてくる彼女が、可愛らしいというかどうにも洒落臭い。
俺は何とも言えない気持ちのままグッと彼女を抱き寄せて持ち上げた。いわゆるお姫様抱っこの状態にされた彼女が、ワタワタと慌てて体を動かす。
「ちょっ! そういうのは! 良くない! 良くないですってば!」
「フザケてるお前が悪い。というか自分で言ったんだろうよ」
反抗する彼女の言葉を一蹴して、俺は彼女をお姫様抱っこしたまま歩き出した。
「それに、真面目に言うなら肩を貸すくらいじゃ割に合わない」
この本音を告げると彼女は押し黙った。自分もらしくない事を言った自覚があったので、彼女の顔はあえて見ない。彼女の右手は未だにコンテナ部屋の入り口でユラユラと熱を放っている。両足も震えているのが見えていた。
いくら彼女の長所が明るい性格で、フザケてばかりいるとはいえ、少しの距離も歩かせたく無い程に、彼女の自己犠牲は俺の心を強く打っていた。
「お互い、無理はしないでいきたいもんだな」
彼女を抱きかかえたまま歩いていると、抵抗をやめた彼女は小さく呟く。
「だったら次は、ちゃんとお喋りにも付き合ってしてくださいね」
コロコロと表情が変わりながらも、結局は口が減らない彼女を抱えながら、コンテナ部屋から一番近い部屋の前で止まる。
一刻も早く彼女を痛々しい姿をどうにかさせたかったので、元々の部屋からの距離はそう遠く無かったがその部屋のドアノブを、持ち上げたままの彼女の左手に握らせた。
数秒の駆動音の後、いつも通りの解錠音が聞こえ、ナナミが俺に持ち上げられたままドアをトンと押すと、最初に入った場所とは違うが、二度目に入る彼女の部屋の風景が目に飛び込んだ。
「とりあえず、ただいまですね」
「ああ、ただいまだ」
「そこはおかえりって言って下さいよ。ロマンティックレベルが低いですよ」
「ロマンティックレベルって何だよ……」
くだらない事を言い合いながら、部屋の奥のオペルームのドアの前で彼女を降ろす。彼女は少し寂しげな表情を浮かべて、オペルームのドアノブを左手で握った。
「それじゃ、行ってきますね」
「ああ、行ってらっしゃい」
「そうそう、それでいいんです。ロマンティックレベルアップですね!」
「ロマンティックレベルアップって何だよ……」
苦笑すると、彼女も笑いながらオペ室のドアを締めた。
「ちょっと時間がかかるかもしれませんけど、いなくならないでくださいね?」
ドアの中から聞こえたその声が、少しだけ震えているように感じた。
「大丈夫、友情レベルもそこそこ上がったしな」
彼女のおふざけを真似て言うと、ドアの中から彼女が今日発した声の中で一番低い声が返ってきた。
「友情レベルって何ですか……」
「こういうノリじゃなかったか?」
「うーん、減点……。でも、ありがとね、お兄さん」
少し無理をした明るい声と共に、足音が遠くなる。
「ああ、待ってるよ」
その声はすぐに鳴り始めた機械の駆動音がかき消された。あのダメージを治す行為にどんな反動がついてくるのかは分からないが、心の中で何も酷い事が起こらない事を期待しながら、俺は彼女が笑いながらドアを開けてくれるのを待った。
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